第1章:バベルの電子層
ヨハネ・エレミヤがその「聖なる改訂作業」の委託を受けたのは、人類の言語が完全に一本の光ファイバーへと統合された年のことだった。かつて神は、天に届く塔を建てようとした人間の傲慢を怒り、その言葉を混乱させて世界へ散らした。しかし、それから数千年を経て、人類は再びひとつの言語を手に入れていた。それは「超構造化機械言語・ロゴスⅨ」と呼ばれる、感情の揺らぎさえも0と1の波形に固定する完璧なネットワーク言語だった。世界から誤解は消え、同時に「祈り」という曖昧な概念も消滅しかけていた。世界宗教連合の最高議事堂は、かつてバビロンがあったとされるイラクの砂漠の地下数百メートルに建設されていた。ヨハネは、青白いLEDの光に照らされた巨大なコンソールを前に、ため息をついた。彼の任務は、古びたヘブライ語、アラム語、ギリシア語で綴られた『旧約聖書』の記述を、現代の「ロゴスⅨ」に最適化された形で、完全に「改訂」することだった。「なぜ、私が選ばれたのですか」ヨハネは、目の前の空間に浮かび上がるホログラムの男――連合の最高司祭であるサミュエルに問いかけた。サミュエルの幻影は、穏やかだが冷徹な微笑を浮かべていた。「ヨハネ、君が最も『古い言葉のノスタルジー』に毒されていないからだ。現在の旧約聖書には、あまりにも非合理的な記述が多すぎる。天地創造の七日間、ノアの不条理な洪水、そして何より、神が人間に課したあまりにも残虐な試練の数々。これらは現代の、高度に最適化された人類の精神衛生にとって、有害なバグでしかないのだよ」「バグ、ですか」「そうだ。例えば、アブラハムが我が子イサクを神の命によって生贄に捧げようとする場面だ。これは現代の倫理アルゴリズムでは『児童虐待および重篤な狂気』と判定される。このような記述を残しておくことは、社会の調和を乱す。神と人との『古い約束』は、現代のスマートな契約へと改訂されなければならない」サミュエルの言葉は、冷たい電気信号のようにヨハネの脳内に響いた。ヨハネの仕事は、聖書をただ翻訳することではない。「神の不条理」を「機械の合理性」へと書き換えることだった。画面には、創世記の第1行目が表示されていた。【初めに神は天と地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。】ヨハネはキーボードに指を置いた。彼の指先が動くたび、古いフォントが明滅し、冷機を帯びた「ロゴスⅨ」のコードへと変換されていく。【初期設定において、システムは虚空より全座標軸を定義した。領域は未定義(NULL)であり、観測不能なエントロピーが初期流体に満ちていた。中心核は稼働を開始した。】「これでいい」ヨハネは呟いた。「神の神秘は、ただの初期設定の関数だ」しかし、彼が「創世記」のデータをサーバーへアップロードした瞬間、コンソールの冷却ファンが異常な高音を立てて回転を始めた。画面の隅で、未知の電子フォントが激しく明滅し始めた。それは、現行のどの規格にも存在しない、血の滴るような赤色をしたヘブライ文字の羅列だった。




