第三話「神罰の井戸」1
人は、分からないものに名をつけたがる。
そしてたいてい、その中でいちばん都合のいい名を選ぶ。
病が流行れば神罰。
井戸が濁れば穢れ。
誰かが倒れれば呪い。
そう呼んでしまえば、誰の手が汚れていたか考えずに済むからだ。
王都南方、染布町ラーデンへ向かう街道で、エレノア・ヴェイスは膝の上の綴りを閉じた。
共同井戸周辺にて奇病。
倒れる者は特定商家の関係者に偏る。
町内に神罰の風聞広がる。
決闘裁判申請の動きあり。
最後の一文だけ、墨が少し深かった。
書いた役人の筆圧が、そこだけ強くなったのだろう。面倒な案件です、と紙の向こうから言われた気がした。
馬車の小窓の外には、低い空が広がっている。春先だというのに陽の色は鈍く、藍と酢と灰汁の匂いが風に混じった。染物の町は、遠目にも分かる。家々の間に渡した綱から色布が垂れ、その下を人が蟻のように行き交っていた。
「嫌な匂いがしますね」
思わず漏らすと、向かいで腕を組んでいた男が目だけを上げた。
「到着前から喧嘩売るなよ」
「町にではありません。空気にです」
「同じようなもんだ」
カイルは気だるげに言って、また窓の外へ視線を戻した。
相変わらず感じが悪い。
だが最近少し分かってきた。この男には、本当に無関心な時と、無関心そうに見せている時がある。今は後者だった。
門、荷車、染場の煙、立ち話をしている職人たちの輪。ぼんやり見ているようで、ひとつ残らず拾っている。
「報告では、最初の発症は六日前です」
エレノアは綴りを開き直した。
「吐き気、目眩、手足の痺れ。重い方は半日ほど立てなくなったと」
「死んでないのか」
「今のところは」
「だから神罰で済ませたがる」
カイルは吐き捨てるような言い方だった。
「神罰ってのは便利だな。犯人が見つからなくて済む」
ひどい言い草だと思う。
思うが、反論しづらいところがなお悪い。
「まだ人為と決まったわけではありません」
「決まってなくても、人はそう呼びたがる」
「だからこそ調べます」
エレノアは言った。
「神の名を口にする時こそ、人は慎重であるべきです。でなければそれは祈りではなく、責任逃れです」
カイルが鼻で笑う。
「信心深いくせに、神罰って言葉に酔わないよな」
「信心深いからです」
返しながら、エレノアは窓の外を見た。
町が近づくにつれ、布の色が増えていく。深い藍、灰みの黄、乾きかけの紅。どれもきれいだ。
だがその美しさは、水と薬と手間の上に立っている。染場の町は華やかに見えて、実際は汚れることを厭わない者たちの町だ。
そういう町で「神罰」が流行るのは、少し不自然だった。




