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第2話 脈動の透目

 首筋に当てられた剣先の冷たさは、剣そのものよりも持ち主の心の内を代弁しているかのように思えた。


 シヴィラは眼前に立つ男、帝政リヴィエト・マノロヴァ朝皇帝ツァーベル・マノロフに頭と垂れ、その無言の視線を受け続けている。


 おおよそ十年ぶりの再会であったが、その周囲に吹き荒れる吹雪の如く凍てついた心が溶けることはなく、今も好悪の入り交じった感情を自分に向けていることがシヴィラには痛いほどよく分かった。




「自身を神格化し、帝国を破綻させるまではよかったが。――ふ、よき敵手を産んだことは評価してやるとするか」




 耳に届く声とともに剣先が首筋から離れると、白皙の肌に赤い線がゆっくりと滲みはじめる。


 ツァーベルの言は、それがなければこの首が落ちていた。と言うことを言外に告げている。


 パルティノンに乱を起こし、皇帝を始めとする皇族や上層部を討ち果たしたまではよかったが、その後の政権の暴政が人々に帝政への回帰を覚えさせ、結果として帝国の崩壊を呼び込むことなく“聖帝”フェスティアの登極を許すことになった。


 とはいえ、そのまま傀儡として教団の意のままに操り、リヴィエトの侵攻を迎えた後処刑台にて首を刎ねられるだけの存在であればよかった。


 だが、彼女はシヴィラにとっても想像の上を行く存在であり、逆に今の自分は教団崩壊の象徴として処断されるべく生かされ続けていると見てもよかった。




「いつまでそうしているのだ? 一国も掌握できぬような者にこれ以上の用はない」


「……は」




 そんなことを考えていたシヴィラであったが、思わず顔を上げ、ツァーベルへと視線を向ける。最後にこの場にて顔を合わせてからおよそ十年。


 覇気に満ちあふれていた大帝としての姿は変わらぬが、永遠なる生の許される人の身は、彼にも確実に老いの訪れを感じさせている。


 そして、そんなシヴィラの視線の意図を感じ取ったのか、風よりも速く腕を伸ばしたツァーベルはシヴィラの胸元を掴んで自身の元へと引きずり寄せると、乱暴に伸ばされた髪を引っ張る。



「なんだ、その目は?」


「…………」


「貴様のこの髪、その緑色の目。それが、ほんの僅かでも貴様の母の面影を感じさせていなければ、とうにその首は胴から離れているということを忘れるな?」


「……しかと心得ております。――お父様」


「っ!! ……もうよい。行けっ。貴様の役目はもう終わった」




 髪を引かれる痛みや胸元を詰められる苦しさを感じるが、それ以上に空虚な感覚が著しい。


 生まれ落ちたその日から自身を苦しめる記憶と父親から感じる愛憎。


 この世界での母親の温もりすら知らぬ身としては、家族やその他の愛情の類が欠落している様子であったのだが、それでも父親が自分の姿に苦しみ続けていることは分かっていた。




(私とて好きで生まれてきたわけではない。ようやく、解放されると思っていたのに……)



 天主を辞し、階下へと通じる緩やかな階段を下りながら、無表情にそんなことを考えていたシヴィラであったが、階下から歩み寄ってくる人物の姿に思わず足を止める。




「これは、皇女様……。お久しぶりでございます」


「サリア……、いや、今は総参謀長どのでしたね」


「サリアでよいですわ。――お美しくなられました」


「あなたには負けるわ」




 シヴィラの姿を認め、柔らかな笑みを浮かべながら歩み寄ってくる女性ヴェルサリア。


 シヴィラがこの世に生を受けた頃より、ツァーベルの側にあり、母親を知らぬシヴィラにとっては育ての親のような女性であったが、シヴィラにとっては現存する“唯一”といってもよい苦痛を抱かせる相手でもあった。



(似ているのよ……。その、偽善めいた笑みが)



 笑みを浮かべて自身を見つめてくるヴェルサリアであったが、今となってはその笑みの下に隠れる血に塗れた素顔をシヴィラは知っている。


 それが、父ツァーベルのためであることも、自分自身のためであることも知ってはいるのだが、それはいまだに自分自身を苦しめる女性の姿と重なるのである。


 手段は違えど、その身を擲ってまで他人に尽くす女性。その姿勢や考え方はシヴィラには受け入れがたいものであった。




「久しぶりの再会を分かち合いたいところだけれど、私は戻らないと。多分、二度と会うことはないでしょうけどね」


「そんな、悲しいことをおっしゃらずに。陛下とともに必ずや皇女様をお迎えに上がりますわ」


「そう……。それじゃあ、その日を楽しみに待っているわ」




 それまでたわいない会話をもって再会を祝していたシヴィラであったが、ほんの僅かな間で耐えきれなくなり、一方的に言葉を切ると、そそくさとヴェルサリアの元を去り、長く続く階段を下っていく。


 天主と呼ばれるこの浮遊要塞最上部に位置する皇帝の私室。


 参謀総長という地位にある彼女がそこを訪れるのは、軍事の関係上特段めずらしいことではないが、二人の関係を考えれば何があるかは容易に想像がつく。


 思えば、彼女が十代の頃から続いている関係である。その場に自分が入りこむことなど、不可能であるともシヴィラは思った。




「ともに……ね」




 そんなことを考えていたシヴィラは、ふと足を止め、そう呟く。


 ヴェルサリアの言の意味は、たしかにこの戦いに勝利を収めれば実現に近づく話であろう。


 先ほどまで、父親に対して空虚な感情を抱いて彼女であったが、今ではそれの実現をどこかで願う気持ちと、父親に対する複雑な思いが心の内に存在していることに気付いたのであった。




「馬鹿馬鹿しい……」




 静かにそう呟いたシヴィラは、足早にその場を後にすると宛がわれている私室へ足を向ける。


 よけいな感情を抱くよりも、これからの身の振り方を決めることの方が先決であったのだ。




「お帰りなさいませ。――お父上との再会はいかがなものでしたか?」


「うるさい」




 居室へと戻ったシヴィラを出迎えたのは、先日久方ぶりに自分の元へと現れたロジェス。かつて、自分をともなってパルティノンへと侵入し、北辺の片田舎にあった伝承を用いて民を扇動した男。


 今回もまた、彼が率いる教団内部の狂信派の決起と呼応して帝都よりの脱出を誓願されているが、シヴィラは態度を保留している。


 ツァーベルからは自身の役目は終わったという言質をとっているのだし、以前のような冷徹な面よりも結果を求める焦りが表面化して来ているのだ。




「それにしても、競争相手は参謀総長ですって。あなたは教団の要職からも外されている身。差がついたわね」


「私の望みは祖国の勝利であります故」


「ふうん」




 他者のいる場では慇懃な態度で接してくるが、二人きりの時は今のように嫌味の一つもぶつけてくる。


 めずらしくお返しとばかりに口を開いたシヴィラであったが、ロジェスにとっては特段の嫌味にもならなかった様子だった。




「して、大帝のご下命は如何様に?」


「役目はもう終わったそうよ。だから、好きなようにさせてもらうわ」




 そう言うと、シヴィラはゆっくりと腕をかざすと指先から一筋の雫を床へと落とす。


 床にてはじけたそれは、二人の足元で大きく広がり、やがて蠢く方陣へと変わっていく。




「では、我々とともに来ていただけますね?」


「嫌」


「……なに?」




 方陣が蠢く様を見つめながら、ロジェスが表情を整えつつそう口を開くが、シヴィラは彼の問い掛けに短く答えると、ロジェスは目を軽く見開きつつ眉を顰める。




「好きにさせてもらう。って言ったわ」


「……信徒達はいかがなさるのですか? 皆、あなたを信じて付き従ってきたのですぞ」


「知らないわよ。あんなイカれた連中のことなんて」


「…………」




 シヴィラのとりつく島もない態度に、ロジェスはやや言葉を振るわせながら彼女の元へと歩み寄る。しかし、シヴィラが『天の巫女』という天の代弁者であることはまやかしであれど、その身に宿す力そのものは本物である。


 ロジェスとて、キーリアと戦うことの出来る実力者ではあるが、それでもシヴィラにとっては取るに足らない相手。


 腕力でもって、従わせることなど不可能であった。





「…………では、我々も好きにさせていただきます。よろしいですね?」


「ええ。好きにすれば?」


「分かりました。――ひとつ、嫌がらせをさせていただきましょう」


「何よ?」




 一瞬、我を忘れかけたロジェスであったが、すぐに平静を取り戻すと、巫女からしっかりと言質をとり、その場では身を引く。


 彼女が興味を失った以上、彼女の名を出して何をしようがこちらの自由。シヴィラ自身、自分へと向けられた悪名に対しては頓着がないのである。


 だが、そのまま操り人形以上の価値がある女を手放すというのも悔しく思えたロジェスは、先頃得た一つの事実を思い出し、含みを持たせたまま口を開く。


 それは、シヴィラにとっては何よりも受け入れがたい事実であるという確信もあった。




「あの男。かつては十川和将と名乗っていた帝国第四皇子アイアース・ヴァン・ロクリスは生きております。美空様」


「え……?」



 ロジェスの言に、目を見開いたまま思考を停止させるシヴィラ。


 その名が耳を通し、彼女を脳裏へと届く僅かな間に、様々な事象が彼女の目の前には重なり合っていた。


 そうして、ロジェス自身、この世で唯一彼女と共有する事実を知る人間であるという自負があり、彼女にとってはその名が心をかき乱すという事実もまた彼は知り尽くしていた。




「それでは。私は失礼いたします」




 眼前で白皙の肌を青白くさせるシヴィラの姿を目にしたロジェスは、口元に笑みを浮かべながら方陣の中へと消えていく。


 その様子をシヴィラは呆然としたまま見送っていた。



◇◆◇◆◇



 ペテルポリス陥落の報からおよそ一月。


 帝国全土を覆っていた動揺は息を潜めはじめ、それと呼応するかのように敵の侵攻自体も停滞している。


 すでにスカルヴィナ、カレリアの両地方を制圧し、ルーシャ地方への足がかりも得ている敵、帝政リヴィエト・マノロヴァ王朝。


 厳冬期にあえて北辺に侵攻することでこちらの手足を縛り、確実に北辺を征圧。


 その後は冬の終わりを待って南下策に出てくると思われるが、敵の全容はいまだに知れてはいない。


 後方に敵本拠地と思われる巨大な浮遊要塞。現実には、浮遊島とも大陸とも言えるほどの規模であり、自給自足は十分可能であると予想される。


 となれば、敵の兵站に関しては盤石とまでは言えないまでも強固なものであると予想できる。


 冬が去れば、制圧した北辺からの収穫も期待出来るのだ。




「ふう……」




 フェスティアは並べられた報告の数々から目を外し、執務椅子に背を預けると天井を仰ぎ見る。


 その様子を見て取った侍女がそそくさと近づき執務机に香りのよい茶を注いでいく。




「陛下、あまりご無理は……。お身体に障りますぞ?」


「春の訪れ頃には安定する。元々私のような女は腹の膨らみが邪魔をすることはないし、今は座ったままの職務をこなしておくべき時だ」


「……まさか、そのお身体で?」


「私が行かねば誰が行くというのだ? 帝室の伝統を私の代で断つわけにはいかぬ」




 疲れを見せるフェスティアに対し、同じく執務を置こなっているゼークトが口を開く。しかし、フェスティアにとってはまだまだ無理の利く頃だという思いがあり、休むという行為を即座に否定する。


 とはいえ、皇帝直々に決済をする必要もなく、幕僚総長や各書令達の判断に任せてよい部分も多い。


 フェスティアが直々に目を通しているのは、あくまでも個人的な現状把握という目的がある。


 自身の才覚を疑っていないフェスティアにとっては、自分自身の判断がすべてを決すと言うことも理解しており、それ故に必要な情報を頭に入れておく時間はほんの一秒ですら惜しいのだった。




「現状、敵軍との決戦はまだまだ先のこととも思われます。陛下のご出馬が必要になるときは、帝国の敗北が姿を見せ始めた時と言うことになりますぞ? そして……」


「我々の辞書に敗北という文字はない。か? 名誉ある停戦という文字もあるがな」


「その停戦も、相手の服属という形でのものであります。陛下」


「ほう? 貴様がそれを言うか? 出来もせぬことを口にする男ではないと思っていたのだが」


「今、この場には大言壮語をするものがおりませぬ故」


「いちいち道化にならんでよい」




 皇帝が前線に立つということは、帝国草創期より続いている慣習である。


 当然、フェスティアもそれに倣うつもりであるし、彼女自身が赴けないときはリリスに場を託すことで、形の上でもそれを為してきた。


 だが、その形が通じるのも、領土紛争の類まで。


 国家の存亡をかけた決戦を影武者に任せることなど、それまでの帝国にあってはあり得ぬことである。


 とはいえ、それは後継となる人物が幾人も揃っていたという側面もある。


 皇帝の戦死は、次代の皇帝への餞となり、弔いと称しての戦意の高揚に一役買っているという歴史もあった。


 尚武の気風を色濃く引き継ぐ帝室にあって、後継者の養育は徹底され、それ故に皇后や皇妃となる人間も厳しく選定されているのだった。


 だが、今の帝国には、皇帝フェスティアただ一人が、正当なる皇族の血を受け継いでいる。


 即ち、フェスティアの死が帝国の正当性の消滅を意味するのである。そして、彼女は次代の皇帝たる子を身籠もっており、絶対に失ってはならぬ存在である。


 そして、戦場に絶対は無く、いかな無双の強者であってもたった一本の流れ矢によって命を奪われる可能性も無ではない。


 ゼークトのような重臣にとっては、フェスティアは単なる君主以上の存在であるのだ。




「ふ……っ、なんにせよ、侵略者どもはのんびりと冬ごもりだ。こちらに時間を与えたことを精々後悔させてやるとしよう」



 だが、フェスティアにとっては戦いこそが人生である。


 かつて、自身に向けられた渾名を誇らしくも重荷にも感じる日々があった。とはいえ、初めての敗北とそれ以降続いた数々の絶望。


 それらは決して脳裏から消えることはないが、戦の場にあってこそそれが薄れていく。


 戦いを愉しむ。


 それは、皇帝たる地位にある人間に許されることではないのかも知れなかったが、彼女はその事実だけは誰に対しても譲るつもりはなかったのである。




「失礼いたします。陛下……、早急に面会を希望している者達が」


「? どういうことだ?」




 そんなフェスティア達の元へ、彼女と外見を同じくする女性キーリア、リリスがやって来て口を開く。しかし、今のフェスティアに他人をかまう余裕は無く、リリスはおろか各書令達にもその場で追い返すよう告げている。


 だからこそ、やって来たリリスに対してフェスティアは首を傾げたのだった。




「こちらの……」




 ばつが悪そうな表情を浮かべたリリスであったが、入室してきた二人の女を一瞥したフェスティアはリリスの心情を理解すると同時に、嫌悪を隠すことなく表情に出す。


 そして、その美しく整った顔に、嗜虐的な笑みを浮かべながら、台座におかれた双剣を手に取ると静かに口を開く。




「揃ってのご登場か。首を討たれる覚悟は出来ているのか?」


「我々はいつでも国家に対する忠臣でありまする。故に、そのような覚悟などは不要でございます」



 そんなフェスティアの言に対して、二人の内の一人フォティーナもまた不敵な笑みを浮かべて答えたのであった。

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