6:作られた幸せだった
結婚式だけは、失敗だったが、翌日から相思相愛のマイラと公務は一緒。執務は別なのは仕方ないが仕事が終われば王太子夫妻の寝室で朝までマイラと甘い夜を過ごせていたので、シェイドは次第にお飾りの正妃であるセレスの事を忘れていった。いや、頭の片隅に押し込んだ、と言って良いだろう。結婚式は王太子夫妻にとっては、人生の汚点とも言えるのだから。
……こんな風にシェイドが考えている事をサミュエルが知ったら、きっとくどくどと説教をするに違いない。殿下とマイラ妃にとって汚点ならば、正妃にとっても汚点だと言えるだろう、と。側近だからこそ、言わねばならない事は言うもの。仕えているのは王太子であっても、給金は王城の財務から頂くので有る。つまり国王陛下の臣下なのだから、国王陛下が許可した結婚で有る以上、シェイドとマイラの気持ちに理解は出来るが同時にセレスの気持ちもきちんと理解出来るようになるのが、“王太子”の側近。
サミュエルはシェイドが“王太子”だからこそシェイドに仕えている。
もちろん、シェイドが王子だった頃から信頼関係を育んで来たし、その絆をサミュエルも大切にしている。だが、サミュエルの抑の立ち位置は文官。側近は側仕えだからシェイドの側で支えるのは当然のことだが、だからと言って“なぁなぁ”の関係でいて良いわけではない。寧ろ積極的に耳に痛い発言をしていくのも仕事のうち。それこそが、国のため、つまり民のためになる、ということだから。
シェイドは、側近だから自分の味方をしてくれる、と考えている節が有るが、そんな事は無い、ということに早くに気付くべきだろう。
さておき。
マイラは名目上は側妃だが、実際は当然正妃のように、いや、ただ1人の王太子妃のように、公の場……つまり公務も執務もこなしていた。誰もが完璧な王太子妃だと褒め称えていた。マイラが褒め称えられるとシェイドも鼻が高く、己が褒められているような気持ちになったし、益々マイラが愛しかった。
しかし、結婚式の汚点によってセレスに対しては些か狭量になるシェイドだが、元々は視野が若干狭くなりがちでも、優秀な王太子。己の立場も背負う責務もきちんと理解しているし、それに惓んだ事もない。日々、次期国王として国の行く末を案じて全うしていく意識もある。
だからこそ、父である国王が口にしていた懸念について、サミュエルと2人で調査を開始していた。無論、2人だけでは圧倒的に手が足りない。宰相と国王も調査には乗り出している。そして実質的な調査をする者の選出から4人で始めて……あっという間にシェイドが結婚してから3ヶ月が過ぎていた。
日々、調査を密かに頼んだ信頼出来る者の報告を聞く。3ヶ月かけて判ったのは、やはり高位の文官……大臣若しくは大臣補佐等の本当に高位の存在の誰か或いは複数が、国王の身辺を窺っているようだ、という事。
それが、誰なのかも不明だが、目的も見えて来ない。
それでも。
国王の懸念は思い過ごしでも何でもなく、明らかに何者かの何らかの思惑によって、本来なら知らないはずの大臣の1人が国王の視察ルートを知っていた、という重大案件が起きた事を知った。偶然などではない。故意だ。
それは、可能性の一つとして、国王の命を狙っているとも言える。政変、もっと言えば、国王暗殺後、王位簒奪。
その可能性に、シェイドは戦慄しつつ、己も狙われるかもしれない事にも気づいていた。それは愛しいマイラにも危難が加わるかもしれない、ということ。だが、未だ確信出来ない事だからマイラにも言えない。これは調査を担当している者以外は4人のみで他に口外してはならぬ、と厳命されていた。
シェイドはマイラを守りたい、と思っているからこそ、黙秘することも受け入れた。さすがにこの一件がアズリー公国が糸を引いている、などと馬鹿げた妄想は抱かない。
国王の視察の一件はアズリー公国との結婚の話より前の話の上、抑アズリー大公は未だ未だセレス公女を嫁がせる気が無かった事はレーゼル王国だけでなく、周辺国が知っている。何故なら、周辺国は侵攻出来ない事から、セレス公女との婚姻をもってアズリー公国の莫大な資源やそれによって生み出される資産を取り込もうとしているのだから。
戦争になるよりも余程平和的解決だ。
全ての国からの縁談を断っていた大公。
だからこそ、対外的には、縁談が多過ぎて吟味出来ないために、友好国であるレーゼル王国に嫁がせた、と発表している。
それを鵜呑みにしていないだろうが、あからさまに疑う事も出来ない程度には、大公の言っている事も否定出来ないので、周辺国も黙っている。
だが、水面下では、レーゼル王国の足を引っ張るために、情報を集めて画策しようと考えている国も多かった。
つまり、レーゼル王国そのものが危機に直面している、といった所。そんな情勢を知っているし理解出来ているシェイドは、仮令愛する妻といえど、マイラに話す事の危険性を予測出来ていた。
この場合、話す危険と話さない危険は、話す危険の方が高くなる事を示唆している。だから、愛する妻を守るために黙るのだ。誰が味方で誰が敵なのか判断するために。
それから時々国王・宰相・王太子・王太子の側近の4人で調査員の報告を聞くために集まる事は有ったが、表面上は穏やかに日々が過ぎて行った。
シェイド最愛のマイラは王城内では側妃様とは呼ばれながらも実質は正妃扱い。誰もがシェイドとマイラの結婚式に無粋な者が割り込んだ、という認識しかなかった。それくらい王太子夫妻は仲睦まじかったのだ。
ところが。
シェイドや国王・宰相等の耳には入らない……いや、多くの者の耳には入らないし、侍女や侍従などの耳にも入らないくらいか細いものながら、一部のメイド達の間ではとある噂が流れていた。
曰く。
ーー王太子妃様と護衛との距離が近過ぎる。
というもの。王城で王太子妃とは、マイラの事に他ならない。つまりマイラと護衛の距離が近い、という不穏なもの。とはいえ、こんな噂が広まれば尊い方達の耳に入るだろうし、そんな人達に届く前に物理的な口封じをされないとも限らない。誰しも己の命は惜しい。いつの間にか一部のメイド達のその噂は消えていた。
もちろん、そんな噂など全く知らないシェイド。最愛の妃の命を守るためにも、と表面上は穏やかな日々となるように心がけていた。それから時が経ち。
数日前から調子を崩すマイラが気がかりで侍医に診てもらえば、懐妊の知らせを受ける。当然喜ぶシェイドだが、侍医が言うには公に発表するのは、安定期に入るまで止めておく方が良い、との事で。父と宰相とマイラの父である侯爵と自身の側近であるサミュエルだけに知らせ、侍医の許可を得るまでは公にしなかった。マイラ付きの侍女達は当然知っているが、其方にも口止めをしておく。
それから数ヶ月。
ようやく侍医からの許可を得て王都内にて発表する。地方は王都からの噂で数日から数ヶ月遅れで届くだろう。
シェイドの頭の中からはすっかり忘れられていた正妃の存在だが、国王がきちんと連絡するよう宰相に命じていた。名ばかりとはいえ、正妃は別におり、実際に関わる事は無くとも、正妃の子で有るとも言えるからだ。その知らせを出した国王は、やがて正妃になった公女がとんでもない存在になっていた事を知る。
離宮から側妃への懐妊祝いとして、宰相の子息にして何故かセレス付きの護衛になりたい、と直談判して来た騎士・ラッスルがやって来た。
「国王陛下。拝謁の御意を賜りまして光栄に存じます」
「良い、楽にせよ」
本来ならば、王太子妃付き……マイラの近衛騎士になる予定だった。内定していて、シェイドと顔合わせも済ませていた。マイラとは結婚式の後に話を通す予定だったが、セレスの件で自分の元々の護衛に結婚後も付いてもらいたい、というマイラの願いを受け入れたため、ラッスルは王太子付きに変更予定だった。
その調整で暫くは誰にも付かないラッスルに、セレスを離宮に送り届ける事を頼んだのだが。一瞬だけ嫌そうな顔をしつつ、その命を受け入れて送り届けて来たと思ったら、自らセレス付きの護衛を、と直談判。国王はセレスが懐柔したのか、と思ったものの特に困る事でも無い、とその願いを了承した。
離宮に居る手のもの(監視役)からの報告では、セレスが見えないモノを見る存在だという報告や、ラッスルとケイの兄妹だけでなく、少しずつセレスに傾倒していく使用人が現れ出した、という報告まで上がっていた。
だが、自らの立場を理解するが如く、離宮から庭に出る以外は全く外に出ようともせず、外から誰かを招ぶ事もせず。秘密裏に何やら怪しい行動でも取るかといえば、全くそんな事もなく使用人達を見下したり嗾しかけたり唆したりするような事もない、という報告を見る度に、幼くともさすがは公女か、と少し見直していた。
そういった態度が使用人達に受け入れられているのだろう、と納得はしていたが。
ラッスルが態々やって来るとは、実は使用人達を懐柔してから、本性を現したか? と警戒する。
「国王陛下。セレス王妃殿下より、側妃・マイラ様への懐妊祝いを贈るよう仰せつかって参りました」
自信溢れるその表情や、仰せ付かる、と命じられた事にもまるで褒賞をもらったかのような誇り高い気持ちを抱いている事に、セレスに忠誠を誓っているように見える。
「そなた、セレスに忠誠を?」
「はっ」
いくら公の場では無くとも、この場には宰相……つまりラッスルの父や宰相補佐等が居る。その上でそれを肯定するということは、下手をすれば宰相が正妃・セレスの後ろ盾だと思われるという事。
セレスがこの場に居たら、脳筋……っ。その肯定が何を意味するのか解っているの⁉︎ とでも言ったかもしれないが、生憎セレスはこの場に居ない。抑ラッスルはその肯定の意味をきちんと理解している。それでも肯定した。
「セレスからの懐妊祝いはなんだ?」
「今、検品を受けております」
「そうか。品は」
「膝掛けにて」
無難なのは食べ物だから、食べ物を選ばなかったのは少し意外だった。後ほど改める、と国王は告げると宰相との親子の時間を作るよう無言で宰相を促す。宰相は頭を下げて、ラッスルを宰相の執務室へ補佐達と共に下がったと同時くらいに、国王の執務室の窓に鳥が止まった。
すかさず国王付きの護衛が執務室の片隅からサッと歩いて窓を開けて鳥を中に入れる。その足に付いている書簡を国王に捧げると、国王はそれを受け取り目を通した。
「なんと……っ」
普段、動揺を見せるどころか感情も見せない国王が、珍しく狼狽えた。護衛は直ぐに中身を検めようとする。
「ああ、良い」
国王は護衛を下がらせ、ベルを鳴らす。直ぐに侍従長がやって来て、伝言を頼む。ーー宰相に後ほど、此処へ戻るように、と。侍従長は直ぐに命に従った。執務室の片隅に居る護衛にも聞こえない程の声音で呟いた。
「セレスは聖獣を見る事が出来る聖獣の証を受けた娘、か。離宮全体に響いた声がそれを後付けする、とーー」
この事は、取り敢えず今のところは、国王と宰相の胸の内にしまっておくべきものだろう、そう判断した。同時に、懸念すべきは“正妃”として嫁いで来たというのに離宮に閉じ込めておくので良いのか、という事。
しかし、この事は王太子にも未だ話さない、と決めた。
マイラとの結婚を邪魔した小娘、という意識が抜けない限り、話しても「だからなんだ」 と言うに決まっている。自分の妻であり正妃という認識がまるで無い息子に話してもセレスの今後をどうするのか、という話し合いすら意味を成すとは思えない。
これまでは、それで良い、と国王自ら認めていた。
だが、これからはそんなわけにはいかない。
幸いにも他国に聖獣の気に入りという事を知らしめる方が良い、と聖獣がセレスに……いや、おそらくは国王に言って来た。他国に知らせる事で、レーゼル王国とアズリー公国に手を出すことは無い、というその考えはまず間違いないだろう。
古い国ほど、神話や聖獣の存在を信じている。
神話はさておき、聖獣は歴史上、何度かその姿を目撃されている事はどこの国の歴史書にも記されている。
そして、現在において、聖獣が現れたーーいや、聖獣が見える娘が現れたーー事は他国から狙われているアズリー公国には救いだろう。
此方が助けてやった、という気持ちが有った国王としても、水面下では他国からの侵攻に心を砕かなくても良い事に安堵していた。
「金を納めさせて、他国からの目を晦ませてやろう、と考えていたのだが。まさか、裏切らないために人質として送り込んで来たのか……と考えていた公女の存在が、逆に我が国を助けてくれようとは……余の傲慢さを反省せねばなるまいな。国王としては時に傲慢さが無くてはならぬが……故に聖獣の姿を確認は出来ぬのだろう」
国王は独り言ちながら、聖獣が見える者の条件について、思いを馳せた。
傲慢な事が悪いとは思わない。虚栄も虚勢も必要だろう。時に自身が一番だ、と考えなくては国を、民を守る事が出来ない時も有る。
それが、聖獣を見られない、と言うのなら、見えなくて良いとも思う。先代や先先代の国王達だってそう思うだろう。
それでも。
今、この時に、聖獣が見える者がこの国に居る事は国の守りになる事は感謝せねばなるまい。
お読み頂きまして、ありがとうございました。




