第28話 白銀の挽歌⑦
渓谷の出口に気配を感じたときには、地面を蹴っていた。
本能の赴くままに剣を振るい、舞い上がる獣の首。人間のそれより巨大な首は、再び吹き荒れ始めた風に舞いながら、雪原に落下し、赤く染め上げた雪を舞あげる。
「来いっ、侵略者どもっ!!」
突然吹き飛んだ仲間の首に、一瞬だけ呆気にとられた獣たち。しかし、元は本能のままに戦う生物。すぐにその身に与えられた強大な力を解放し、カミサの町へと雪崩れ込んでいく。
待ち受けるキーリア等が一斉に舞い、近衛兵達が援護の矢や法術を浴びせかけ、方々で血飛沫が舞い上がり、断末魔がこだまする。
先鋒を担った少年もまた、雪崩れ込んでくる獣たちの群れへと身を投じ、両の手に握りしめた剣を縦横に振るい、状況に応じて全身に仕込んだ暗器を投じる。
獣たちも、牛や獅子を模った者から、土人形のような外見の者、鳥のような外見の者など様々。
だが、共通していることは、一体一体がキーリアとほぼ同等かそれ以上の強さを持ち得ていることであった。
馬を操り、目を閉ざすパーシエことテルノアの脳裏に流れ込んでくるのはそんな光景。
壮絶と言ってよい戦いがそこにはあり、テルノア自身最後尾に控えていることを今更ながら後悔していた。
「まさか、こんなことまで出来るとはねえ」
目を見開くと、傍らにて馬を進める男へと向き直る。
賞賛めいた口調であったのだが、男は表情を変えぬまま馬を進め、ゆっくりとそれに答える。
「遠見の一種だ。貴様が感じ取った戦いの気配を辿れば容易い」
「容易い。ねえ……。じゃあ、なんであの連中を投入することをためらう?」
「新鋭達の活躍の場を奪う気はない」
「そんな気遣いは必要ないわよ」
「ふん、なれば好きにせよ。私にとっては、ヤツ等が役に立つか否かという事実だけが必要だ」
相変わらず抑揚に乏しい口調でそう言った男は、法科将軍ヴェージェフ。
彼にとって、テルノアは監視対象という事実だけがあり、自身の兵達のことなどを気にするつもりはない。
「なんだい。はじめっからそう言えばいいんだよ。ガル、采配はあんたに任せる。やってやりな」
「へいっ!!」
ヴェージェフの言に、不機嫌そうに応じたテルノアは、傍らにて馬を進める腹心へと視線を向ける。
そんなテルノアの言を受けた、ガル・イナルテュクは力強く頷くと彼らの前面に音もなく前進する一軍の元へと馬を走らせる。
先頃、キーリア達と剣を交えた際には、力の加減を誤って暴走したり、油断から全身をボロボロにされる場面もあったのだが、元々は兵を率いての戦いに生きがいを感じる猛将である。
そして、眼前にいる兵士達の元へと辿り着いたイナルテュクが腕を掲げると、手にした輝石が光を放ち、軍勢の一部が消えていく。
それを見て取ったヴェージェフが、自身の傍らを歩く者達を一瞥すると、彼らもまた輝石を取りだし、消えていく軍勢に倣う。
「さあて、私が行くまでに、すべてが終わっていなければいいけど」
そう呟いたテルノアの周囲には、雪の白さがもたらす明るさだけが灯る闇の世界が広がっていた。それは、彼女の心の奥底に広がる何かを証明するかのようでもあった。
◇◆◇◆◇
孔雀の如き飾り羽が縦横に伸び、周囲の建物ごと兵士やキーリア達の肉体を斬り裂いていく。
変幻に動くそれは予測が難しく、圧倒的な膂力に拠った攻撃よりもやっかいであった。
しかし、本当の脅威は両者が複合した場合。
幸いにして、獣たちは自身の能力に頼った力押し戦闘が主であり、互いの攻撃がぶつかり合って相殺されることも少なくはなかった。
今も、孔雀型の獣が牛型の獣に飾り羽による攻撃を妨害され、苛立ちを建造物へとぶつけている。
その隙を突いたアイアースは、眼前を踊る飾り羽を斬り落とすと、一気に懐にまで突っこむ。それを察した獣が羽と一体になった腕を振るってくる。
迫り来る強靱な爪。しかし、見切ってしまえばどうと言うことはない。わずかに後方へと飛び退くと、鼻先を掠める爪先。
前髪がいくらか舞い上がるのを見て取ると、手にした剣をためらうことなく振るった。
吹き上がる鮮血。
この血の赤さが、彼らがかつては人間であったことを証明しているようににアイアースには思える。
そして、バランスを崩して崩れ落ちかける獣の腹に連続斬りを加えてさらにダメージを与えると、獣の頭部から顎に駆けて突き刺さる剣。
視線を向けると、崩れ落ちた獣とともに地面へと降り立ったハーヴェイの表情が目に映る。
一瞬交錯する視線。
アイアースを睨み付けるように眼を細めたハーヴェイは、傍らの獣へと飛び掛かり、笑みを浮かべながらその全身を切り刻む。
全身を襲う痛みに断末魔をあげる獣。アイアースもまた、ハーヴェイに続くように斬りかかり、脇を駆け抜けながら片腕を斬り飛ばすと即座に地面を蹴って後方へと跳躍し、身体を錐揉みさせながら相手の背後へと襲いかかる。
しかし、全身の痛みに耐えつつも、獣はその強力な跳躍力と瞬発力でアイアースの攻撃を避け、巨体を虚空へと舞い上がらせる。
なおも続く断末魔。やがてそれは、痛みから怒りへと変わっていく。だが、それはそこで終わりであった。
二人の一連の戦いを見ていた女性キーリアが、獣を追い越すように跳躍しており、それに獣が気付いたときには、その首筋を白刃が通過していた。
周囲の雪が赤く染まっていき、落下した頭部が粉雪を盛大に舞いあげる。
血の降り立ったアイアースは、ふっと息を一つはいた。背後に立つ人。
先ほどの女性キーリア、ファナがやや上ずった口調でアイアースに対して口を開く。
「殿下っ、な、何とかやれましたっ!!」
「十分だ。昨日のあれで自信がついたか?」
「っっ!? そ、そうかも知れません」
「よしっ、じゃあ行くぞっ!!」
思わずからかうような口調になるアイアースに対し、瞬時に顔を紅潮させるファナであったが、それでも年長者の意地で声を上ずらせながらも軽口を叩く。
それを聞いたアイアースは、再び地面を蹴ると、他のキーリアと交戦中の獣の横腹に鳶蹴りを見舞い、獣を建物の外壁へと叩きつけ、勢いそのままに首筋を剣で薙ぐ。
背後に殺気。アイアースは、剣を振るった勢いのまま身体を回転させ、背後に躍りかかってきた獣の膝を斬りつける。
不意を突いたはずが、膝を折られる形になって崩れ落ちた獣を、上空から落下する形で両断するミュラー。
こちらは目と目が合うと、互いに口元に笑みを浮かべ、脇すり抜けて次なる標的へと向かう。
不意に上空から金切り音。見ると、鳥型の獣がその飾り羽をアイアースに向けて一斉に振るってきている。
「っ!?」
完全な不意打ち。地面に身体を投げ出しながら、突き立つそれをかわし、正面に向かってくるものを叩き落とす。
しかし、高速で飛来し続けるそれをかわしきるのも限界がある。
危機を感じたアイアースであったが、止めを刺すべく全力向かって来る獣が眼前で紅蓮の炎に身を包まれる様に目を見開く。
悲鳴にもにつかぬ声を上げ、全身を焼かれていく獣。炎を上げながら雪面に落下した後も、炎を上げている。
「あまり無茶をするんじゃないよっ!!」
耳に届く女性の声。
獣を焼く炎の後方では、フェルミナ等に護衛されたセイラが片目をつぶりながら片手をあげていた。
「忠告、感謝するぜっ!!」
そんなセイラの言に、そう応えたアイアースは、再び地面を蹴って次なる標的へと向かう。
他方では、シュネシスが数体の獣を相手に一方的な攻勢をかけ、ミュラーとザックスが連携しながら他のキーリアを援護し、ハーヴェイが部下達とともに好き放題暴れ回る。
乱戦となっている雪原の後方からは、今のようにセイラ率いる法術部隊が適所に攻撃や援護を加え、アリアも負傷したキーリアや近衛兵達の元へと駆けつけて肉体を回復していく。
近衛兵達も、キーリアが討ち漏らした獣たちに躍りかかり、中には対峙の中に割って入って足元を崩す強者もいる。
皆が皆、その持てる力を存分に発揮し、優先を続けている。
その背景には、先頃のシュネシスの告白があるのではないかとアイアースは思った。
それまで、自分のために戦うことが多かったキーリア達。信心深く、教団のために戦う者達に比べれば、戦いの意義を感じる機会は少なかったのだと自分の心境になぞらえてアイアースは思う。
近衛兵達も、それまでのキーリアは言わば、教団の犬であり、皇帝フェスティアにとっては潜在的な敵種。
それが、今となっては目的を共にする戦友として戦えている。
突然、目の前に現れた死したはずの帝国の皇子。その姿は、全員に何らかの気持ちの変化を与えたのだった。
「ふふ……」
「何を笑っているっ?」
シュネシスの傍らへと斬り込んだアイアースは、ふと込み上げる何かを感じて口元に笑みを浮かべる。
交錯しながら敵を倒したシュネシスがその表情に気付くと、訝しげな表情でそう口を開く。
「何でもないですよ。皇太子殿下」
「…………後で、おぼていろよ?」
やや砕けた口調でそう言ったアイアースに対し、シュネシスは含みある表情を浮かべながらそう答える。
アイアースは、あの時名乗り出るような真似はしなかった。
シュネシスの告白によって混乱する仲間達に、それ以上の困惑を与えたくなかったし、シュネシスが生きている以上、自分の存在が邪魔になる場面も必ず出てくる。
いずれ、時が来たら。
そう思うアイアースにとって、先ほどのシュネシスの言が妙に印象に残っていた。
「後で……ですね。後があったらな」
そうは言っても、現状は生還の可能性が極めて低い戦いの最中。
求められているのは、以下に多くの敵を葬るか。ただ、それだけのことである。それ以外に活路は認められないのだった。
「ん?」
再び獣を討ち取ったアイアース。そんなときに、ふと視線を向けた暗がり。
その一画がどこかぼやけたような気がして、アイアースは思わず立ち止まりかける。しかし、吹き飛ばされてきた獣の巨体にぶつかられ、思いがけないダメージを受ける羽目になる。
怒りにまかせてその巨体を両断すると、流れ落ちる赤い血の間から、暗がりの歪みがさらに大きくなっていることにアイアースは気付く。
(なんだっ……!?)
そんなことを考えつつ、背中に流れ落ちる冷たい何か。
勘。と言ってしまえば簡単である。しかし、アイアースの肉体に流れるティグの血。戦いのために生きていた種族の血が、自らの危機局を必死に知らせようとしていた。
そして、運命の悪戯か、獣と対峙しながら暗がりへと近づいていくシュネシスの姿。
「兄上っっっっっ!!!!」
思わず全力で叫んだアイアースに、一同が驚きと共に目を丸くする。獣たちまでそれに釣られていたのは少々滑稽であったが、そんなアイアースの叫びに一際敏感だったのは、当のシュネシスであった。
「っっ!!」
全力で跳躍したシュネシス。
歪みから無数の槍が突き出され、獣の身体を貫いたのはそれから半瞬ほど後のことであった。
◇◆◇◆◇
それを感じ取ったのは、夜の帳が下り始めた矢先のことだった。
「っ!? なんだ、これは……?」
「どうした?」
リリスが遠見する、交戦の続くカミサに突然現れた無数の得体の知れない闘気。
やがてそれは害意となってキーリア達へと襲いかかる。その得体の知れない闘気は、一つ、また一つとその場に現れていく。
先ほどまで、最低限の統一性を持って戦っていたキーリア達であったが、それらの登場によって、一気に統率が乱れはじめていた。
「…………転移方陣? まさかっ!!」
「冗談はよせ。巫女様は陛下と共に居られる」
突然、沸いて出たように現れた無数の闘気が害意へと変わる。
その変化に気付いたリリスが脳裏に描いたそれは、一人の少女の姿。しかし、リリスの怒気を含んだ視線を浴びせられたイースレイは、やや表情を険しくしながらリリスの意図をを否定する。
「では、敵は転移法まで用いうると言うことか?」
「概要が分からぬ。話せ」
突然の事態にいつにも増して苛立ちが募ったリリスは、目つきを鋭くしながらイースレイを睨み付ける。
しかし、状況を理解しているリリスに対して、彼女からの状況説明だけで判断せざるを得ない他の上位№達。
その事実に、自身の先走りにあきれたリリスは、謝罪の言と共に状況を細かく説明する。だが、それに対してもイースレイ達からの返答は芳しいものではなかった。
「巫女様以外にそのような手段を取ることができるはずがない。リリス、貴様の勘違いであろう?」
「そうね~。そんなのがあるんだったら、私もすぐにカミサに行きたいもの」
「敵は未だ正体すら知れぬ一団なんだぞ? あるいは巫女様以上の者が存在しているのやも知れん。となれば、事態の深刻さは増すのだぞっ!! そんなに組織の体面を保つことが大事なのか?」
「我々は、組織に属し、教団の意向に沿って戦っている。帝国の民のためになっているのは、結果論でしかない。リリス、貴方が皇帝陛下に並々ならぬ思いを抱いていることは分かる。だがな、我々はあくまでも、教団の衛士に過ぎないのだ。上からの指令以外に動くことなど出来ない。それに、衛士№1としては、教団や組織に対する批判は、慎んでいただきたいところだ」
柄にもなく、苛立ちを見せるリリスに対し、戯けた様子のグネヴィアを嗜めるように肩を押さえたイースレイは、ゆっくりと諭すようにリリスに対して口を開く。
「だが……っ」
「彼らは我々の勝利のために、全力で敵の戦力を削ってくれるはず。我々は、その挺身を無にしないために行動するのみだ。――一応、上層部に進言はしてみる。だが、№1の言葉でも動かねば、それ以上のことは不可能だと思ってくれ」
そう言って、イースレイはリリスに対して背を向け、組織上層部が暖を取る本陣へと戻っていく。
長い黒髪が白い衣装に映えているが、普段の鮮やかさは影を潜めているようにも思える。
「どうしたんだ? お前らしくもない」
「戦いの前に、気が昂ぶっちゃった? なんなら、私がお相手するわよ~? どっちも行けるし」
「出撃狂と色情魔は黙っていろっ!!」
そして、その場に残ったルーディルとグネヴィアの言も、リリスを苛立たせる結果になるだけであった。
二人は所在なく首を振るうとその場を後にする。
両名共に、こうなった女の相手は面倒だということは経験則として知っている。
「やはり、我々が同じ道を歩むことなど不可能なのだ……」
二人がその場を去ると、リリスは思わずそう呟く。
いかに人智を越えた力を持ち得たと言えど、その力の方向性が相容れねば、いずれはぶつかり合うことになる。
祖国の危機という共通の物がある人間ですらもまとまることの出来ない現実に、リリスは力なく肩を落とすしかなかった。
「カズマ……。いや、アイアース殿下。何卒、何卒生き残って下さい。フェスティア様には、貴方が必要なのです」
そして、再び顔を上げ、心の奥底から絞り出すかのような声。今も帝都にて一人すべてを背負っているフェスティアが、もっとも傍らにいてほしいであろう男に対して告げる言葉。
しかし、その際に感じた胸の疼きをリリスは理解することが出来なかった。
「やれやれ……、そんなに悩まなくたって、行きたいんだったら勝手に行ってしまえばいいのによ」
そんなリリスの様子を天幕に戻って見つめるルーディル。
その傍らには、彼に寄り添うようにして立つ一人の女性の姿。
浅黒い肌に、流れるような美しい金髪の持ち主である女性であったが、その金色の髪の隙間から鰭に似た形の耳が突き出ている。
「よし行こう。ガーデ。出撃だっ」
そう言って、女性へと向き直るルーディル。ガーデと呼ばれた女性は、仕方がない人。
とでも言いたいような表情を浮かべた後、目を閉ざすと、彼女の身体を眩い光が覆い始める。
やがて、光は人の姿から、やや大型の何かへと姿を変えていく。そして、光が消えたその場には、濃緑色の鱗に覆われた一匹の飛竜の姿があった。
頼むぞ。と一言告げて、その背に跨がるルーディル。
その好戦的な視線が見つめるのは、はるか常闇の世界が広がるその先であった。




