7:壊れかけの王太子はいつの間にか癒される・3
取り敢えず、初日は外への散歩も無理ですから、ベッドから殿下をおろして寝室内を歩く、で、終わりました。侍従を通してメイドに寝具の洗濯も部屋の掃除も頼み、わたくしは与えられた客間に戻りました。
「ふぅ」
「お疲れ様でございました」
わたくしのやる事をずっと見守っていてくれたケイに笑いかけてから、視線をずらします。
「ミヤビ様、本日はこちらでお泊りになられますの?」
『うむ。ワタシも暫く、其方の側に居るとしよう』
「まぁ! でしたら、ミヤビ様、お願いが有りますの」
『なんだ?』
「その、あの。ご一緒に寝て欲しいのですわ!」
『伴侶でも無い者同士が一つの寝具に仲良く寝る、と?』
「ダメですか?」
ケイはミヤビ様の声は聞こえないけれど、わたくしの申し出をニコニコと聞いています。
『ふむ。ワタシは、伴侶以外の女性と一つの寝具で……というのは、気にかかるのだが』
「まぁ。ミヤビ様のお気持ちを蔑ろにする所でしたわね。そういえば、伴侶様はどうされましたの?」
『ワタシの伴侶は100年程前に死の国に旅立ったよ。そろそろ生まれ変わるとは思うが、未だ出会っておらぬな』
なんと。
ミヤビ様の伴侶の方は、魂が何度も転生していらっしゃるようです。その魂に惹かれてミヤビ様は伴侶様をお迎えに行くのだとか。
「では、ミヤビ様のために寝所を別に作りましょうか」
『それは要らぬ。ワタシはソファーにでも寝ている方が気楽だ』
「畏まりました。では、おやすみなさいませ」
『うむ、良く休むが良い』
そんなわけで、1日目が終わりました。
翌日からも朝食後は王太子殿下のお部屋に向かい、同じ事を繰り返します。侍従はわたくしの言葉を覚えていて部屋も綺麗です。ただ寝具を洗い替えするために、殿下にベッドを出てもらわなくてはなりません。
「足が動かなくなっては困りますし、お散歩をしましょうね」
昨日はベッドの周りを歩く程度でしたが、今日は寝室から出てみましょう。侍従と共に殿下を支えながら寝室から出ます。足を動かすように頼めば動かします。出ましょう、と言えば歩きます。……多分、聞こえてはいるのでしょうが考えたくないのでしょうね。命じられている事を行うだけが楽なのだと思います。
信じていた、愛していた方を失った悲しみや辛さなどは、心を壊してもおかしくないのです。まだ声が聞こえているだけ良いのかもしれません。心にまで届くようになるまでは、まだまだ先かもしれませんけれど。
「殿下がお好きなお茶とかございますか」
侍従に尋ねて準備をしてもらいます。その間にわたくしはケイと共に殿下を日本で言う所の居間のソファーへ座ってもらうよう促します。殿下は虚な目で、けれど理解しているようにソファーに座りました。こちらも窓を開けます。
本日は風が有りますが、殿下は何も感じないのでしょう。座ったら動かなくなりました。わたくしは少しだけ距離を置いて、手に触れられる程度に座ります。そして昨日と同じように声を掛けながら握ります。
「殿下。本日は寝室を出ることが出来ましたね。おめでとうございます」
そんな声を掛けていると侍従がタイミング良くお茶を持って来ました。
「このお茶は殿下の好まれる茶葉でして。クッキーを食べながらこのお茶を飲まれるのです」
「そうですか。では、先ずお茶を」
わたくしはティーソーサーとティーカップを持ち上げて、殿下の膝上に置いてみますが、やっぱり無反応です。ですので、わたくしは殿下のお手を取ってティーカップに触れさせてみました。
「殿下、飲んでみませんか?」
やっぱり無反応ですね。少しティーカップをお顔に近づけてみますか。香りが良いので、もしかしたら……
そうっと、そうっとお顔に近づけてみました。
「いい……香り……」
微かに、ですが、殿下から言葉が溢れました。やっぱり。好んで飲まれていたのなら、もしかしたら、とは思いました。完全に心が壊れてしまったわけでは無いようで安堵します。
「妃殿下……っ」
侍従の呼びかけにそちらを見れば、目を潤ませ言葉に詰まったようです。……それだけ心配していた、という事でしょう。ただ、わたくしはシッと唇に指を当てて静かにするように促します。侍従はコクコクと首を上下させました。
「殿下、このお茶、お好きなのでしょう? 飲みましょうか」
今度は何も言わないですし、また無反応ですが、もう一度ティーカップを触らせて、わたくしが殿下の手の上から持ち上げます。ゆっくりと口元へ運べば、条件反射のように口を開いて嚥下していきます。一口ひと口。拒否されたらやめるつもりでしたが、長く一杯を飲んでいます。
その間にメイド達が寝室の掃除と寝具の取り替えを終えたようで寝室から出てきました。すかさず侍従が静かにするように促し、メイド達はサッと部屋から退出していきます。さすが離宮の使用人達と勝るとも劣らない王城の使用人達です。
そんな事を考えながら殿下の様子をつぶさに観察していると、どうやら飲み切られたようでした。わたくしは殿下の膝上にあったティーソーサーの上にカップを戻し、それをテーブルの上に起きます。
殿下を見れば、上手く飲み込めなかったのか、ツーッとお茶が口から少し溢れました。それをハンカチで拭くと、わたくしは侍従に目で合図をして殿下を寝室へ連れ戻しました。
クッキーは食べさせてあげたかったのですが、お茶がきちんと飲み切れなかったのなら、止めておいた方が良い、と判断したためです。こうなると、ちょっと食事の方も気になりますね。殿下は疲れたのかベッドに戻った途端に目を閉じました。
「妃殿下、王太子殿下がこのような状態になられてから、初めて言葉を……」
「そうですか。この調子で治ると良いですよね」
「……はい」
感激しているような侍従に、食事のスープについて尋ねると。どうやらコンソメスープのみ、らしいです。それ、栄養が取れないやつ……! そんなわけで料理長にカボチャを裏漉ししたスープやらジャガイモの冷製スープ等を作るように、侍従から話を通してもらいました。
さて。そんな侍従は、すっかりわたくしを見る目が変わりましたが……。別にそれはどうでもいいです。離宮は、わたくしが快適に過ごすために、人との関係が円滑になった方が良かったので、嫌われていたのが好かれるようになって嬉しかったですが。
別に王城では好かれたいとは思っていないんですよねぇ。だって離宮に帰りますし。王太子殿下の為に来たのは確かですが、どちらかと言えば同じ経験をしたから、同情ですし。これを機に殿下の寵愛が……とか、全く望んでないです。名実共に王太子妃になる気も無いですし。
抑、わたくしは14歳。大陸では国ごとに成人年齢が分かれますが、レーゼル王国もアズリー公国も成人年齢は、16歳。あと、2年は有りますわ。仮に、全然その気が無いですけど、仮に、名実共に王太子妃になるとして。お世継ぎの件は成人してからですし、王太子妃として公務や外交を行うのも成人してからです。
つまり、陛下の思惑通りに運ぼうとしたって2年は先ですからね。その2年の為の布石とか、無い無い。わたくしはそこまで計画的では有りませんし、抑その気は有りません。2年後と言えば、王太子殿下は21歳。政略結婚では5歳差なんて可愛いものですが……。その2年でわたくしとの距離を縮めて来ようとされますかしら? わたくしとの距離を縮められたとして、わたくしが名実共に妃殿下として殿下の隣に立っても、そこからわたくしが子を生せるかどうかは不明ですし、寧ろ、後継の意味だけでいけば、子を産んだ経験のある未亡人を側妃として召し上げた方が手っ取り早いですわよね。
こんな事を考えつつ、侍従には別の事を尋ねます。
「王太子殿下が好まれる息抜きとかございます?」
「ええと。遠乗りですかね」
「左様でございますか。では、厩舎を訪れて馬に接すればまた違うかもしれませんわね」
こんな会話をしつつ、わたくしの思考はさらに続きます。
ーーそれに。おそらく後継……簡単に言えば、子どもは急ぎのはずです。現国王陛下の子は王太子殿下お一人のみ。王妃殿下が丈夫でしたら最低でももう1人は欲しかったのでしょうが、仕方なきこと。側妃の話が出ていたものの、国王陛下が王妃殿下に心理的負担をかけたくない、と断ったのは有名な話ですし。
国王陛下と王妃殿下って政略で結ばれた婚約ですが、相思相愛になりましたからね。現王太子殿下と同じですわ。で、お身体の弱い王妃殿下のお心に、側妃を迎えるという心痛を与えたくない、という事でお迎えになられなかった。でも現実的に、国王陛下の子は王太子殿下のみ。
こんな事は言いたくないけれど、臣下としては、万が一王太子殿下に何か有れば……というわけです。ですので、国王陛下や王太子殿下が思う以上に、側妃・マイラの懐妊と出産は臣下の期待が大きかったわけで。それでこの結果ですものね……。
まぁ今回は、わたくしが無理矢理正妃に捩じ込まれたわけですから、マイラが側妃になる事は無かったわけですが。多分、わたくしが居ても居なくてもこんな結果になった気がしますわ。とはいえ、殿下の子は絶対ですし。わたくしは後2年は成人しませんし。そこから仮にわたくしが名実共に妻となったとして、子が出来るかどうかは、判らない。おそらく1年か2年で出来なければ、現国王陛下のお子が1人だけ、かつ、現状このような王太子殿下では、何かが起きたら……と考えると臣下は気が気ではないはず。
わたくしが成人して名実共に妻となったとして……今から最短でも3年くらい先にならないと子は出来ない。
「スープが出来ましたら、侍従が殿下に飲ませてみて下さいな。わたくしは側で様子を見ますわ」
さすがに何から何までわたくしはやりたくないですもの。という思考とは別に、先程の続きを考えます。
ーー抑、臣下達はそんなに長く待てるかしら。そう考えると、わたくしが成人していない。でも王家の血を引く子は欲しい。王孫の誕生を心待ちにしている、という臣下が多ければ多いほど、殿下は側妃を召し上げる方が良いはず。この状況ですから側妃の召し上げを臣下達から提案されるわよね。
という事を考えると、殿下の心が治った時には、やはりわたくしはさっさと離宮に引き上げたいですわ。……あ、でも、陛下が王妃殿下と共に離宮に来るのでしたら、残りの2つの離宮のうち、どちらかをわたくしが終に住まう離宮として、わたくし好みにしてしまおうかしら。
……って、あれだわ。今はマイラが居た時と条件が変わって来ているのですわ!
仮に殿下がわたくしの成人前に側妃を迎えたとして、その側妃が正妃の代わりになれるか解らないじゃ有りませんの。側妃って正妃に万が一が有った時には、正妃の代わりに執務やら公務やら行う存在でしたわ! この国の側妃になれる令嬢なんて、わたくしは知りませんもの。居るのかしら⁉︎
場合によっては、アレよ。側妃ではなく、子を産む存在としての愛妾よ? つまり政には一切関わらない存在……。あら、でも。わたくしは別に執務とか公務とか嫌いでは無いです。やらなくて良いならラッキーですけど、仕事は嫌いでは無いですし。ふむ。では、わたくしは成人と共に正妃としてお仕事して子を生す方は、愛妾という事で良いですわね。
今から王太子妃教育を受けて、お仕事を覚えますし、それまでは陛下と殿下に頑張ってもらえれば、成人してから王城に来てお仕事はしますわ。……ってもしや、今って全てのお仕事が陛下の負担⁉︎ 王妃殿下は表に出てきていませんもの。王妃殿下が行うべき仕事を陛下が肩代わりして……。王太子殿下がこの状況になってしまわれたから、王太子殿下の行える仕事も陛下が……?
ヒィッ。
それって過労じゃ有りません? つまり、殿下にはなるべく早く立ち直って頂かないといけないのですわね。責任重大ですが、果たして早く立ち直れますかしら?
やれる事をやってみても、立ち直れないかもしれません。でも、やってみなくては分かりませんよね。あの後、また殿下のご様子を見ましたが、穏やかに眠っていらっしゃるので今日はもう止めておこう、と侍従と話しました。
わたくしは、ケイと一緒に刺繍をして過ごしていました。
***
こんな感じで、日々を過ごして行き。7日経つ頃には少しずつ王太子殿下のお部屋から一番近い庭園までお散歩出来るようになっていました。殿下付きの護衛達数人と侍従とわたくしとケイと。
「殿下。庭園に咲く花はどうですか? 庭師の方が綺麗に咲かせて下さっていますね」
なんて声がけをしながらゆっくり歩いていると、急ぎ足でやって来る陛下が見えました。わたくし達は立ち止まり頭を下げて陛下の訪れを待ちます。
「シェイド!」
陛下の切羽詰まった呼びかけですが、まだ殿下は反応……あら? しないか、と思いましたが、少しだけわたくしと繋いでいる手に力が入りましたわ。
「シェイド? ……未だ回復はしておらぬ、か」
陛下の呼びかけに応えない殿下を見て、陛下は落ち込みますが、でも、多分声は聞こえていらっしゃるようです。陛下の声に殿下の手が強く握られますから。
「いや、だが、こうして歩く事は出来るのか。……セレスのお陰だな。面を上げよ」
「まぁ、ありがとうございます、陛下。多分、殿下に陛下のお声は届いておりましてよ? 先程、陛下がお名を呼びかけられましたら、手が強く握られましたもの」
「……っ。そうか」
「少しずつ皆さまから……出来れば王妃殿下からもお声をかけて頂きますと、回復に繋がるやもしれませんわ」
陛下が
「王妃もシェイドを案じておるから、少しならば会えるかもしれない」
と、頷かれました。それから引き続き頼む、とお言葉を賜り、また少しだけ散歩をしてから殿下のお部屋へ戻りました。このようにして、さらに10日が過ぎた頃。陛下の計らいで、王太子殿下と王妃殿下の久しぶりの再会へ。わたくしは、その場には立ち会いませんでした。我が子との久しぶりの対面ですもの。
お飾り正妃は居ない方が宜しいと思いましたの。王妃殿下には王太子殿下をお迎えに行った時にご挨拶だけさせて頂きました。今度ゆっくり話したい、とのお言葉でしたが、王妃殿下の体調が回復しないうちに無理はさせられませんので、いつか、とお応えしましたら、では、早く回復しなくてはね、と可愛らしく笑っておられました。……わたくしの考えはお見通しのようです。さすが一国の王妃ですわ。
そんなこんなで1ヶ月が過ぎたある日の事でした。
「正妃?」
王太子殿下が真っ直ぐにわたくしを見ていました。どうやら、立ち直られたようです。
「はい。王太子殿下。お身体はどうですか?」
「あ、ああ。だいぶ良い。何故、其方が此処に」
「それは、侍従にお聞き下さいませ」
立ち直られたのなら、大丈夫でしょう。念のため2日か3日程滞在したら、予定通り離宮に帰る事に致しましょう。
お読み頂きまして、ありがとうございました。




