雑な分析
法律の学修には時間がかかるんですが、短答には受かるが論文には受からない、というときにあり得る理由、考えました。短答は、やはり、理解出来ていなくても合格点が採れるし、論文は理解してないと合格点は採れないのだと思います。ここで言ってる理解というのは、知識の隙間や、制度自体の間隙を予想する力を持つことです。それらが予想出来れば、未知の問題に対応できます。論文は、過去問を切り貼りしている部分や判例の事案に手を加えている問題も多いかもしれませんが、やはり、未知の問題しか出題されないです。故に、理解出来ていなければ合格点は取れないのです。例外はあるでしょうが、例外部分で最大の得点をしたとしても、やはり合格点を取ることは困難でしょう。短答にも、理解してないと取れない未知の問題はあります。しかし、過去問からの改変度合いが少ない既知の肢も結構ある。また、自由や正義の観点から違和感のある肢もある。この二種類を完答すれば合格点は取れます。故に、理解できていなくても合格点が取れてしまうのです。
では、何故理解が容易に出来ないのか。その仕組みを考えてみましょう。論文を書くために必要な理解は、制度趣旨、制度の仕組み、制度間の繋がり、について必要と思われます。しかし、制度は巨大なので、全てを把握することは不可能であり、しかも、論文試験では、考えたことの無い制度の使い方を問われることがあります。そのときには、制度趣旨、制度の仕組み、制度間の繋がりについて、知らない部分は、その場で予想しなければなりません。もっとも、この場合には寧ろ、短答でいう、自由や正義の観点から違和感のある肢、に近いので、そうした観点から、直接に、予想することが出来るでしょう。これに対して、複雑な制度で、事前に学んできているものだが、自分がその制度について細かな事項を忘れてしまっていたり、そもそも学んでいない制度の間隙が問題になっていたりしており、制度の全体像を再現して、適用する必要がある場合には、理解しているか否かで差がつくし、そういう問題が大部分なわけでしょう。そうした制度を理解していないのは、端的に、先の、短答でいう、自由や正義の観点から違和感があるか、を前もって十分に検討できていないからです。そうした制度の検討は、試験時間内に行わないので、集中力散漫な状態で行っていることがあります。加えて、そうした制度は、やはり、複雑なのです。複雑な制度を集中力散漫な状態で眺めているだけなので、理解が進んでいないわけです。




