8話 砦と羊と勘違い
ハンデルの街では、干し果物等の嗜好品寄りの食材と、手袋等の防寒具を購入した。
杏は必要なものは道中で全て揃えたと思っていたのだが、エドガーに勧められてこれらを買うことにした。
ハンデルの街を出るのは昼前とのことだったので、午前中に買い物をして馬車のもとへ向かう。
すると、荷馬車の荷物を降ろして、新しく運ばれてきた荷物と入れ替えているところだった。
「あれ? あの荷物って軍のものじゃなかったんですね」
「ほとんどは軍の分なんだけどな」
エドガーがさきほど買った自分用の酒を馬車に積みながら答えた。
「同じ中部でも、東の方の商会は定期的に自分達で峠越えて来てくれるんだけどな。
やっぱりどうしても王都じゃないと手に入りにくいものもあるんだよ。専門書とかな。
それで、ここの領主に頼まれて、王都行ったついでに代理で買ってきたんだよ」
――――――
荷物の積み替えが終わるのを待ち、出発をした。
ガタガタと揺れる馬車の中、杏は段々と近づいてくる灰色の壁を見つめていた。
「これで、馬車旅も終わりですね」
隣に座っていたユゼフが横目で杏を見る。
「道中、本当にご迷惑をおかけしまして……」
当初杏は一人で馬車に乗っていたのだが、途中からユゼフも同乗するようになった。
酔いでぐったりしている杏にミントの香油を垂らした布を渡したり、扇子で扇いだりと、何かと気を配ってくれていたのだ。
ありがたいことに、今はもう揺れに慣れたのか、外の景色を楽しむ余裕が出てきている。
「かまいませんよ。団長達と共に山越えするはめにならなくて本当に助かりました。
こちらこそ、お礼を言いたいくらいです」
「はは。お気遣いありがとうございます」
そんなことを話しているうちに、オボクグール砦は目前までせまってきた。
分厚い壁に、分厚い門。
王都の城壁とどちらが厚いのだろうと考えている間に、馬車が砦内に入っていく。
杏の乗った馬車は荷馬車とは違う方向に進み、少し進んだ所で止まった。
人はほとんど荷馬車の方に集まっており、既に荷下ろし作業が始まっている。
杏は、促されるままに馬車を降りた。
ユゼフは「やるべきことがありますので」と早々にこの場を立ち去ってしまった。
(羊だ……)
砦内を観察していると、羊がいた。石壁に沿うようにポツンポツンと並んで立っている。
(羊が一匹、羊が二匹……)
思わず羊を数えていると、エドガーに呼ばれた。
振り返ると、詰襟の服を着て髪を後ろに撫でつけた青年がそこに立っていた。
「お初にお目にかかります。私、団長付副官のジークベルト・フォン・ベアグヴェルクと申します。以後、お見知りおきを」
思わずエドガーの「団長の金魚の糞」という言葉が頭をよぎり、必死でそれを脳内から追い出す。
「ご丁寧にありがとうございます。私、アン・ハスミと申します」
「はい、団長からお聞きしています」
ジークベルトはそこで言葉を切り、目を閉じて一呼吸し、また目を開く。
その声には、さきほどよりも高揚が滲んでいた。
「東部奪還は団長の悲願でした。隣国に故郷を奪われてから、あの方は、この為だけに生きてこられたのです。貴方のお力があれば、きっと――」
勘違いされていると悟り、杏は血の気が引いた。
自分には伝承通りの力は何もない。期待されていることは何もできない。
誤解を解かなければと思うが、目の前の喜びを隠しきれていない青年を前に、どんな言葉を投げかければいいのかわからなかった。
それでも何か言わなければと口を開ける。
「あ、あの――」
「おい、ちょっと待て。ジーク、ちょっと来い」
杏の言葉を遮ったのはエドガーだった。
彼はジークベルトの肩を抱いて、彼を引きずるように杏から離れていく。
過剰な期待の目線から解放されて、杏は少しほっとしていた。
少し離れた所で、エドガーの「あのバカ!」という声が聞こえた。
その後、ジークベルトは杏に視線を移したり、俯いて頭を撫であげたりしている。
エドガーは肩をすくめ、そんなジークベルトの肩を慰めるように優しく叩いた。
しばらくして、二人が戻ってきた。
「技官殿、先程は失礼いたしました。私の勘違いで――」
「カミルのバカのせいな」
エドガーがすかさず挟んだ言葉に、ジークベルトは苦い顔を浮かべた。
「あのバカ、さっき戻ってきたばっかで、お前のこと異世界人で、特殊技官って名目で軍に派遣される、としか説明してねぇんだってよ」
エドガーの説明に杏は納得した。
それどころか、さきほどの張り詰めた気持ちから一転、脱力さえしてしまった。
つい、苦笑いが浮かんでしまう。
「ともあれ、我が軍は人手が足りていません。どのような形であれ、協力していただけるだけで、本当に助かります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
杏は、さきほどよりも覇気のないジークベルトに気付いたが、かける言葉を見つけられない。
ただ、自分の無力さを謝罪してもどうにもならないので、当たり障りのない言葉で返すしかなかった。
「こちらこそ、何をどこまでできるかまだわかりませんが、よろしくお願いします」
――――――
ジークベルトに案内され、建物の中に入る。
後ろには、杏の荷物を持ってくれているエドガーも続いている。
居住棟と説明されたその建物の中は陽が入りにくく、薄暗い。
階段を上り、少し歩く。
ジークベルトは一つの部屋の前で止まり、杏を振り返った。
「こちらが技官殿の部屋となります」
ジークベルトは、杏の部屋の扉をノックした。
「ゾフィー、私です。準備は整っていますか?」
「はいはい、全て整っていますよ」
ジークベルトの問いかけに部屋から姿を現したのは、年配の女性だった。
ゾフィーは「早いですね。助かります」というジークベルトの言葉ににっこりと微笑む。
その微笑みは杏へも向けられた。
「初めまして。ゾフィーと申します。いつもはカミル様のお世話をさせていただいています。ここの生活に慣れるまでは、私がお世話をさせていただきますね」
杏も挨拶を返し、戸惑いを口にする。
「でも、それですと団長は……」
「いいんですよ、カミル様は」
「い、いいんですか……」
「護衛の者も、ジークベルト様もいらっしゃいますし。それにここには他に女性のお世話をする人間がおりませんので、私がこうしてまいりました。ふふ、女性のお世話をさせていただくのはいつぶりかしら。嬉しいわ」
ゆっくりとした話し方のはずなのに、口を挟む隙がない。
ゾフィーの語りは、ジークベルトが止めるまで続いた。




