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新星は死ぬまでに  作者: 柚乃うと
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3/5

第三話

 そのあとパンを貪ってベッドに潜った私は、まだ寝足りなかったらしい。

 目を開けたらもう夜で、窓の外には星がちらちら光っていた。

 腕を曲げたり伸ばしたりして、確実に調子が良くなっていることを確かめる。

「……お腹空いた」

 布団にくるまって目をつぶる。

 固い地面で寝てきた日々のことを、ふと思い出した。

「……行かなきゃ」

 どこにか、それは分からなかった。でも、こんなところにいたらいけない気がする。

 こんなところにいたら、またいつか、あの環境に戻ったときに生きていけない。

 自覚してしまえばあっという間。私はやっぱり、すごく小さい生き物なんだ。

 唇を噛んだ。


 忍び足で広間まで進む。

 扉の前に立つと、中からは明かりが漏れていた。消し忘れたんだろうな、とぼんやりそれを開ける。

 ぎ、と小さく音が鳴った。

「起きたか」

「わっ」

 予想していなかった声に、心臓が跳ね上がる。

 そっと覗くと、椅子にはヴァイレート様が座っていた。

「……おはようございます」

「随分とよく寝たようだな、あはは」

 口元を隠して笑うヴァイレート様だが、その声は可笑しさを隠そうともしていない。

 彼の笑い声は、この部屋を照らしているものそれ自体みたいだった。決して太陽じゃないけれど、私を導いてくれるもの。


 座らないのか、と言わんばかりに、ヴァイレート様は私を見る。

 私は慌てて席についた。

「――こんな遅くまで起きてるんですね」

「まあそうだな。天才にも眠れない夜はある」

 彼はコップに目をやった。野イチゴみたいな、ちょっとすっぱくて甘い香りがする。

「ヴァイレート様って、どうして死なないんですか」

「……っはは、なんだ」

 私が不意に口にした疑問に、彼は机に伏して笑っている。

「なにかおかしいですか」

 不思議に思うのは当たり前でしょう、と添えると、彼は急に頭を上げた。

「そうだな、すまない」

 頬杖をついた彼の指に、白い髪が絡みつく。

「……そんなことを聞かれることなんて、あまりなくてな」

「え、気にならないんですかね」

 首を傾げる私に、ヴァイレート様は目を細めた。

「さあな。僕は不死身の魔法使い、なぜならこの僕が死んだら皆が困るからだ」

 その響きは、決して重くもないし鋭くもない。ただ、圧倒的な大きさが私の前に立ちはだかっているみたいだった。


「――確かに、ヴァイレート様がいなくなったら大変です」

「ふふ、そうだろう」

 彼は満足そうに微笑みを浮かべる。

「きっと、どうでもいいのだろうな」

「……それって、どういう」

 私が小さく身を乗り出すと、ヴァイレート様は目を逸らす。

「いや。――僕が不死身で強ければ、きっとそれ以上は必要ないんだ」


 頭を下げたいと、そう思った。

 きっと、ずっと私もそうだった。

 私たちが見てきたのは、勝手に信仰してきたのは「ヴァイレート」という人じゃなかったのかもしれない。

 きっとそれは「不死身の大魔法使い」、その言葉が持つ暴力だ。

「……すみません」

「何をあやまっている貴様!」

 思っていたより数倍大きな声が飛んできて、私は身を竦めた。

「お前が興味を持ってくれたことが、僕は嬉しい。ただ残念だがな、もう覚えていないんだ」


 長い睫毛が伏せられていた。

 私はその理由を知らないし、これからも知ることはできないのかもしれない。

 ただ、彼は同時に笑っていた。

「思い出したら教えてやろう。人間をやめたいのだろう?」

 目を開けた先にいたのは、元通りの神様みたいなヴァイレート様だった。

「はい!」

「お前、変な人だと言われたことはないか。人間をやめるには、変であることも大事だ」

「ないです」

 思わず口をついて出た答えに、彼は目を丸くする。

「そうか。……僕はよくある。なぜだと思う」

「なぜ、ですか」

 しばらく頭を捻ったが何もでてこなくて、私は彼の目を見つめた。


「あまりに美しすぎるからに決まっているだろう!」

「……そういうところが変なんだと思います」

 胸を手に当てているヴァイレート様に、思わず声が出てしまった。

「今なんと言った小娘!」

「その通りだと思います、と言いました」

「ならいい」

 また笑顔を浮かべる彼を見て、私は耐えられなくなってしまった。

「――っふ、あはは」

「どこに笑う要素があった」

「いえ、なにも、あはは」

 変なひとだなあ、と思った。ヴァイレート様は不思議そうにこちらを見ていて、それがもっと面白い。


 いつか、もし、どこかで私が元通りになっても。

 それでも彼と出会えたこの現実が無駄なんて、絶対に思わないようにするんだ。


 ヴァイレート様が悪態をついて、私がまた笑って、外がだんだん明るくなってきて。

 夜が、ゆっくりと終わっていく。


  *


 目が覚めた私がやること。着替え、顔を洗う。

 その後は軽く朝ごはんを作る。そのあと――一番重い仕事が待っている。


「起きてください、ヴァイレート様」

 扉に拳を叩きつけるようなノックを、さらに五回。

 何も返ってこないことを確認しつつ、私はさらに声を張り上げる。

「ヴァイレート様!今日は大事な話があるって言ったのは誰ですか!」


 私がヴァイレート様と過ごすようになって、三週間が経った。

 この間に分かったことだけれど、彼はまず起きてこない。それから、料理が壊滅的に下手。

「ノマ、少し待て……」

「また寝る気ですね!」

 どうにかして彼を起こさなければ。朝以外は丁寧に接しているものの、七日目ごろからだんだんと気づくのだ。

 ……放っておくと夕方まで起きてこない、と。


 しょうがない、と呟いた私は、右手にゆっくりと魔力を集め始める。

 指を鳴らすと、扉の向こうから大きな声が聞こえた。

「何故布団が捲れるんだ!ノマ!」

「ただの遠隔魔法です、ヴァイレート様」

「最近の魔術は知らん!」

 駄々をこねている場合ではありません、と口にしつつ、私は人差し指を天に向けた。

 ほどなくして悲鳴が聞こえてくる。

「僕の睡眠を邪魔するな!」

「何時間寝てると思ってるんですか!」

 観念したのか、扉の向こうからごそごそという音が聞こえてくる。

 ため息をついた私は、二人分の食事が用意されている広間まで歩く。

 なんでだろう、まるでスキップみたいなそのテンポに、思わず笑ってしまいそうだ。


「今日、話したいことがあると言ったな」

 食器を洗いながら、ヴァイレート様はふと口にした。

 テーブルを拭く私の手が止まる。

「端的に言うと、お前の最初の仕事についてだ」


 私は小さく頷いた。

 食器洗いを終えた彼は、いつもより少しだけ早く椅子に腰かけた。


「侯爵家のパーティーだ」

「……え?」

 言葉を呑み込むことが上手くできなくて、私の口から出てきたのはたった一つの驚きだけだった。

「侯爵からパーティーに呼ばれている。政治は面倒くさくてな、いつ何があるか分かったものではない」

 そう言うと、ヴァイレート様はいかにも「つまらん」と言わんばかりに腕を組む。

「侯爵って……一番偉い人じゃないんですか」

「知らん」

 僕を面倒な貴族界に呼ぶ奴は皆阿呆だ、と零した彼は私を見る。

「ノマ、貴族社会のルールはわきまえているか?」

「いえ。ちょっとだけ勉強したくらいです。細かいマナーは全然」

「そうか」

 学院でやったきり、貴族に対する礼儀なんて教わっていない。

 そもそも今回出向くのはノマじゃなくて、ヴァイレート様としての私だから……。

 混乱でぐるぐる回る頭を抱える私は、不意に口に出した。

「ヴァイレート様、爵位がないって本当なんですか」


 伝説みたいなものだった。

 ヴァイレート・アムレアは、貴族でもなんでもない。正義を貫くために、貴族の世界を嫌っている英雄なんだとか。

「ないぞ」

「……本当だったんだ」

 呟いた私に、彼は大きな声でこう添えた。

「手続は煩雑、マナーは全くもって覚えられなかった!」

 だからお前も貴族なんかに頭を下げるな、ヴァイレートは貴族社会のことなど知らん、と口にすると、彼は満足げに口角を上げた。

 思っていたよりも人間臭い理由に、吹き出しそうになる。


「まあ貴族どもの名前だけでも覚えていけば、それで十分だ」

「頑張ります」

 勢いよく席を立った私とは反対に、ヴァイレート様はふいと顔を背けた。

「……どうせ、僕の名前しか必要としていないからな」

 油断していれば聞き逃してしまいそうな、僅かな揺らぎだった。それは空気と、それから私の鼓膜の奥を震わせる。

「……ヴァイレート様」

「さあ、貴族の名前でも暗記するか」

「今ですか」

 ふと目をやると、彼は分厚い手帳のようなものを手にしてにっこりしている。

 嫌な予感がした。

「ああ。パーティーは明日だからな」


  *


 熱が出るのかと思うくらい、大変な作業のあと。

 羊皮紙に書き取りをした私は、それらを持ったまま机に突っ伏した。

「あはは、さすがに疲れているようだな」

「笑いごとじゃありません」

 これ全部覚えるんですか、と口から不安が零れ落ちる。

「大丈夫だ。こいつは阿呆、それでこいつも阿呆だ」

「覚え方になってません」

 呑気そうなヴァイレート様に、恨みがましい視線を送る。

 彼曰く、出席することそれだけに意味があるらしい。そこらへんに立っていればいいのだと、何度も繰り返して言われた。


 不意に外を見ると、空はもう橙色に染まり始めている。

「命を狙われるとかそういうことって、今回はないんですかね」

 夕暮れに身を任せてしまったから、そんなくだらないものが口をついた。

 彼の横顔を見る。

「今回は何も心配いらない。ただの練習だし、何かあれば僕を呼べ」

 教えてやろう、と彼は手を差し出す。

 握られていたのは、赤い石のついた指輪だった。

 金でできた輪につけられたそれは、簡素なカットをされていた。ずっと前からあるような、王道なもの。

 だからこそ、その美しさが際立っていた。

 吸い込まれそうな赤が燃えていて、でも熱いというよりは冷たい火みたいだった。

「――ヴァイレート様みたい」

 呟いた私の右手に指輪が渡される。

「綺麗だろう」

 はい、とゆっくり声にする。声にしないと、その炎に呑まれてしまいそうだった。

「これを右手の中指にはめると、変装ができる」

「そんな簡単なものなんですか」

「ああ。僕の発明だからな」

 指輪をじっと見つめる私に、ヴァイレート様は笑った。

「簡単だろう。隠されているもの、誰も知らないもの――その真実は意外に簡単だ」


  *


 朝になっていた。

 なんてことないみたいな顔をして、いつもと変わらない日が昇っていた。

「……寝れなかった」

 空が明るくなるまで目が冴えていて、ひたすら寝返りを打っていた記憶しかない。

 珍しくこの時間に広間にいたヴァイレート様は、私の顔を見るなり声を出した。

「お前、さては寝ていないな。クマがひどいぞ」

「さすがに緊張しますよ」

 机の上に置いてあるのは、昨日必死に書き記したメモだ。

 それを手に取って、頭の中で復唱する。


「さて。変身の時間だ、ノマ」

 数枚の紙切れに目を奪われていた私の真上から、彼の声が降ってきた。

 ヴァイレート様は、指輪をつまんでこっちに渡してくる。

 恐る恐る、両手で指輪を受け取る。

「――行ってきます」

「ああ。いってらっしゃい」

 私の部屋。ヴァイレート様がいつも身に着けている黒いシャツやローブを、ゆっくりと身に纏う。

 そして、最後にそれを手に取った。

 指輪はその大きさの割には重くて、どことなく手に馴染む。


「……よし」

 深呼吸をひとつ添えて、私は中指にそれを通した。

 刹那――視界がぐらりと歪む。

 でも、その違和感はたった一瞬。私の周りに広がっていたのは、今までよりもちょっとだけちっぽけな世界だった。

「視線が高い……足が長い」

 自分の体ではない入れ物に、意識だけが放り込まれたみたいだ。でも感覚も思考もちゃんとしていて、私はその楽しさに部屋を歩き回った。


 覚悟を決めてついに辿り着いたのは、部屋の姿見の前だった。

 ゆっくりと開いた瞳を縁取っている睫毛が、とても長い。瞬きするだけで、それはまるで羽みたいに動く。

 真っ白で光沢のある髪は背中まであって、指を絡めるとさらさらと解けた。

「……すごい」

 人間じゃない、と声にした。

 彼の美貌はどう考えても、人の持つそれではなかった。

 そして、それを被る私もまた、今はノマから解放されているんだ。

「すごい、綺麗」

 繰り返すと、形のいい唇から低い声が零れる。


 私は、しばらくそのまま鏡と睨めっこしていた。

「おいノマ!馬車が来ている」

「今行きます!」

 普段より大きな一歩で部屋をあとにする。振り返った私の目に映る姿見の中に立っていたのは、まぎれもなくヴァイレート様そのひとだった。


「いい感じだな。さすが僕の完璧な魔術だ」

 玄関先まで出ていった私に、ヴァイレート様は目を細める。

「もっと堂々と胸を張れれば完璧だ。僕の美貌が際立つ」

「そうですね。……自分で言わなければもっとかっこいいんですけど」

「なんと言った、今」

 軽口をたたいていると、心臓の鼓動が落ち着いてくる気がする。


「無事に帰ってくることだ。行ってこい、ノマ」

「いってきます、ヴァイレート様!」

 部屋に引っ込んでいくヴァイレート様は、去り際に不器用なウィンクを残していく。

 それができないことが私と同じで、ちょっとだけ励まされた。


 ほぼ籠りきりだった屋敷の敷地には、至る所に草花が生い茂っている。

 なんだか、童話に出てきそうな建物。

 門の外には馬車が控えていて、こちらを見るなり馭者は深く頭を下げた。


「レーチェ侯爵の屋敷まで、頼む」

 馬車なんてのは初めて乗ったけれど、意外と揺れるものみたいだ。かたかたというそのリズムは心臓まで揺らしてきて、上手くできるかなんて不安になる。

 ――朝まで何度もイメージしてきたんだ、大丈夫。

 ヴァイレート様だったらこうするだろうと思ったから、私は彼みたいに足を組んでみた。頬杖をついて、無理やり口角を上げてみる。


 そんなことをしていたら、かなりの時間が経っていたみたいだ。

「到着いたしました」

「ご苦労」

 地面をゆっくりと踏んだ私の目には、視界に収まりきらない宮殿が飛び込んでくる。

 思わず立ち止まったそのとき、門番がこちらに礼をした。

「ヴァイレート・アムレア様ですね。こちらへどうぞ」

「ああ。よろしく頼む」


 宮殿の中は、外よりももっと、おとぎ話のお城みたいだった。

 天井にも壁にも絵が描かれているし、階段の手すりは金色。ヴァイレート様の屋敷なんて、平民の私にとってはまだ優しいほうだったんだ。

 なるべく周囲をきょろきょろしないように、なるべく一歩を大きく。

 心の中で何度も唱えながら、ひたすら前を見て真っすぐに歩く。

 先が見えないと思ってしまうくらい長かった廊下の先には、どこまでも広がるような空間があった。

 磨き上げられた床は光を反射して眩しく、荘厳な柱がいくつも立っている。

 煌びやかな衣装を身に着けた客たちを、穏やかな曲が包み込んでいく。

 私がそこに足を踏み入れると、入り口に立っていた従者が声を張り上げた。


「――赤の塔より、ヴァイレート卿」

 その場にいた貴族たちの視線が、一瞬でこちらへと集中する。

 尊敬か畏怖か、それとも陰謀か。私には判別がつかない様々な表情、そしてざわめきが会場を覆った。


 数分が経った。

 歓談を始めている貴族たちは、一切こちらに話しかけてこない。

 百年生きている魔法使いという響き、それから爵位を断る態度。そういうものが、ヴァイレート様をこの空間からはじいているような気がした。

 彼は「絶対にこちらからは話しかけるな」と、私に教えてくれていた。

 私の覚えた名簿は意味をなさない。ただ、空白の時間が流れていく。


 貴族の服は面白い。

 私が今着ている服も装飾は多いけれど、ヴァイレート様は簡素なものの方が好きみたいで、周囲を見渡すともう目が眩みそうになる。

 大きな宝石とかひらひらとした布とか、そんなもので彼ら自身を飾っている。

 私は、きっとそうだ。

 こうやって綺麗な世界で生きる人々のことが、少しだけ怖いんだ。


「お集まりいただきありがとうございます」

 はっと正面を向くと、壇上には一人の男性が立っていた。

 ここにいる誰よりも鮮やかな、青の燕尾服を身に纏っている。

「本日の主催をいたします、ルーク・レーチェです――皆さま、よい時間をお過ごしください」

 男は丁寧に一礼をし、ゆっくりと段を下っていく。

 その黒い髪を靡かせる姿は、どこか上品ででも強そうだと思った。

 最後の段に足をかけた、その瞬間。

 レーチェ侯爵が一度だけこちらを見た気がして、私は瞬きする。

 それが気のせいだったというように、目を開けたら彼は横を向いていた。


 レーチェ侯爵がステージから降りたのを確認し、貴族たちはまたグラスを手にする。

 宴が始まることを告げるように、ヴァイオリンの音色が響く。


 曲とともに彼らは中心を向いて、そのまま歩きはじめた。

 貴族たちが「舞踏会」とかいうものをやる、と聞いたことはあったけれど、私が実際に見るのはもちろん初めて。

 私はワイングラスを手にしたまま、それをじっと見つめた。

 踊り自体はそんなに複雑なものではなさそうだけれど、やっぱり上手い下手は分かるなあ。そんなことを考えることにして、必死に紛らわせる。


 宮殿に入った時から、私の心臓は締め付けられていた。

 夜が近づくなんて考えないようにする。

 貴族服を着た男性が、その手を女性の腰に添える。たったそれだけのことが視界に入るたび、私の目の前はちかちかしていた。

 押し殺していたものが、だんだんと影を大きくしていく。

 ――私は大丈夫。もうあの時の私じゃない。

 もう無力じゃない、もうノマじゃない。


 ……限界だった。

 もし、私が偽物だとばれてしまったら?

 その発想が頭をよぎった瞬間、手が汗で濡れていく。


 こちらに向かってくる人がいないこと、それだけが救いだ。

 音楽に、そしてそこで繰り広げられるもの全てに背を向ける。

 そして、次の瞬間だった。


 パッ、という音と共に、暗闇が目を覆い隠した。

 何も見えない中、貴族たちの困惑の声だけが届いてくる。

「お楽しみいただいているようですね、皆さま」

 さっきの声だ、と思った。さっき壇上で聞いた、あの鋭い声。

「このパーティーにはいくつか目的があります。一つ目は、皆さまの親睦を深めてもらうこと。そしてもう一つは――」

 今度は盛大な音がして視界が明るくなる。


「私を殺そうとしている者を突き止めること、だ」

 ざわめきが走った。

 明るくなった大広間には、数人の兵士が控えている。扉を固めるように彼らが立っていることを確認したレーチェ侯爵は、「さて」と声を出した。

「今日私を殺すために参加している者がいる、それは知っている。ただ、名前までは聞いていないのでね」

 その発言に、ますますどよめきだけが広がっていく。


「すぐ名乗り出てもらえるように、皆さんには言っていなかったね。びっくりしただろう?あのヴァイレート卿が来るなんて」

 どういうことなのか、全く分からない。

 ヴァイレート様が侯爵から疑われているのか、それとも……。


「ヴァイレート卿の力は皆ご存じだろうからね。正義に溢れた彼に殺されるか、それともここで名乗り出るか。選ぶ権利をあげようと思ったんだ」

「――は」

 小さく声が漏れた。

 この人は、ヴァイレート様を利用している。

「……だから私たちも知らなかったのね」

「……どういうことなんだ」

 小さな混乱は、やがて会場全体へと広がっていく。


 なんで、そんなことができるのか分からなかった。ヴァイレート様がこれを知らなかったことは間違いない。

 なんで、なんでこんな騙すような真似を。

 周囲の視線は、私の方に集まっていた。

「ヴァイレート卿は大変強くてね。こんな建物くらいならすぐ吹き飛ばせる」

 その声は必要以上に大きくて、低い。


 大広間に流れるのは、困惑と恐怖の声――そしてそのあとは沈黙ばかり。

 私は、私のそれより大きな足で踏ん張っていた。


 ぞっとするような静寂の後、右端の方から嗚咽とともに叫び声が聞こえてくる。

「許して、ください……っ!侯爵……!」

「ああ、名乗り出てくれてありがとう。お前だったんだね」

 泣き崩れた男に、侯爵は声をかける。近くにいた兵士たちが彼を取り囲み、そのまま外へと引き出されていった。

「さて、宴の続きをしましょうか。反逆者を捕まえるのに協力してくれてありがとう――ヴァイレート卿」

 ぽつぽつとした拍手が会場を包んでいく。

 貴族たちはまた踊り出す。何事もなかったかのように、それでいて、決してこちらには視線を送らないように。


 私は、ただ黙っていた。

 泣いちゃだめだ。

 私は知っている、ヴァイレート様は強くて優しいってこと。

 最強の魔法使い、不死身の天才。

 そんな言葉を利用するなんて、と言いたくても、誰もヴァイレート様の本当を知らないから。

 ――誰も知らないから、ヴァイレート様はずっと孤独なんだ。


 泣かないように、ぐっと拳を握りしめる。

 何事もなかったかのように流れてくる音楽と、安心したような貴族たちの声が混ざり合って反響した。

 更けていく夜に、私はただ小さく震えていた。


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