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1話 選択と後悔

1話2話を統合しました。(5/8)

 杏は、ベンチに座って空を見上げていた。

 息を吸うと肺に冷たい空気が入ってくる。

 風が吹いて、色づき始めた木の葉がカサカサと音を立てた。


 この王宮で暮らし始めて、早一ヶ月。季節はすっかり秋に変わっていた。


 王宮庭園の奥まった所にあるこの場所は、木々に囲まれていて、人が来ることは滅多にない。

 自室として与えられた部屋にいると侍女達が御用聞きに来てくれるのだが、それがまるで監視されているようで、杏は正直居心地が悪かった。


 杏は、自室から持ってきた光石と呼ばれている小石を手の中で転がした。

 人工物かと思うほど綺麗な正八面体をしたその石に魔力を通す。

 するとその表面に、光る線で正三角形を書き連ねたような模様が徐々に現れてきた。

 魔力を流すのをやめると、光石から徐々に光が消えていく。

 完全に光を失ったそれを再び手の中で転がしながら、天を仰ぐ。


 準備運動は終わった。

 これから魔法の練習をするべきだとわかってはいるのだが――。


「……やだなぁ」


 やらなければという義務感と焦燥感でじわじわと胸が苦しくなるのに、体は動かない。

 そのまま何もせずに座っていると、視界の端にキラキラ輝く金色が映った気がした。


「やぁ、隣いいかい?」

「っ!?」


 意識の外から声をかけられて、杏は心臓が飛び出るかと思った。

 体が跳ねる。

 ベンチからずり落ちないようにしながら声の方を向くと、そこには一人の青年が立っていた。


 杏は、自分だけの憩いの空間への侵入者を観察した。

 不信感を隠せなかったのは仕方ないことだろう。


 サラサラの金髪に青い瞳、金糸をふんだんにあしらった上品で豪華な衣服――。


(あ、これ、普通に地位の高い人では?)


 後ろに無表情な男性二人を従えていることからも、杏の疑問は確信に変わっていった。

 

「し、失礼しました……!」


 杏は慌てて立ち上がり、王宮侍女から習った儀礼的な挨拶をしようとするが、青年はそれを手で制する。


「いい、いい、そんなに畏まらなくて。そんな立場じゃないし、第一堅っ苦しいのは苦手なんだ」


 ベンチから腰を少し浮かせた体制で、杏は悩む。

 これは、どちらの意味だろうか。

 言葉通り捉えていいものか、それとも真意を察するべきなのだろうか。


 答えを求めて、青年の従者の顔色をうかがう。

 二人とも青年より一回り以上年上に見えた。

 一人は死んだ魚のような目をしていて表情が読めない。

 もう一人は厳つい顔つきのまま変化がない。


 何もわからなかった。

 

「…………では、失礼しまして」


 杏は結局、思考を放棄して座ることにした。

 自身のここでの立場を思い出し、即不敬断罪コースはないだろうと自分に言い聞かせる。

 すると、どさりと青年が横に座る気配がした。


「俺はカミル・ズウォティスキという。よろしく」

「ず、ずお……?」


 苗字が全く聞き取れなかった。

 全く聞き馴染みのない文字の羅列で、まだ国王陛下のヴィルヘルム・フォン・エーヴィヒラントという名前の方がわかりやすい。


 地位が高いと思われる人の名前を間違えてしまったと杏が青ざめていると、「ははっ」と軽い笑い声が聞こえた。

 彼の方を見ると、にっこりと人好きのする笑みを向けられた。


「まぁ、こっちではあまり馴染みのない音だからな。気にするな、カミルと呼んでくれ」

「カミル様……ですね。ありがとうごさまいます。私は、アン・ハスミと申します」


 そう言って、杏は反射的に頭を下げた。

 その直後に日本的な所作をしてしまったと気付く。

 何か咎められたりしないだろうかと不安になったが、カミルからは負の感情を感じなかった。

 杏はこっそり胸を撫で下ろした。


「アン、そうか、いい名前だな!」

「あ、ありがとうございます」


 杏は思わず戸惑ってしまった。

 ……そういえば、名前で呼ばれるのはいつぶりだろうか。


「ここにはよく来るのか?」

「はい。私は王宮に置いていただいているのですが、ここに来ることが日課のようになっています」

「あぁ。……ここは良い所だからな、気持ちはわかるよ」


「良い所」という言葉とは裏腹に、彼の声が暗くなる。

 カミルは建物の方を見つめていたかと思うと、パッと杏に向き直る。


 そしてまた明るい調子で話しかけてきた。


「アンは、ここで魔導の訓練でもしてたのか?」


 杏はその言葉に、引っ掛かりを感じた。


(……この人は『魔導』って言うんだ)


 魔導、魔法、魔術ーー。

 この世界で、魔法は様々な呼ばれ方をしているようだった。

 その違いが気になってはいたが、杏はなんとなく確認できないままでいた。

 カミルは杏の沈黙をどう受け取ったのか、彼女の持つ光石を指さす。


「それを持っているってことは、少なくとも魔力を流すことはできるんだろう?

 懐かしいな。俺もよくここで訓練をしたんだ。

 あ、そういえば火魔法を暴発させて大目玉くらったことがあったな!」

 

 こんな可燃物だらけの場所で一体何をしているんだこの男は。と杏は思った。

 あくまで軽い失敗談を話したという感じの彼に若干引きつつも、杏は実演しながら彼の質問に答えていく。


「えっと、そうですね。光石で魔力操作の訓練をしたり、魔法の練習をしたり……」


 杏は光石を光らせた後、掌の上に水球を作り出した。

 それは豆粒サイズから徐々に大きくなっていき、リンゴ程に大きくなった途端、そのまま形を崩して掌と地面に落ちていく。


「……まぁ、一ヶ月経ってもこの程度なんですが。……すみません」


 杏の口から自嘲の笑いが溢れる。


 カミルを見ると、「一ヶ月……」と呟きながら視線を彷徨わせている。

と思っていると急に声を上げた。


「あぁ! 君が例の異世界からの客人か」

「すみません」


 杏の口から咄嗟に謝罪の言葉が出る。

 脈絡も何もない、反射的に出た自衛の言葉だ。


「なぁ、さっきも思ったけれど、なぜ謝る?」


 カミルが眉を下げてアンを見て、従者に助けを求めるように視線を移し、また杏に視線を戻す。


「……私は、おっしゃるとおり異世界から来た者です。ですが、一ヶ月経っても、何も……」


 杏はこれまでのことを簡潔に話しだした。


 杏は、いわゆる異世界転移というものをした。

 トラックに轢かれたと思った次の瞬間、見覚えのない街に放り出され呆然としている所を、王宮に保護されたのだった。

 王宮に保護され、自分はこの世界にとっての異世界人であることがわかった段階で、とある伝承を教えられた。

 『異世界からの来訪者は、神話時代のような強大な魔法の使い手となる』という内容だ。

 天気を変えたり、大地を焼き尽くしたり、地面を割ったり……。そういった魔法が使えるようになるらしい。

 その説明を終え、「わが国は貴殿を歓迎しよう。行く当てがないのならここで暮らすと良い」と言われた。


 なるほど、そういうことか。と杏は納得した。

 置いてもらう以上、その対価を払うのは当然のことだ。


 そして魔導塔に所属しているという魔導士達に教わり、魔法の練習を始めた。

 始めて一週間程で、杏の魔法の成長は止まった。


 このまま期待された成果を出せなかったら、自分はどうなるのだろうか。

 無意識に握りしめていた杏の手に、カミルが手を添える。

 彼は一度手に力を入れると、今度はポンポンと叩いて、手は離れていった。

 カミルはいつの間にか浅く座っていたのを深く座り直し、視線だけで杏を見る。


「君の故郷の話、聞かせてくれないか?」


 最初は、他の人達のように現代日本の制度や技術に興味があるのかと杏は思ったが、どうやら違うようだった。

 そういう事も聞かれたが、他にも、杏がどういう生活をしていたか、どういうものが好きで、どういうものが嫌いだったか、そういう他愛もない話が主だった。

 会話が途切れたタイミングで、従者の一人――死んだ魚のような目方が、カミルに声をかける。


「団長、お時間が……」

「げっ、もうそんな時間か。……俺、いるか?」

「はぁ、貴方がいなくてどうするんですか」

「でもあとはサインだけだろ?」

「貴方がやらなくてどうするんですか。それとも、団長職をお辞めになりますか?」

「……悪かったって。行くよ……」


 カミルが苦虫を噛み潰したような顔をして立ち上がったので、杏も同じように立ち上がる。


「カミル様、今日は本当にありがとうございました。久しぶりに会話らしい会話ができました」


 杏は深々と頭を下げた。

 これでお別れかと思うととても寂しく感じた。

 しかし、カミルには用事があるようだし、引き留めるわけにもいかない。

 

 カミルは杏に背を向けて歩きだしたかと思うと、すぐにきびすを返して杏に近づいて来た。


「アン、俺と一緒に来ないか?」

「はい?」

「俺は今、東部で故郷を取り戻す為に義勇軍を率いて戦っている。だから、一緒に東部に来ないか?」

 

 なにが『だから』なのだろう。杏は意味がわからなかった。


 まずこの国は戦争をしていたのか。それすら知らなかった。

 今義勇軍と言っただろうか。王宮では騎士のような人達を見かけるので、国軍もありそうなのになぜ。

 次々と湧いてくる疑問に混乱しながらも、一つの考えが杏の頭に浮かぶ。


 王宮から合法的に出られるチャンスかもしれない、と。


「魔導を使える人間は貴重なんだ。光石への魔力の通し方も綺麗だったし、きっと大丈夫だ。後方で色々と雑務をやってもらえると助かる」

「カミル様、彼女が混乱しています」

「え、あぁすまない。悪気はなかったんだが……」


 王宮から出られるからと何も考えずに戦地へ行ってやっていけるのだろうか。

 魔法すらまともにできないのに、彼の言う雑務を本当にこなせるだろうか。


 なおも考え続けている杏の顔をカミルが覗き込む。

 そして、眉をさげてこう言った。

 

「……ここにいるよりは、ずっと息をしやすいと思うんだ」


 それが、杏の背中を押した。


「…………行きます。連れて行ってください」

 

 カミルはにっと笑って、杏の手を取り、ぶんぶんと上下に振る。


「よし、決まりだ! これからよろしく頼む!」

 

――――――


 その日の夜。

 死んだ目をした方の従者が杏の部屋を訪れた。

 心なしか、昼間より疲れた顔をしている気がする。


「明日出発となりましたので、準備をお願いいたします」

「え?」


 杏は、自身の選択を後悔した。

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