第083話 帰還
朝がきても、まだ深々と雪は降り続いていた。厚い雲に覆われた空から光差すことはなく、また日がな一日陰鬱とした人々の顔が流れていくのだろう。
しかしそのおかげか、わざわざ東の森を闊歩しようと思うものの姿はなく、相変わらず東の門は閉ざされたままだった。俺は東の守衛に礼を言って専用の小扉を開けてもらい、マーロンさんと二人、一旦町へ戻りますとマイルネの町を出発した。
空を舞う雪も幾らか小降りとなり、真っ白なキャンバスの上に俺たち二人の足跡だけが影をつけている。なのに意味もなく言葉のない俺たちは、一言も言葉を交わすことなくしばらく歩き続けていた。
「あの……」
「ええと……」
絶えられなくなったお互いが同じタイミングで話しかけ、同時に「ぷっ」と吹き出してしまう。俺はどうしてこんな簡単なことを躊躇していたんだと思い直し、「ごめんなさい」と謝った。
「なんの謝罪でしょうか~?」
「なんだかずっと変な感じだったから。どう声をかけていいのかわからなくて」
「それはお互いさまでしょ。私もトアになんて声をかけていいか、わからなかったし」
「ごめん」
「だからどうして謝るのよ。トアは何も悪いことしてないし、私もポンチョだって悪いことしてないよ。だからこうなったのはお互いさま。誰も謝る必要なんかないんだから」
とは言ったものの、少々面倒なことになってしまったことは否めない。十中八九、南の国による支援は期待できないだろう。下手をすれば相手国の方が本国の現状より酷い状態であることすら予測され、むしろ状況は悪化する可能性すら孕んでいる。
そうなれば、必然的にマイルネの町は動かざるを得なくなる。強行軍で強引に雪道を進むか、もしくは海を割って他国へ救助を申し出るか。それとも軍備に頼って南へ進軍するか、もしくは全てを諦め春を待つのか。どちらにしても、多くの犠牲が生じることは否定できそうもない。まず間違いなく、多数の死者が出るだろう。
「ホントのところを言うと、私は町のみんなを助けてあげたい。でもそれは私個人の意見であって、村のみんなやトアの考えていることとは違うんだよね。何よりこの雪がいつまで続くかわからないし、私たち自身のことも考えなきゃいけない。……だけど」
「わかってる、それでもマーロンさんは彼らを助けたいんだよね」
町を出る前に彼女に声をかけられ、俺たちは町外れにある貧民街と呼ばれる一角に立ち寄っていたた。そこでは冬の寒さを避け、かろうじて生き延びている人々の姿があった。しかしそこにいる全ての人は窶れて痩せ細り、とてもこの冬を越えられそうにはなく、すぐにでも手を打たなければならない状況下にあった。
頷く彼女の顔を見つめながら、俺は気分を変えるため頭上のポンチョを彼女の頭に乗せ、さらに二人を抱え上げた。そして周囲の視線を確認してから「急ごうか」と高く飛び上がった。
「心配事はなくならないけど、まずは一つずつやるべきことをやっていこう。本日最初のお仕事は、アイツらと合流し、急いで村に戻ること、でしょ?」
分厚い雲に分け入った俺たちは、そこでしばらく身を隠し、それから約束の場所である森の入口付近に着地した。彼らとて、俺たちと合流するまで誰かに狩られるわけにはいかず、狡猾に身を隠しているはずだ。何より不用意に町に近付けば、周囲を警護しているトゲトゲさんにやられてしまいかねない。
なんて心配していた俺の予想を裏切るかたちで、着地するなり凄い勢いで接近してくる者たちの影が。まるで警戒心なく集合したウルフたちは、俺が何を言うでもないのに美しく二列に整列し、さっさとこちらの指示を待っているじゃないか。いや、どれだけ従順なんだよ!
「お待ちしておりましたハク殿。我々、ハク殿の言いつけどおり、南の平原で待機し、今朝方急ぎこちらへ駆けつけ申した。して、ハク殿の村は何処に? 楽しみですなぁ、ワクワクが止まりませぬぞ!」
「ストップ、ひとまず挨拶はそこまでにしよう。悪いけど、少し急ぎでやらなきゃならないことができたんだ。悪いけど、あまりゆっくりしていられないんだ」
「ほう。それはもしかすると、この天候が関係しているのでは?」
「だね。……って、そういえばシルシル、どうしてキミは人の言葉を喋ってるの?」
「昨晩のうちにマスターしておきました。我ら一部の上位種は、人族で言うところのスキルが扱えるため、昨夜のうちに人族の言語を習得しておいたのです」
「そ、それはどうも……」
「ではお急ぎとのことですし、如何でしょう。御三方を我らの背に乗せ、村までお運びしようと思うのですが」
「え、いや、でもね……。まだ皆さんはお客さんであってね」
「そのようなこと、気にするまでもありません。我ら、既に貴方様に忠誠を誓っておりますゆえ、たとえ村に置けぬと言われたとて、勝手にこの森で生き抜いていく所存でおるところ。どうかお気になさらず」
サラッと凄いこと言った気がするが、そこまで言うのなら仕方ない!
恐縮しながら俺たちがシルシルの背中に腰掛けると、彼は遠吠えで家族に工程を示してみせた。森にウルフの声色が響き、それぞれがそれぞれの視線を確認し終えると、一斉に雪道を駆け始める。
「うわっ、速い、速いよ!?」
俺が木々の上を走るのとは別の臨場感があり、俺とマーロンさんから思わず声が漏れてしまう。頬を刺す冷たい風の感覚と、石礫のように頭に当たる雪の感覚がたまらず、ポンチョが喜びの遠吠えを上げた。するとそれに釣られ、後ろを走るウルフたちも、また同じように声を上げたのだった。