9.決意
目が覚めると暗闇の中だった。
鈍く痛む頭を押さえて体を起こす。
ひんやりとした空気が肌を撫でた。
「くそ……一体なんなんだ」
悪態をついて見回す。
「ルリハを取られたと思ったら魔王に憑りつかれて、訳も分からないうちに勇者にぶっ飛ばされて。何が起こってるんだよ。っていうかここどこだ?」
手探りで周囲を確かめていると耳元で声がした。
「おおかたどこぞの地下牢だろう。生け捕りにされたな」
もうそろそろ聞きなれてきた魔王の声だ。
なぜだか姿は見えなかったけれど。
暗闇だから、ということはないだろう。
幽霊に光は多分関係ない。
「生け捕り? なんで」
「貴様は襲い掛かってきた猛獣をそのままにしておくか?」
「弱ければするんじゃないか?」
「貴様! 痛い目に遭いたいか!?」
「姿も見せられないほど弱り切ってるのにできることがあるならどうぞ」
見えない魔王がぐっと言葉を詰まらせるのが分かった。
あてずっぽうに言ったことだったけれどどうやら当たったらしい。
頭に血を上らせたまま僕は一気にまくしたてた。
「勝手に人に憑りついて、勝手に人に喧嘩売って勝手に負けて。一度死んだ負け犬のくせに一体何様のつもりなんだよ。バカやりたいなら一人でやれよ! ていうか僕の体から出てけ!」
「言わせておけば人間風情が……!」
魔王のドスのきいた声が聞こえるもやっぱり何も起こらない。
本当に弱り切っているらしい。
「見ていろ。力が戻ったら貴様など……」
「仲がいいねーお二人さん」
唐突に声がした。
同時にパッと明かりが灯る。
白い鬼火に浮かびあがったのは黒髪の少年だった。
近くで見ると幼ささえ感じる。
「勇者……」
「どうも」
苦々しげな魔王の声に彼は気楽に手を振る。
僕は立ち上がって鉄格子越しに彼と向き合った。
「やあ。元気してるかい?」
「いやあんまり……」
彼の声に僕は正直に答える。
勇者はへらへらとうなずいた。
「だろうね。俺も同じ立場だったらきっと惨めになる」
「あの、ここから出してもらえませんか? 僕、本当関係ないんで。出来れば魔王を退治しなおしてもらえるとありがたいんですけど」
「何を言うか!」
といきり立ったのは魔王だ。
体の中で何かが暴れている気配は感じるけれど、特に痛いというほどではない。
勇者は意外そうな目をした。
「え。あんたは本当にそれでいいの?」
「むしろ望むところっていうか」
「ふーん……ヴィー、できる?」
すっ……と。
音もなく勇者の後ろに女性が現れた。
演習場で見たあの人だ。
彼女は形のいい唇をそっと開いて言った。
「造作もありませんよ。本当にお望みならば」
「だってさ」
「なら是非――」
「ルゥはあんたのこと頼り甲斐のないダメ男って言ってたよ」
「……は?」
突然意味の分からないことを言われて僕は固まった。
勇者ははたと気づいたように付け足した。
「あ。ルゥってルリハのことね」
ルゥ。ルリハ。
しばらくその二つが頭の中でつながらなかった。
理解した後、次に混乱がやってきた。
「一体何を言って……」
「ルゥはさ、あんたのこと嫌いじゃなかったらしいよ。ダメ男でも親しみはあるっつーかさ。あんたの気持ちには気づいてたみたいだし。でもやっぱりホンモノに出会っちゃうとひとたまりもないよね」
言って勇者はにこっと笑った。
「というわけでルゥのことはすっぱり諦めてよ。後は俺に任せてさ。彼女キツい孤児院運営からようやく解放されてほっとしてるんだ」
何を言っているんだろうこの人は。
僕はぐるぐるする頭でそれだけを思った。
親しげにルリハのことを口にするどころか、ルリハが僕のことをダメ男と言っていたと言う。
「……それは、本当なのか」
「本当本当。確かにダメ男って言ってた」
「違う。そっちじゃない。孤児院を放り出してほっとしてるっていうのは本当なのかって訊いてる」
「ああ。そりゃもう」
にんまりと勇者はうなずいた。
「もうあそこには戻りたくないって」
「ルリハに会わせろ」
「ん?」
「ルリハに会わせろと言ってるんだ! 彼女がそんなこと言うわけがない!」
「んー」
勇者は曖昧に首を振る。
「彼女が嫌がるからなあ」
僕は怒りのあまり鉄格子にしがみついて叫んだ。
「いいから会わせろ! じゃないとただじゃすまないぞ!」
「へえ。どうするつもり?」
突如衝撃が僕の体を襲った。
弾き飛ばされて背中を打ち付ける。
ごほっ、と咳き込んで僕は顔をしかめた。
「たかだかこんなのもしのげないようじゃ俺にゃあ勝てないよ」
涙が出てきた。
一体なんでこんな奴にルリハを取られてしまったんだろう。
「でも……そうだな。そこまでルゥに会いたいんだったら考えないでもないよ」
顔を上げるとこちらを見下ろす勇者と目が合った。
「武技大会に参加して俺に勝てたら、そちらの望みどおりルゥと面会させてやる。それでどう?」
「……」
僕は何も言わなかったけれど、勇者は「じゃあそういうことで」とうなずいた。
「大会は三日後から。十分体を休めておきなよ」
勇者たちが去っていくと、明かりも遠ざかって再び牢屋は暗闇に包まれた。
その静寂の中から魔王の声がする。
「さて。我輩の力が必要なのではないか、人間よ」
僕は黙ったまま答えなかったけれど、それは口を開けば肯定以外の言葉がでないことが分かっていたからだ。
魔王もそれは理解していただろう。
ひどく底意地の悪い声を僕にまとわりつかせてきた。
「もちろん一人でなんとかできるというのなら別だが」
僕はやはり答えなかった。
答えないまま、拳を握りしめた。