第078話 交渉
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深々と降り続く雪は未だ止むことなく、ただの一色に染まり切った地面を延々と濡らし続けている。これまで微かに届いていた陽の光すら奪い去っていった分厚い雲たちは、空中に広がっていたはずの星たちすらも覗かせてはくれない。
夜になり、家々に微かな光が灯った頃、俺たちは音もなくマイルネの町へと戻り、人影のなくなったギルドの戸を叩いた。仕事を終えて帰宅する直前だったローリエさんを呼び止めた俺たちは、ギルドマスターであるテーブルと、その仲介人としてローリエさんに〝ある依頼〟を出した。
「お二人以外のどなたにも知られぬ場所で、お二人に会っていただきたい方がいます。可能ならば、今すぐにでも」
マーロンさんの提案に頷いたテーブルは、すぐにギルドの部屋を用意すると提案してくれた。しかし俺たちは、できれば町の外がいいと彼の提案を断り、南門から出た先に広がっている人影のない森の一角に彼らを呼び出した。
「おいおい、一体なんの真似だ。わざわざこんな場所に呼び出すなんてよ」
不測の事態の連続で残業続きだと欠伸したローリエさんは、早く帰って子供の顔が見たいわと緊張感なくノビをしている。しかし次第に高まっていく妙な雰囲気を感じ取ったのか、テーブルが周囲と隔離された森とギリギリの境目で足を止め、「まさか、罠じゃあるまいな?」と質問した。
「罠などありません。しかし今回ばかりは、誰にも見られるわけにいきませんので」
マーロンさんの言葉を疑い、テーブルは周囲に妙な結界などが張られていないかを慎重に確認し、念には念をと連絡用の時限アイテム(※数時間内に解除しなければギルドに連絡が届く魔道具)を森の外に設置した。
「では、準備はよろしいですか?」
「……ああ。それで重要な案件ってのはなんなんだ?」
マーロンさんが俺と視線を合わせた。
頷いた俺は、ふぅと息を吐いてから、指先をパチンと鳴らした。すると僅かに離れた場所で結界が弾け、突如大きな魔力が姿を現し、テーブルが俺たちと距離を取った。
「まさか離れた場所に結界を張っていやがったとは。それにしても、なんだこの巨大な魔力は……。ついに尻尾を出しやがったか!?」
「落ち着いてください。先程も言いましたが、私たちは皆さんと敵対する意思など毛頭ありません。……会っていただきたい方。それが、彼です」
森の奥からヒタヒタと足音を鳴らし、俺たちの元へと歩みを進めたその巨大生物は、グルルと腹の底まで響く呼吸を森中に撒き散らしながら、微かに差す月明かりに瞳を輝かせた。
そのあまりに場違いな生物の登場に、絶句して俺の腕を掴んだローリエさんは、「あ、あわわわ!」と言葉が出てこず、口から泡を吹いてひっくり返ってしまった。
「ちっ、まさかシルバーグロウウルフとは想像もしてなかったぜ。俺ひとりでどうにかなるか!?」
両手武器を構えて身を屈めたテーブルに「お待ちください」と前置きしたマーロンさんは、シルシルに近寄ると、彼の鼻面をそっと撫でてみせた。そして「敵対するつもりはないと言ったはずです」と改めて忠告した。
「敵対心がないと言っても、そいつは超が付く凶悪な魔物だ。突然襲いかかってきてもなんら不思議はねぇ。悪いがこのままでいさせてもらうぜ」
「……いいでしょう。ですがこちらに攻撃の意思はございません。私たちは、マイルネのギルドと、彼らとの対話をお願いするために、この場を用意していただいたのですから」
俺はひっくり返って気絶しているローリエさんの頬をポンポンと叩いて起こし、頭の上で眠そうにしていたポンチョを彼女に抱かせた。
「対話だと? 俺たちギルドが、そいつら魔物と何を話せってんだ」
「本来ならば明日の夜、彼らのもとへ赴く予定となっていましたが、僭越ながら少しばかり先行し、彼らと話を付けて参りました。彼らに詳しく話を聞いたところ、この長雪で彼らの住む南の森も大きな打撃を受け、必要な食料を確保できないでおり、仕方なく森を出て南の平原へやってきたのだと。しかし食料はなく、やむを得ず通りかかる冒険者たちを襲い、場当たり的に過ごすしか方法がなかったようです」
「なんだと? ……しかし、だったら俺らにも手を出す権利があるってことだ。そうだな?」
シルシルとテーブルの視線がぶつかり、途端に緊張感を帯び始める。しかし俺は素知らぬふりを決め込んで両者の間に割って入り、わざとらしく口笛吹き吹き誤魔化し、マーロンさんに続きを促した。
「確かにそうかもしれない。だからここで、一つ提案をさせてもらいたい。この町から南へと抜ける平原のルート、彼らには今後ここを通る冒険者を襲わないという条件付きで、これまでのことを不問としていただくことはできないだろうか。彼らは今後、ギルドに関わる冒険者たちを襲わない。それで手打ちにしていただくことはできないだろうか?」