第五話
「またあのくそ侯爵家か!僕に気でもあるのか?こんなに毎回呼びつけるとは」
大きな声が広間にこだまする。
ヴァイレート様は、席についたまま指をくるくるして魔力を持て余している。ただ、その力が強すぎてこっちまで神経がうずく。
「何かしらの魂胆かもしれませんね。レーチェ家は最近代替わりしたばかりですし」
冷静な声がそれを遮る。少し肩を竦めた私を横目に、ミレネさんは椅子をひいた。
「今回の仕事について、俺から説明しましょう」
「はい」
数日前の一件以来、私は彼をまともに見ることができていない。
ミレネさんを見ると、きっと考えてしまうから。
「今回もレーチェ侯爵からのご依頼ですね。シェージェ地方の領主の皆さまで会議を行うため、その立会人になってほしい、と」
それを聞くなり、ヴァイレート様は再び顔を顰めた。
「立会人?護衛と言った方がまだ分かりやすいな、あの腑抜け」
「来週のようですね。こんなに急なタイミングということは、何かしらの問題でもあるのかもしれません」
ヴァイレート様には一瞥もくれず、ミレネさんは話し続ける。
「それから、今回の仕事は数日あるそうです。会議がまとまるまで、ということでしょうね」
貴族社会のことは、今でも雲の上の話みたいに思えてしまう。
でも、何かが行われようとしている――その感覚で、心臓がきゅっとした。
その感覚のまま、私はミレネさんの手元に視線を移す。
そこにある分厚い手帳には、紙が数枚挟まれていた。
「すみません。それ、見せてもらっても」
「これですか。お構いなく」
大きな羊皮紙には、びっしりと文字が書き込んであった。
今回の会場への行き方や、出席者の顔ぶれ。それから、予想される役割や話題なんかもまとめてある。
「ありがとうございます」
ミレネさんのとは比べ物にならないくらい、薄くて小さい手帳を開く。
棚にあったインクとペンで、その内容を書きとっていく。
私が不完全なことは、あの夜だけじゃなくてずっと分かっている。
――分かっているけれど、この生き方を選んだからには絶対成し遂げるんだ。
拳を握りしめている私の目の前に、カップが置かれた。あの甘酸っぱい匂いに、少し心が安らぐ。
「ありがとうございます、ミレネさん」
「いえ。緊張されると思いますが、お願いいたしますね」
それと、と彼は私に背を向けつつ口にした。
「貴方の努力は買いましょう」
こちらに向かって、ヴァイレート様が目くばせしている気がした。
「ミレネとは上手くやれていないのか?」
首を傾げて訊いてくるヴァイレート様に、本当のことを言うのは気が引けてしまう。
「いえ!大丈夫だと思います」
「ふ、ならよかった」
言った後に、背中が少し重くなったような気がする。
姿勢を正した彼は、私と視線を合わせた。
「それなら、問題はあの侯爵だな。あれは跡を継いだばかりらしい、どうりで馬鹿なものだな」
「ヴァイレート様を利用するなんて、さすがに許せません」
「まあな。……ただ、奴にも事情があるのだろうな」
お人よしですね、と少し頬を膨らませる。
「なんだ、小娘。拗ねるな」
微笑んだその顔があまりにも儚くて、私は少し固まってしまった。
「ヴァイレート様の練習をしてきます」
「なんだその練習は」
「堂々とする練習です」
私の答えに満足したのか、彼は目を伏せた。
それからの五日間、私は徹底的にヴァイレート様を知ろうとした。
歩き方から語尾の法則、どんなものが好きか嫌いか、それに髪をかき上げるときのコツまで。
前回と同じように、固まってしまうわけにはいかなかった。もし私が本物のヴァイレート様ならどうするか。それを再現できるようになるまで、この計画を諦めるわけにはいかなかった。
貴族の事情についても、ミレネさんから教わってとことん頭に入れた。使わない情報ですよとは言われたけれど、今の私には全てが必要だった。
――ヴァイレート・アムレアを、私は完璧に成し遂げる。
*
私が二度目に指輪をつけるその日は、あっという間にやってくる。
前回よりも大きく一歩を踏み出した私は、学んだ通りにゆっくりと馬車に乗り込んだ。
レーチェ侯爵家の屋敷も、前回でかなり慣れている。
前回と違うのは、会場が大広間ではなく中規模な部屋であること。
それから、何よりもその空気の重さだ。
レーチェ侯爵が部屋に入る前から、すでに貴族たちの視線が鋭い。
誰かが口を開くわけでもなく、皆一様にどこか下や横を眺めている。
そんな中、分厚い扉が音もなく開いた。
「シェージェ地方の領主の皆さま。本日は、会議にご参加いただきありがとうございます」
この間と同じように、真っ青な燕尾服を身に纏ったレーチェ侯爵が姿を現した。
指一本でも動かせば崩れ落ちていきそうな緊張のあと、彼は眉を下げて笑顔を作った。
「まず、この間のパーティーでのご無礼をお許しください」
レーチェ侯爵は私より少し年上くらいに見える。
そんな彼が作る笑顔は、ヴァイレート様のそれと比べて、ずっと底が見えない。
「あの段階に至った経緯につきましては、のちにご説明いたします――特に、ヴァイレート卿」
思わず声が飛び出しそうになったのを抑え、私は頬杖をついた。
「……ああ」
「個別にお詫びさせていただきます。それでは、今日の議題を」
予想の斜め上から飛んできた話に、頭を抱えたくなる。
……どうして、この人がこんな風に?
パーティーの時の扱いからは信じられない待遇だ。
もしヴァイレート様だったら、興味がなさそうにしているんだろう。それだけを頼りに、私は体勢を変えず次の言葉を待ち続けた。
「最近の噂ですし、特に信じるだけの根拠もありません。ただ」
レーチェ侯爵の貼り付けたような笑みが、不意に剝がされる。
「この地方全体の掌握を狙う者が、どこかにいるそうで」
低すぎるわけではない彼の声が、空気を重く震わせた。
誰も声を発さないのに、いろんな感情が聞こえてくるみたいだった。
「どこの誰かは、私も存じません。ただ――パーティーで捕まえた犯人が吐いたんですよ」
ゆっくりと、全員の顔を眺める。
ヴァイレート様だったら分かるのかもしれないけれど、私の推理能力じゃ誰かまでは分からない。
「あなた方には、くれぐれも気を付けていただきたい。今日からはその対策ということで、会議をしましょう、ね」
有無を言わさない声の裏にあるものは、まっさらな白なのか。何も分からないまま、会議は進行していく。
襲撃が起きた際の守りの固め方、食糧の調達に市民の避難まで。
私が学んできたことを凌駕していく政略が、テーブルの上で組み立てられていった。
私は、立会いと言われていただけ。
会議に口を出すことを歓迎されていないはずだから、と、いつものヴァイレート様みたいに紅茶をゆっくりと味わっていた。
私の方を見ることすらなく進む話し合いを見ていると、やっぱりどうしても退屈になってしまう。
そもそもこんな場に呼びつけるという、侯爵の魂胆が分からない。
「それでは、今回の議事録をお願いできますか?」
右端にいた一人の男性に、レーチェ侯爵が声をかける。
侯爵は、テーブルの左端から分厚いノートを手に取ろうとした。
その瞬間。
その本から出ているものが、何か黒くて大きなものに見えた。
私の神経が警報を鳴らしている。
「待て!」
どうされましたか、とこちらを振り返った侯爵を手で制する。
「動くな、その本から離れろ!」
驚いた表情でこちらを見つめる参加者たち。
そのうち誰がどうしてなんて、二の次だ。だけど。
「――それは禁書だ」
静寂の中に、小さな悲鳴が混ざる。
触れると発動する呪術。その危険から逃げるように、大抵の貴族はこちらに向かってきた。
「お助けください、ヴァイレート卿!」
「どういうことだ、これは!」
決してこちらに視線を向けなかったはずの彼らは、私の周りで震え始めた。
その場に残っているレーチェ侯爵だけ、顔色を変えずに封印魔術を口にする。
彼はただの『証拠』と化したそれを右手に持つと、変わらない飄々とした笑みでこちらを見る。
ただ、その目にはもう光がない。
「魔術ですり替えられた、か」
小さく漏れ出る声は、彼のものとは思えないほど低くて鋭い。
侯爵は私たち全員を見渡して、ゆっくりと踵を返した。
「お開きだ。誰が置いたかはまた調査する――早く帰れ」
「ですが」
「死ぬぞ!」
一喝したレーチェ侯爵は、初めて顔を赤くしていた。
彼は、怒っている。
貴族たちは、その勢いに押されるようにして、一人ずつ出口へと向かっていく。
呪術もさることながら、大半はきっと侯爵の怒りが怖いのだろう。
――どう立ち振る舞うべきなのか。
部屋に残ったのは、いつの間にか私と侯爵だけになっていた。
レーチェ侯爵は、絡めた指で隠れていた目をこちらに向ける。
「助かりました、ヴァイレート卿」
不意に席を立った彼は、禁書をしげしげと眺めた。
「よく見抜きましたね。さすが、大魔法使いです」
さっきまでの鋭い声とは一転、落ち着いた響きとその笑み。
「いや。それにしても、こんなところまで危険が及ぶものなのですね」
「残念ながらそのようです」
彼はくる、と振り向くと、こちらに頭を下げた。
「度重なるご無礼を、失礼いたしました」
「その謝罪は先ほどいただきました」
私の言葉に、彼は顔をあげようとしない。数秒の沈黙のあと、ゆっくりと向き直ったレーチェ侯爵は小さく笑った。
「ご説明させてください。実は、最初ヴァイレート卿の名で予告が来ていたのです」
「……どういうことですか」
最初というのは、と思わず口にする。
「パーティーの際です。ヴァイレート卿の名前を騙った何者かが、あの場で私を殺害するという手紙を寄越した」
「それで、あのような方法をとったとおっしゃるのですか」
私の呟くような声を、侯爵はしっかりと拾って頷く。
「ええ。あなたと対立している貴族の犯行だと踏んで、失礼を承知で名前を借りさせていただきました。そうすれば、あなたが事情を全て知っていると思わせることができる」
「……なるほど。もしこちらが本当に犯人だった場合も警戒して、あの策をとったわけなのですね」
なかなか鮮やかな作戦だと思った私は、一度だけ頷いた。
「ですが、どうしてこちらが犯人だと仮定しなかったのですか」
「ふふ、意地の悪いお方だ」
なぜか少しだけ嬉しそうな彼は、私に視線を送った。
「かの大魔法使いヴァイレートは、手紙を嫌う。レーチェ家が苦しめられてきた、あなたの性格ですよ」
「なるほどな」
ヴァイレート様が手紙を書くところを、確かに私は見たことがない。彼ならありえそうな話に、こちらの口角も少しだけ上がった。
「私は今回の会議で、ヴァイレート卿に謝罪をと思って参りました。新参者ですから、疑われてしまったかもしれませんが」
「こうして誤解も解けたことです。よしとしましょう」
彼は、私の言葉にもう一度頭を下げてこう言う。
「本日は、誠にありがとうございました。次お会いするときに、ご覧になってほしいものがありまして」
「ああ、こちらこそ」
「あなたがきっと喜ぶものですよ」
首を傾げる私に、彼は可笑しそうに微笑んだ。
*
「よくやった、ノマ!」
屋敷に響き渡るのは、私では再現できないほど大きな声。
「人命を救うなど素晴らしい、さすがこの僕が見込んだ天才だな」
ありがとうございます、と返す私の言葉も、少しだけ弾む。
政界を揺るがす陰謀に、こちらを敵視する貴族の謎。頭を抱えたくなるようなことばかりだ。
でも、今回の成功は、私の声を少し軽くしてくれる。
「僕に変身していたとはいえ、よく気づいたな」
「いえいえ。あんまり褒めるのはやめてください、調子に乗りますよ」
両手を振っていると、ヴァイレート様は不思議そうにこう返してくる。
「なぜだ?いくらでも調子に乗ればいいではないか」
「……そうですね」
どうやっても、やっぱり本物には敵いそうもない。
ため息をついた私の後ろから、凛とした声がする。
「お疲れさまでした、ノマさん」
「――ミレネさん」
彼が作ったものだろうか、ケーキが机に置かれる。
浮ついているのを見られてしまった、と肩を竦める私に、彼は言葉をくれる。
「素晴らしい仕事ぶりですね。……評価しましょう」
ぱっと顔を上げた私に、彼は言葉を重ねる。
「ただ、政略や貴族の情勢については、俺とヴァイレート様で話し合います。かなりの情報量になりますから、覚悟してくださいね」
その横顔は、いつもよりも少し凛々しく見えた。
「あの!私も参加を」
「できません」
手を挙げた私に返ってくるのは、一瞬の間も置かない否定だった。
二人はずっと一緒に生きてきたんだ、と心の中で繰り返す。
だから、私が混ざれなくてもしょうがないんだ。
「……でも、私もできることがあれば」
小さく唱えるように声を出す。
「ノマ、すまないな。結論が出たら伝えよう。それまではよく寝て休め」
ヴァイレート様まで言うなら。
私は小さく拳を握りしめて、もう一度前を向いた。
「分かりました。お二人とも、無理はしないでくださいね」
*
ヴァイレート様の言ったとおりに、私はよく寝て食べた。
のんびりとした生活は久しぶりで、せっかくなら家事を完璧にしようと考えた私は、ミレネさんに教えを乞うことにした。
「またですか」
ため息をついたミレネさんに、掃除した小部屋を案内する。
「まあ、及第点といったところでしょう」
「ありがとうございます!」
小さく拳を握りしめた私の隣が指さされる。
「ああ。ここに埃がありますね。それから棚の横」
彼は、決して怖い人ではないのだと最近気が付いた。
ヴァイレート様のことを真面目に考えているからこそ、きっとああいう言葉が出たんだと思う。
ミレネさんが去ったあと、私は部屋に向き直った。
どうせなら全部完璧に掃除してやろう、と腕を捲る。
言われた棚の横を、丁寧に布で拭いていく。
「……棚の裏って汚いんじゃないかな」
ふと思いついて棚を少しずらすと、確かに埃や小さなゴミでくしゃみがでそうだった。
よし、と声を出して布を取り出した私は、違和感を覚えた。
「なに、これ」
小さく声が飛び出す。
そこにあったのは、あの赤い石と同じような光を放つ小石だった。
光自体はそんなに明るくはないものの、あの神聖さとそれから少しの不気味さは一緒。
触れたら死ぬ石、魔力の塊。教科書で見た文言が頭をよぎる。
結局私は、恐る恐る棚をもとに戻した。
大魔法使いの家なんて、どこかに秘密があってもおかしくない。
掃除をするときは見て見ぬふりをする。それが、私の出した答えになった。




