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無色と十二の旅(アルとジュウニのシルシ)  作者: Matyu
第5章 褐色の大地(アルのベース)
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第5章・第3話 薄色のウルフ

西側の見張り道へ向かうにつれ、王都の賑わいは少しずつ遠ざかっていった。


中央通りの石畳は、やがて防壁沿いの固い土道へ変わる。


道の片側には高い防壁。


もう片側には、低い土塁と見張り台が並んでいる。


町の中心部とは違い、人通りは少ない。


代わりに、一定の間隔で兵士が立ち、道の先へ目を配っていた。


騒がしさはない。


ただ、何かあればすぐに動けるよう、静かに備えている。


そんな場所だった。


アルは通行許可証を手に、警備詰所へ向かった。


入口に立っていた兵士が顔を上げる。


「ギルドから連絡のあった冒険者か。」


「はい。」


アルは通行許可証を差し出した。


兵士は内容を確認する。


「アルトゥスだな。」


「はい。」


兵士は許可証を返し、道の奥へ視線を向けた。


「ウルフは、この先の見張り道で確認された。」


「今は防衛隊が距離を取って監視している。」


「被害は出ていますか?」


「まだない。」


兵士は短く答える。


「こちらから近づけば激しく威嚇するが、離れれば追っては来ない。」


「ただ、通常のウルフより反応が強い。」


「まるで、目に入るものをすべて危険だと思っているようだった。」


「過剰に警戒しているんですね。」


「ああ。」


兵士は頷いた。


「この辺りのウルフは、もともと警戒心が強い。」


「人や他のヴィータが縄張りへ入れば、唸って追い払おうとすることもある。」


「だが、今回は少し違う。」


「防衛隊も、無理に近づかず様子を見ている。」


アルは道の先を見た。


「まず、状態を確認します。」


「必要なら討伐します。」


「頼む。」


兵士は道を空ける。


「見張り道の先には、避難用の小道がある。」


「そちらへ追い込まないようにしてくれ。」


「分かりました。」


アルはクウを肩に乗せたまま、見張り道へ進んだ。


防壁沿いの道は、兵士や荷車が通れるほどの幅がある。


所々に低い土塁が設けられ、道幅が緩やかに絞られていた。


危険が入り込んだ時、一気に王都の奥まで進ませないための造りなのだろう。


壁際には退避できる空間もある。


戦う場所を選べば、周囲への被害を抑えられる。


アルは道の形を確認しながら進んだ。


やがて、土の匂いに別の臭いが混ざり始めた。


焦げたような。


空気が弾けた後のような。


肌の表面がわずかに刺激される。


「雷……。」


肩の上で、クウが小さく身を縮めた。


アルは足を止める。


前方の土塁の陰に、防衛隊の兵士が二人いた。


二人は盾を構えたまま、アルへ小さく合図を送る。


アルは声を抑えて近づいた。


「ギルドから来ました。アルトゥスです。」


「助かる。」


兵士の一人が、道の先へ視線を向けた。


「対象はあそこだ。」


崩れた石標の近くに、一体のウルフがいた。


低く伏せた身体。


鋭い牙。


地面を掻く爪。


姿だけなら、王都周辺に生息する普通のウルフと大きくは変わらない。


だが、その毛並みは不自然なほど薄かった。


本来の色が、少しずつ抜け落ちているように見える。


身体の輪郭も安定していない。


見つめていると、頭や脚の位置が一瞬だけずれて見えた。


さらに、その背の周囲では細い雷がちらついていた。


ボルト属性。


けれど、その力は身体と噛み合っていなかった。


毛並みに沿って流れるのではなく、行き場を失ったように外へ漏れ出している。


「雷属性の反応があります。」


アルはウルフから目を離さずに言った。


「雷属性の個体か。」


「はい。ただ、属性の出方が不安定です。」


ウルフが低く唸った。


その声に合わせるように、背の雷が弾ける。


警戒の声。


怯え。


混乱。


そして、それらを押し潰すほど膨らんだ敵意。


アルたちを見ている。


だが、誰が危険なのかを判断している様子はなかった。


動いたもの。


近づいたもの。


視界に入ったもの。


すべてを敵として捉えている。


アルは肩からクウを下ろした。


「ここで待ってて。」


『くぅ。』


クウは小さく鳴き、防衛隊の後ろへ下がった。


アルは剣を抜いた。


相手の動きを見て、間合いを測る。


速さに惑わされず、踏み込みと重心の変化を読む。


アルは一歩、前へ出た。


ウルフの耳が跳ねる。


次の瞬間、地面を蹴った。


背中の雷が弾け、灰色の身体が一気に距離を詰める。


速い。


雷属性の力が、脚の動きを強引に加速させている。


だが、進む方向は真っ直ぐだった。


アルは剣を構える。


真正面からは受け止めない。


勢いを止めようとすれば、身体ごと押し込まれる。


半歩だけ右へずれる。


牙が迫る。


その直前、アルは剣の腹をウルフの顔へ斜めに当てた。


金属と牙が擦れる。


腕へ重い衝撃が伝わった。


アルは力を受けながら身体を回す。


正面から止めず、横へ流す。


ウルフの突進はアルの脇を抜け、土道を削りながら止まった。


アルはすぐに振り返る。


「速い。」


ウルフが低く身を沈める。


「でも、動きは読める。」


ウルフは左右へ細かく身体を揺らした。


前へ出る。


すぐに下がる。


牙を見せる。


爪で土を掻く。


一つ一つの動きは鋭い。


けれど、次の行動へ繋がっていない。


何かを警戒するたびに、別の動きへ反応している。


判断が定まらないまま、身体だけが動き続けていた。


「警戒しすぎて、自分でも動きを決められてない。」


ウルフが再び跳ぶ。


今度はアルの左側へ回り込み、防衛隊のいる方向へ抜けようとした。


アルはすぐに進路へ入る。


「そっちは駄目だ。」


剣を横に構え、刃ではなく面をウルフの肩へ当てる。


雷が弾けた。


腕に鋭いしびれが走る。


それでも、アルは剣を離さない。


力で押し返さず、ウルフの進む角度を少しずつずらしていく。


身体が土塁側へ流れた。


防衛隊から離れ、避難用の小道からも外れる。


アルはウルフとの位置を確かめた。


後ろに人はいない。


片側には土塁。


もう片側には開けた道。


ここなら、ウルフがどちらへ動いても対応できる。


「ここで止める。」


アルは剣を構え直した。


ウルフの雷が強まる。


身体の輪郭が揺らいだ。


牙の位置がずれ、脚が一瞬だけ長く見える。


目だけで追えば、動きを見誤る。


アルは足元を見る。


爪が土へ食い込む角度。


身体を沈める深さ。


雷が集まる脚。


ウルフが地面を蹴た。


低い突進。


今度はアルの足元を狙っている。


アルは跳ばなかった。


跳べば着地を狙われる。


片足を引き、剣先を下げる。


牙が足へ届く直前、剣の腹で鼻先を外側へ逸らした。


ウルフの頭がわずかに流れる。


アルは身体を半回転させて肩をかわし、その脇を通り抜けた。


すれ違いざまに、剣の柄頭をウルフの胴へ打ち込む。


身体が傾く。


雷が散った。


アルはすぐに踏み込む。


ウルフが振り向きざまに噛みついた。


アルは剣を縦に立て、牙を受ける。


重い。


だが、噛みつく方向は分かっていた。


手首を返し、力を外へ流す。


ウルフの首が横へ逸れる。


アルは一歩、内側へ入った。


狙うのは首ではない。


前脚。


突進を支えている脚へ、短く剣を振る。


刃が走った。


深くはない。


だが、動きを止めるには十分だった。


ウルフの前脚から力が抜ける。


身体が地面へ崩れた。


それでも、ウルフは牙を剥いた。


傷ついた脚を引きずりながら、アルへ向かおうとする。


逃げる様子はない。


痛みで動きを止めることもない。


危険を避けるための警戒心が、危険へ向かい続ける衝動へ変わっている。


「もう、自分で止まれないんだね。」


ウルフの身体から、黒く濁った気配がにじみ出す。


薄くなった色。


歪んだ輪郭。


制御を失った雷属性。


そして、理性を失うほど膨らんだ警戒心。


ただの異常行動ではない。


コラプト。


目の前のウルフは、すでに歪みに呑まれていた。


アルは剣を握り直す。


相手の動きを見て。


次に来る方向を読み。


必要な一撃で終わらせる。


ウルフが最後の力を振り絞って跳んだ。


雷が弾ける。


歪んだ身体が、真正面から迫る。


けれど、右側の前脚は傷ついている。


踏み込む力が弱い。


そのため、突進の軌道はわずかに左へ傾いていた。


アルは一歩、右へずれる。


ウルフの牙が空を噛んだ。


すれ違う瞬間、アルは剣を振り下ろす。


一閃。


刃が首筋を捉えた。


雷が大きく弾ける。


ウルフの身体が地面へ落ちた。


爪が土を掻く。


一度だけ身体が動いた。


やがて、周囲に漏れていた雷が弱まり、完全に消えた。


見張り道に静けさが戻る。


アルは剣を下ろした。


大きく息を吐く。


戦いそのものは長くなかった。


それでも、正面から力をぶつけていれば、簡単には終わらなかっただろう。


周囲を見ずに戦っていれば、防衛隊や避難路の方へウルフを逃がしていたかもしれない。


アルは剣についた血を払い、鞘へ納めた。


クウが近くまで戻ってくる。


アルはその身体へ軽く手を添えた。


「終わったよ。」


『くぅ。』


防衛隊の兵士たちも近づいてきた。


一人がウルフの状態を確かめる。


「討伐を確認した。」


もう一人が、戦った場所と周囲の道を見る。


「助かった。」


「こちらだけで囲もうとしていたら、見張り道の奥へ逃がしていたかもしれない。」


「防衛隊が距離を取ってくれていたからです。」


アルは首を横に振った。


「先に周りを空けてもらえていたので、戦う場所を選べました。」


兵士は倒れたウルフへ視線を落とした。


「これは、やはりコラプトなのか。」


「はい。」


アルは頷いた。


「断定していいと思います。」


兵士たちの表情が引き締まる。


アルはウルフの身体を見ながら、確認したことを整理する。


「毛の色が薄くなっていました。」


「身体の輪郭も歪んでいました。」


「属性は雷です。」


「ただ、雷属性の力が身体の中で安定せず、外へ漏れていました。」


アルは濁った瞳を見る。


「それに、警戒心が強くなっただけではありません。」


「何が本当に危険なのかを判断できなくなっていました。」


「見えるものすべてに反応して、理性を失ったまま暴走していたんだと思います。」


兵士がウルフの牙を見つめる。


「獣族ヴィータの警戒本能が歪められたのか。」


「その可能性は高いと思います。」


アルは頷いた。


「危険を避けるための本能が、危険へ向かい続けるものに変わっていました。」


兵士は周囲を見回す。


「こちらでは現場を調べる。」


「他にも同じ状態の個体がいないか確認する。」


「お願いします。」


「ギルド長へ報告してくれ。」


アルは防衛隊に一礼し、クウを肩へ戻した。


見張り道には、再び静かな空気が流れていた。


だが、先ほどまでと同じ静けさではない。


異変が確かな形となって現れた後の、重い静けさだった。


アルは王都の防壁を見上げる。


危険から人々を守る壁。


その近くで、危険を見分けるはずのウルフが、すべてを敵として暴走していた。


守るためのものが、守る相手を見失っている。


それが偶然なのか。


それとも、この国で起きている異変と繋がっているのか。


まだ答えは出せない。


「戻ろう、クウ。」


『くぅ。』


アルはギルドへ戻った。


ベスティア冒険者ギルドの中では、先ほどと変わらず冒険者たちが行き交っていた。


依頼札を確認する者。


受付へ報告書を提出する者。


盾を担ぎ、外へ向かう者。


アルが受付へ向かうと、ティアが顔を上げた。


「アルさん。」


「討伐しました。」


ティアの表情が引き締まる。


「ギルド長へ報告をお願いします。」


「はい。」


ティアはすぐにアルを奥へ案内した。


ギルド長室では、ベルディールが机の上に地図を広げていた。


アルが入ると、ベルディールが顔を上げる。


「戻ったか。」


「はい。」


アルは机の前で足を止める。


「ウルフは討伐しました。」


「状況を話せ。」


アルは頷いた。


「通常のウルフではありませんでした。」


「毛の色が薄くなり、身体の輪郭も歪んでいました。」


「属性は雷です。」


「ただ、雷属性の力は安定していませんでした。」


「身体の外へ漏れ、動くたびに不規則に弾けていました。」


ベルディールは腕を組む。


「雷属性のコラプトウルフか。」


「はい。」


アルは続ける。


「動きは速かったです。」


「雷属性の力が、突進や反応速度を強くしていました。」


「ですが、判断は乱れていました。」


「ウルフ本来の警戒行動は残っていましたが、警戒する相手を見分けられていませんでした。」


「近づくものや動くもの、目に入ったものすべてへ反応していました。」


ティアが報告を書き留めていく。


アルは、戦ったウルフの姿を思い出す。


「警戒心だけが過剰に膨らみ、理性が失われていました。」


「危険から身を守るための本能が、目に入るものすべてを襲うものへ変わっていたんだと思います。」


ベルディールの表情が険しくなる。


「獣族ヴィータの本能そのものが歪んでいるか。」


「可能性はあります。」


アルは頷いた。


「防衛隊が周囲から人を遠ざけていたので、被害は出ませんでした。」


「戦う場所も選べました。」


「ですが、人通りのある場所まで入り込んでいたら、危険だったと思います。」


ベルディールはしばらく地図を見つめた。


やがて、西側の見張り道へ印を付ける。


「周辺の見張りを増やす。」


「同じ状態のヴィータがいないか、防衛隊とギルドの両方で確認させよう。」


「お願いします。」


ベルディールは地図から顔を上げる。


「大盾中枢にも報告を回す。」


「防壁の動きにも、少し妙な反応が出ている。」


「防壁にも?」


「ああ。」


「自動展開が予定よりわずかに早い。」


「地盤を固定する力も、必要以上に強く働くことがある。」


「今のところ、大きな問題ではない。」


「だが、ヴィータの異常と時期が重なっている。」


アルは王都へ入る途中に見た、閉ざされた門を思い出した。


守るための点検。


人を困らせないよう、別の道を案内していた兵士。


街は今も、正しく人を守ろうとしている。


それでも、守る仕組みの一部が少しずつ強く反応し始めている。


そして、守る本能を持つウルフも、過剰な警戒の末に暴走した。


ベルディールは低く息を吐いた。


「防衛線の異常。」


「大盾中枢の誤反応。」


「獣族ヴィータの暴走。」


「別々の問題として片づけるには、重なりすぎている。」


ティアが頷く。


「この件は、神殿にも共有した方がよさそうですね。」


「ああ。」


ベルディールはアルを見る。


「巫女様へ会う手続きは進めている。」


「今回の報告も合わせて、神殿へ連絡する。」


「ガーネット様にも、状況を知ってもらう必要がある。」


アルは頷いた。


「分かりました。」


「現場の詳しい話が必要になれば、お前にも来てもらう。」


「はい。」


「見たことを、そのまま伝えます。」


「それでいい。」


ベルディールは西側の見張り道に付けた印を見つめる。


「まずは、何が起きているのかを正しく見る。」


「守る場所を間違えないためにもな。」


窓の外には、王都ベスティアの防壁が見えていた。


人々を守るために築かれた壁。


危険を察知し、その前に立つ国。


その守りのすぐそばで、警戒本能を歪められたウルフが暴走していた。


薄くなった色。


歪んだ身体。


制御を失った雷。


それは、ベスティア獣王国に起きている異変が、初めて明確な姿となって現れたものだった。


そして、その報告は。


土の巫女ガーネットのもとへ届けられようとしていた。

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