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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第二章 青すぎる空
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孤独な揺らぎ



 コンラッドは金色に輝く真鍮のじょうろを、丁寧に雫を切ってから出窓の天板に置いた。王室御用達の鋳物職人に勧められるがままに特注で作ったじょうろだ。

 緑と白が筋状に混じった観葉植物の葉の上に残っている水玉に触れ、導くように葉を押し下げて水玉を植木鉢の土に落とす。コンラッドは物憂げな顔で濡れた指先をじっと見下ろした。


「……」


 今夜から始まる宮廷舞踏会には、普段国交のあまりないベルンシュタイン帝国からも姫君が来ている。ベルンシュタインから来た姫君に、従姉妹のクローディアのその後の暮らしのことを聞くべきかコンラッドは迷っていた。


 クローディアはコンラッドの母の弟ギビンズ侯爵の娘だが、数年前の血の四日間と呼ばれる政変で侯爵は息子とともに死罪となってしまった。その後クローディアは母である侯爵夫人とともに国外追放となり、母の祖国ベルンシュタインに渡ったのだった。

 彼女がこの国を去った直後はコンラッドも離宮で謹慎させられてそれどころではなかったし、王城に戻ることを許された後も父の怒りを買わないようにすることで精一杯だった。クローディアのことを考えかけるとすぐに、コンラッドは無理にでも心に蓋をして押し込めていた。


 だが年月が経つにつれて負の感情は薄れ、彼女とのことを冷静に振り返る時間が増えてきた。母の実家に身を寄せたとはいえ、今クローディアが安寧な暮らしが送れているという保証はない。それにあの容姿だ、言い寄る男は後を絶えないだろう。彼女がもし結婚して誰かの妻になっているとしたら、自分は何を思うのか。そして確率は低いだろうが、彼女がまだ一人でいると聞いたなら何を思うのか。


 コンラッドは湿った人差し指を強く親指に押し付けた。指先が少し白くなる。ふいにノックが三回鳴らされた。


「……入れ」


 自然と不機嫌な声になる。コンラッドは王族だが、楽しくもないのに愛想良く振る舞うのは媚びを売ることと同じだと思っている。扉が予想よりも遙かに大きく開いて、コンラッドは僅かに目を見開いた。


「ヨゼフィーネ、一緒に散歩に……あれ?」


 犬の子のように勢いよく入ってきたのは、緑色のドレスを着た髪の短い娘だった。コンラッドを見て間抜けな声を上げると、娘はきょろきょろと丸い目で不躾に室内を見回した。それからまたコンラッドを見る。


「ヨゼフィーネは?」


「誰だそれは」


 コンラッドは間髪入れずに短く答えた。ヨゼフィーネというのはベルンシュタインの女性の名だ。当然ながらコンラッドには聞き覚えがない。

 娘の手に白い絹のイブニンググローブが皺になるような雑な握り方で握られているのを見て、コンラッドはぎょっとした。格好は正装なのだから、食事などの時以外はグローブを着用したままでいるべきだとコンラッドは小姑のように思った。


「無礼者め。ここはベルンシュタイン女の部屋などではないぞ」


「えっ。じゃあヨゼフィーネたちの部屋は?」


 一瞬きょとんとした後でロアは眉を下げた。この状況で臆すこともなくまだ自分と会話を続けようとするとは、何と無礼で大胆な娘だろうとコンラッドは不快感を露わにする。


「知るか!」


「そう。間違えてごめんなさい、お邪魔しました」


 冷たい叫びにもロアはそれほど気にすることもなく頭を下げ、ドレスをわしっと掴むと優雅さとはほど遠い足取りで部屋を出て行こうとした。

 コンラッドは頭の中で娘の口から出た名を繰り返した。ヨゼフィーネ。この娘がベルンシュタインと縁のある人物なのは間違いないだろう。コンラッドはごくりと息を飲んだ。


「……おい」


「はい?」


 ロアは素直に振り返る。その緑の瞳を見つめながら、コンラッドは逡巡しながら尋ねる。


「お前は、ベルンシュタインから来たのか」


「うん、そうだけど」


 扉に体は正対し顔だけ振り返っていたロアは、どうやら話がまだ続きそうだと判断してコンラッドに向き合うとドレスを掴んでいた手を離した。コンラッドは少し考えてから口を開いた。


「……私はコンラッド・ウィンフィールド。この国の第二王子だ」


「はあ。…………ええっ!」


 突然の名乗りにロアはぼんやりした返答をしてから、相手の身分を正しく理解して大声を出した。コンラッドという名にはどことなく聞き覚えがあるような気がしたが、顔に見覚えは全くない。ロアは慌ててぺこりと頭を下げた。


「わあ、王子様でしたか。失礼しました、ごめんなさい!」


 今この部屋には自分とロアの二人きりだ。千載一遇の好機かもしれないとコンラッドは勢いづき、またごくりと息を飲む。


「ベルンシュタインから来たと言ったな」


「はい。父はトラウゴット・ジャンメール、ベルンシュタインの男爵です」


「ジャンメール。…………ベルンシュタインの、カサンドラ・ギビンズを知っているか」


 敢えてクローディアの名ではなく、その母の名から質問する。義理とはいえ自分の叔母だ、気に掛けていることがもし周囲に漏れても何ら不自然ではないだろう。心臓がドクドクと鳴っている。


「ギビンズ? 知らない。じゃなかった、知りません」


 ロアはけろりとした表情のまま首を振った。コンラッドは落胆したが、一度火の付いた心は質問を続けた。


「そうか。ではハインミュラー家を知っているか」


「それはもちろん。ベルンシュタインに二つしかない公爵家ですから」


 知っていることを誇ってロアは胸を張ったが、ハインミュラー家の名は周辺国の貴族ならベルンシュタイン人でなくともほとんどの者が知っている。


「ハインミュラーについて詳しく聞きたい」


「どうしてですか?」


「私が質問しているのだ。答える気がないなら出て行け」


「な……!」


 あまりに高慢なコンラッドの物言いにロアは口を尖らせたが、相手は王子なのだと自分に言い聞かせて口元を引き締める。


「ええと、ハインミュラーはベルンシュタインの北東を治めている領主で、」


「そういうことを聞いているのではない」


 愚か者めと蔑むような声色に、出鼻をくじかれたロアはまたムッとする。


「じゃあ何が聞きたいんですか」


 コンラッドは目を逸らした。


「……カサンドラ・ギビンズのことを知りたいからだ。いや、今はギビンズの名は捨てているかもしれないな。とにかく、ハインミュラーの出戻りとその娘が、今どうしているのかを知りたい」


「出戻り?」


 ロアはぽかんとしている。世間慣れしていないのは扱いやすくていいと思ったが、肝心の社交界の情報をまるで持っていないのだなとコンラッドは半眼になった。これでは何の役にも立たない。コンラッドはひどく失望した。


「……いや、分かった。もういい。帰っていいぞ、このことは他言無用だ」


 ギビンズという響きを口にしただけでまだ胸が痛むのに、勇気を出して尋ねた結果がこれだ。この後の舞踏会でベルンシュタインから来た誰かと話す機会があっても、二度と同じ質問はできないだろうと思った。

 事情はまるで知らないがコンラッドの深い落胆の表情に気づいたロアは、荒々しくドレスを掴むと走り出した。


「待っててください、マヌエラに聞いてきますから!」


「マヌエラ? おい待て、余計なことはするな!」


 だがロアは声を振り切って廊下に出た。





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