第065話 俺、なんもしてなくね……?
「いや、だからね……。みんな優秀すぎるのよ。もう少しお気楽にいきましょうよ、ね?」
しかし一切緊張感を緩めないリッケさんたちは、ハウス内の等間隔にそれぞれ陣取るなり、最後にゲージ前で待っていたマルさんに合図を出した。するとマルさんは俺をジーッと見つめながら、「まだですか?」と言わんばかりにソワソワしている。いや、意味がわからないんですけど。
「ええと、これからマルさんは何をするんですか?」
「ええとね、おいらはこれから蟻たちを決まった方向へ流すんだな。蟻たちにとっておいらたちは絶対の天敵だもんでね、水と同じみたいに必死に逃げようとするんだな。だからおいらたちがいるだけでね、ある程度蟻たちの動く方向が決められるんだな。すごいでしょ?」
えっへんと胸を張るマルさん。
意図的に蟻たちの尻を叩く方法まで折り込み済みなのかと感心してしまった。確かに蟻たちをただゲージから出すだけでは蟻玉にならず、闇雲に動き回るだけになってしまいそうだ。だからこそ本能的、かつ最も速いスピードで逃げるためには蟻玉になることが最適解となるため、ほぼ100パーセントの確率で意図的に蟻玉を作り出すことができる、と。なんだよそれ、賢すぎるだろ!
「追い出された蟻たちは、一定間隔ごとに置かれた石を本能的に避けつつ、捕食作業を開始するはずです。あとは流れを止めぬように、かつルートを逸れず動かせるように石の配置箇所などを模索していきましょう。ということで、そろそろよろしいですか、ハクさん?」
どうやらマルさんは俺のスタート合図を待っていたらしい。小さな身体をムクムク動かしながら、今か今かとゲージを開けるタイミングを見計らっている。ならばもう仕方ないか!
「それじゃあ、す――」
と言いかけたところで、俺の頭から飛び降りたポンチョが「お仕事お仕事~!」とマルさんに飛び乗った。開始の号令と勘違いしたマルさんは、勢いよくゲージのフタを開け、「ガオーーーー!」とアリクイ族ができる精一杯の怖い顔で蟻たちを威嚇した。
俺のスタートを待たずに飛び出した蟻玉が、もの凄いスピードでピルピル草の並んだ畑の畝を駆け抜けていく。地面の土ごと削り取り、一瞬でハウスの対面に到達すると、水の膜が張られた壁と反発して急カーブし、隣の畝に突進を始めた。「ヨーシ!」と賭け事に大枚叩いたギャンブラーのような声を上げたリッケさんは、面白いように操られて進んでいく蟻たちの行路を見つめ、拳を固めていた。
一定方向に駆け抜けていった蟻たちをハウスの端で待ち構えていたマルさんが、最後のダメ押しとして身体を大きく広げながら「ガオーー!」と声を跳ね上げた。するとそれに驚いた蟻たちは、唯一の逃げ場であるゲージの中へと一斉に飛び込み、再びフタをすれば、あらら元通り……、といった流れだ。それにしても、最初から上手く行き過ぎじゃないの?
なんて思っていたら、周囲の面々が一斉にドッと沸き、大きな拍手の輪が起こった。よくよく考えてみれば、どうやら俺がやってくる前から入念なリハーサルをしていたのだろう。ハウスの所々は何かを試行したような傷や補修が多々あって、彼らの喜びようから察するに、きっと俺がいないところで何度も試していたに違いない。まったく、この人たちは……。
「しかし! ……喜ぶのはまだ早いぞ諸君。現段階では、蟻たちが畝を走っただけにすぎない。肝心なのは、その走りの中で受粉の作業がなされているか否かだ。確認班、確認作業をお願いします!」
リッケさんが合図を出すと、選りすぐりのメンバーたちが一斉にハウスの中に入ってきた。彼らは目と鼻をこれでもかと動かしながらピルピル草の雄穂を一株一株入念に確認し、それぞれに花粉が付着しているかを丹念に調べていった。そして15分後……
「確認できました。おおよそ全ての雄穂に、花粉の付着を確認しました!」
再びドッと湧き上がる面々。
頷きながら手を叩いたリッケさんは、手助けしてくれたチームの皆々とハイタッチして労をねぎらった。
それにしても妙ですねぇ。
俺、なんもしてなくね……?
「素晴らしい結果だ! まだ様々課題はあるものの、狭いハウス内とはいえ、本来数時間かかる作業が、ほんの数十秒で実施できてしまった。これも偏に、私に手を貸してくれた皆と、この環境を用意してくれたハクさんたちの努力の結果だと思う。本当に素晴らしい!」
感極まって目頭を拭うリッケさん。そして彼女を励ますように集まった猫族、そしてアリクイ族の皆様。そして無関係に喜んでいるポンチョさん。俺だけ凄い蚊帳の外な気がしますけど!?
「す、す、す、凄いですねぇ。もう俺なんかいなくても、皆さんだけで全部できてしまいますねぇ……」
「何を言ってるの。全てはここまでの環境をお膳立てしたハクさんたちの成果ですよ。私などは少しの助力をしたまでにすぎません。それに、まだまだ課題は大きいです。この実施方法をどうやって畑全体に伸ばしていくのか、はたまた蟻たちが畝の土ごと捕食してしまう点など、改善しなければならないポイントは腐るほどあります。これからハクさんたちには、これまで以上に手を貸していただく必要がある。覚悟しておいてくださいよ!」
皆が皆、揃いも揃って俺の肩をバンバン叩く。
しかしまぁ、上手くいったことは悪いことじゃない。むしろ俺の力などなくても、彼らの力だけで前に進むことができる。これはこれで上々の結果だ。
だがしかし、まだ唯一解決できていない大きなポイントが残っている。それをクリアせずして、ピルピル草攻略の糸口は見えてこないのだ!
「残る課題は他との差別化、か……。ピルピル草は味という点でアピールするには難しい食材だから、質以外の部分で勝負するには別のアピールポイントが欲しいんだけど、こればっかりは難しいなぁ」