10.開始
暗闇でうずくまっている間に三日は過ぎていたようだった。
武技大会の会場への案内役という男たちに鎧や剣を渡され身につける間、聞くともなしに魔王の声を聞いていた。
「いよいよこの日がやってきたな」
三日間ですっかり回復したらしい魔王は、もう姿が見えるまでになっていた。
機嫌よくくちばしをもぐもぐさせてあっちこっちを行ったり来たりしている。
「奴は強敵だ。何せチート野郎だからな。油断するなよ。一筋縄ではいかんぞ」
「チートって何?」
初めての鎧の装着に手間取りながら訊く。
目の端で、魔王は大きくうなずいた。
「あの愚かな神が与えた絶大なる小狡い力のことだ」
「?」
「奴の後ろにいた女を覚えているだろう。あれはこの世界の維持神でヴィクトラという」
「え。なんでそんな神様が」
「実はな、勇者キョウ・カワグチはこの世界の人間ではない。ここではない世界からヴィクトラが呼び寄せた都合のいい手駒であるのだ」
初耳だ。
驚く僕に、にやりと魔王が笑った。
「あの愚神は我輩を恐れた。我輩が『虚空の皿』をひっくり返そうとしたゆえ慌てふためいたのよ」
虚空の皿、というのはこの世界のことだ。
この世界のありよう、と言った方が正しいか。
大きな皿のような形をした大地に僕たちや動物が生きて暮らしている、と言われている。
「それをひっくり返そうとしたって……」
そういえば過去に頻発していた地響きや地震を思い出した。
あれらは魔王の仕業と言われていたが、そういうことだったのか。
心底おかしそうに魔王は笑って言った。
「いかにも。痛快であった。この世の者どもが皆動転する様は。神までもが仰天する様は。弱き者どもの上げる悲鳴というのはなぜああも面白いのであろうな」
「最低だ……」
「強き者の権利だ」
きっぱりと魔王は言った。
「だが……それが阻まれた。ヴィクトラの導きによって現れた勇者キョウによって」
その声が不機嫌に濁る。
「あの馬鹿神め。直接は世界に干渉できないからとこんな卑怯な手を……」
「自業自得な気もするけど」
「ふん。薄汚い手段に頼るような者どもに我輩を邪魔する権利などない」
よくわからないけれど、魔王の中では筋が通っているらしい。
装着が終わった。
剣を手に携え、僕は牢の出口へと向かった。
案内の男たちの後について外に出る。
空の光が目に眩しかった。
大会会場、つまりこの前の演習場にはすぐに到着した。
演習場内に進み入ると、周囲の観覧席から降り注ぐ観客たちの歓声。
うんざりするほど広い敷地には十名ほどの人間がそれぞれ距離をとって立っている。
その中心に立っているのは数日ぶりに見る勇者だった。
こちらを見て意味ありげな笑みをよこしてきた。
場内の興奮が最高潮に高まったところで勇者がさっと手を上げた。
途端に水を打ったかのように静まり返る。
「さて皆様。武技大会当日となりました。本日もたくさんの方々にお集まりいただけて大変うれしく思っています。ぜひ楽しんでいっていただきたい」
それから周りを、つまり僕たちを手で示して続ける。
「ここにおりますは第一グループの参加者です。何しろ志願者が多かったので、いくつかのグループに分けました。バトルロイヤル式で最後まで立っていられた者を本戦に進ませる、という方法を取ることにします」
僕は周りを見た。
屈強な男や狡猾そうな女たちが油断なく構えて戦いに備えている。
勇者が再び手を上げた。
「それでは戦士たちに祝福を」
手が下ろされる。
「……始め!」
勇者の姿がかき消えた。
同時にすぐ近くから甲高い衝突音が上がった。
さっそく始まったらしい。
吹き飛ばされた男が一人、気を失って戦闘不能になった。
「我輩らも行くぞ」
魔王に急かされながら、それでももう一度僕は周囲を見回した。
激しく打ち合いを始めた大会参加者たち、観覧席の人々、その向こうにいるかもしれないルリハ。
「どうした。早く体を明け渡せ。でなければやられてしまうぞ」
分かっている。そんなことは。
でも僕はいるかもしれないルリハに向かって一言だけつぶやいた。
「今から行くよ」
そして、魔王に言った。
「いいよ。魔王。やっちゃってくれ」
「ふん。焦らしおって」
体を不可視の何かが包み込んでいく。
何も光をさえぎってはいないはずなのに視界はどんどん暗くなる。
息苦しくはない。
それでも空気の代わりになにかじゅるじゅるとしたものを肺に吸い込みながら。
僕の意識は闇に落ちた。




