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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第四章 風走る
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誰が為の奏鳴曲

「奏鳴曲」はソナタと読んで頂けたら嬉しいです。


 最後の舞踏会が始まる二時間ほど前。コンラッドは第三書庫でひっそりとバイオリンを弾いていた。


 第三書庫は北側に建てたせいで部屋の湿度が高いため、重要な書物は置かれていない。棟の端にあり人の出入りも少ないので、ここで王子が一人で楽器を演奏していてもまず人目につくことはない。


 曲は、バイオリンとピアノのための合奏曲。かつてコンラッドとクローディアが、それぞれバイオリンとピアノで何度も練習した曲だ。


 決して演奏技術が高いとは言えないが、ピアノの欠けたその響きには聞く者の心に沁みるような何かがあった。風がカーテンを大きく翻す。書庫はどの窓も全て開いていた。演奏前にコンラッドが開けたのだ。


 この第三書庫は使用人達の部屋のある棟に近い。ここで演奏すればクローディアにも届くだろうという思いで、コンラッドはこの観客のいない独演会に踏み切ったのだった。


 だが、最後まで演奏することはできなかった。真っ直ぐな眉をした侍女がコンラッドを探して書庫にやって来たからだ。


「コンラッド様。こちらにおいででしたか」


 侍女の声色には、こんなところにいたのかという響きがあった。想い人へ捧げる演奏を邪魔されたコンラッドは、弓を持つ手を下ろして少し苛ついた顔で侍女を見た。


「何の用だ」


「陛下がお呼びです」


「父上が? 急ぎの話か」


「至急とは言づかっておりませんが、舞踏会の前に話があるとのことでしたので至急ということになるかと」


 侍女の生真面目な説明に、コンラッドは小さくため息をついた。

 この城の中で起きた大事を、国王の目から隠し通すのは難しい。それとも、自分の決意を兄のユリシーズ王子が父に知らせたのかもしれないなとコンラッドは思った。


 何にせよ、父と対峙することは避けられない。父がクローディアに危害を加える気ならとっくにやっているだろうが、念のため彼女を一人にしない方がいいかもしれない。


「バイオリンを戻したら、彼女の部屋へ行け。私から連絡が行くまで彼女から離れるな」


「畏まりました」


 コンラッドはバイオリンと弓を侍女に預けて、国王の私室に向かった。








 王城の最上階、国王の私室の前の通路にノックの音が響く。


「入れ」


 返ってきたのはくぐもった声だった。


「失礼致します」


 コンラッドが部屋に入ると、父であるウィンフィールド国王はベッドの上に伏せて体格の良い侍女に腰を揉ませているところだった。


 実の父とはいえ、あまり見ていて気持ちの良い姿ではない。何故そんな状態なのに自分に部屋に入る許可を出したのか、コンラッドは理解に苦しむ。


「……私をお呼びですか、父上」


「そうだ。何故呼ばれたのかは分かっているな?」


「そのつもりです」


「ああ、そこをもっと強く。……うう、いや、もっとだ。……、そう、ああ、楽になる、楽になる……」


 コンラッドは露骨に顔をしかめた。マッサージに喘ぐ老人の声など、コンラッドにとっては決して聞きたい類いのものではない。国

 王にはこういうある種の露悪的な部分があり、二人の息子にはどんな姿も平気で見せるのだ。


「マッサージにお時間が掛かりそうであれば、出直して参りますが」


 流石にそんな声を聞きながら自分の将来の話をする気にはなれず、むっとしてコンラッドは言った。


「いや。もう良い、下がれ」


 恰幅の良い侍女はベッドから降りると、両手を腹のあたりに当てて国王に丁寧に頭を下げた。そしてコンラッドにも頭を下げて扉を開けると、失礼いたしますと言ってまた頭を下げた。扉が静かに閉まる。


 足音が遠ざかるのを待って、コンラッドは口を開いた。


「……兄上から話を聞いたのですか」


「我が城で我が息子たる王子が国を捨てると宣言して、余の耳まで届かぬと思ったか?」


 国王はゆっくりとうつ伏せから仰向けに姿勢を変え、大きく息をついた。


「ああ、また今日も何時間も玉座の置き石か。腰が保たんわ」


 舞踏会の間じゅう座っていなければならない国王は、腰痛を悪化させてしまったらしい。


「……国を捨てる訳ではありません。ただ、彼女と共にある人生を選ぶだけです」


「同じことだ。黴臭い小僧め、余計なことをしおって。全く、何のつもりなのだ」


 国王の言う黴臭い小僧というのは、ベルンシュタイン帝国の皇帝のことだ。

 雨の多いベルンシュタインではともすれば家屋に黴が生えやすい。もちろん皇城には黴などないが、比較的乾燥した気候のウィンフィールド人はベルンシュタインをよくそう揶揄する。


「彼女を妃にできるのであれば、喜んで王にもなりますが」


「愚か者め。王とは、王位とはそれほど軽いものではない」


 国王は顔をしかめてベッドに手をつき、苦労して上半身を起こした。乱れた髪を直す侍女はここにはいない。


「王に仇なした男の娘を娶るなど、己を慰める妄想に過ぎぬ。現実に歩むことは許されぬ道だ。……だがあの小僧と違って余は鬼ではない。正妃に拘らなければ、お前の愛人の一人として離宮に置くことは許さぬこともないぞ」


「彼女は長い間その立場に苦しんできました。あれほど気高く自信に満ちていた彼女が、今や見る陰もない。私は彼女を日陰に閉じ込める気はありません」


 コンラッドは、彼女の手を一度は離してしまったことへの後悔の滲む顔で答えた。


「全てを望み通りにしたいと言うのか」


「この国でそれが不可能であれば、私はベルンシュタインへ渡ります。身分も財産も何も要らない。彼女が私の全てなのです」


「あの娘の父が余を殺し、王家の地位を簒奪せんと謀りおったことはそれほどお前にとって軽いのだな」


「軽んじてなどいません」


「だが、この父よりもあの娘を選ぶと言うのだろう?」


「父上には私がいなくとも、周りにたくさんの人がおります。それに、地位を奪おうとしたというのは正確ではないかと。叔父上は、ギビンズ侯爵は決して父上の命を脅かそうとした訳ではなく、ただこの国の体制を──」


 そう言ってしまってから、余りにも迂闊な発言だったとコンラッドは気づいた。民主化運動を肯定するような言葉に国王は呆れ、絶望して小さく口を開けた。


「……お前は本当に王家の血を引いているのか?」


 国王はおぞましいものを見る目でコンラッドを見た。


「もしも余があの内乱を鎮めていなければ、王の血を引く者としてお前も殺されていたのだぞ」


「その可能性は否定しません」


「何が可能性だ。王政復古の可能性を奴らが残すと思うてか!」


 声を荒げてもコンラッドは動じず、国王は憎々しげに顔を歪めた。


「お前は洗脳されたのだ。あの娘に騙されておる」


「いいえ。彼女と再会して今の私の考えに至った訳ではありません。それに彼女は、私との婚姻を強く望んでいる訳ではありません」


 首を振ったコンラッドは正直に現状を説明した。国王は告げられた現状と、その現状を対峙している自分にあっさり告げる息子に驚いたようだった。


「……フッ。愚かな。お前の暴走か」


「今のところは、そうかもしれません。ですが恐らく彼女は、私を愛しています」


 恋に狂ったとしか思えない息子の言葉に、国王は背を丸めてふうっと大きく息をついた。腰をさするその姿は、豪華な調度品や高級な衣類がなければ、どこにでもいる老人そのものだった。


「ああ、ますますあの小僧の考えが分からなくなったわ。ただの気まぐれか、それとも……いや、あやつの考えなど推し量るだけ無駄というものか。半島を捨ててまでただの小島を獲るような小僧だからな」


 ベルンシュタイン皇帝への警戒とも愚痴とも取れる文言を、ぶつぶつと国王は呟いた。


「あの娘を娶れば黴くさい小僧を敵に回すことになるが、それは分かっておるのか」


「はい」


「帝国との戦の引き金になるやも知れぬ」


「私はそうは思いません」


「相手は気の狂った小僧だぞ、何をするか分からぬ。下手をすれば、お前の色事のせいで何万という民が死ぬことになる」


 兄と同じことを言うのだなとコンラッドは思った。二人とも、不安や罪悪感を持たせて人の行動をコントロールしようとしている。


「万一そのような流れになれば食い止めます」


「ハッ。お前に何ができる、お前に誰を動かせる? 部屋に引きこもって呑気に楽器なぞ弾いて、己の楽だけを優先し続けてきた者に、歴史の流れなど変えられぬわ!」


 国王は息子を嘲笑った。それは事実だっただけに、コンラッドの胸を鋭く抉った。


 だがこの国の王子は一人ではない。自分が国を出ることで兄が王位を継ぐ決意をするならば、王弟の息子マーヴィンが王になるよりも民にとってはずっといいはずだとコンラッドは前向きに捉えている。


「私には無理でも、兄上ならば万一の事態を回避できるでしょう」


「兄頼りか」


 国王の侮蔑の視線を跳ね返すように、コンラッドは視線に力を込めた。


「何と誹られても構いません。とにかく、私にはもう彼女を妻にする以外の道はないのです。運命には抗えません」


「……」


「母上には既に話をしてあります。これまでのことは父上に感謝してもし切れませんが、父上もどうかご理解下さい」


 淡々と言って、コンラッドは扉へと歩き始める。謀反の企てに叔父が名を連ねていた血の四日間の後、コンラッドは自分なりに父の顔色を窺い機嫌を損ねないように生きて来た。


 ようやく生殺与奪の権利を父に握られる不自由な暮らしから離れられると思うと、捻くれてはいるが根は単純なコンラッドは少し嬉しいとさえ思った。


 国王は皺の刻まれた痩せた手で目元を覆い、扉の閉まる音を待った。足音が遠ざかっていく。国王は呪いを掛けるような目つきで息子の去った扉を見ていたが、やがて二間続きで隣接する部屋の樫の扉に視線を移した。


「運命か……。己こそが正義と信じて疑わぬあの驕りは、我が父と瓜二つよ。そうは思わぬか、マーヴィン」


「はっ」


 扉の向こうから、くぐもった声が返ってくる。扉が静かに開いて、中年の男が口元の笑みを手で隠すようにしながら王の寝室へ歩を進めた。



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