第004話 なんの因果か
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俺はこの世界の形を知らない。
この20年間、外の世界のことを知りたいと思わなかったからだ。
知識を入れたところで自由はなく、望んで他国へ出ることもできない。
何より仕事のほとんどは潜入と暗殺だし、目的と概要だけ理解していれば、ほかの情報は無駄にしかならなかった。よって余計な情報は自ら遮断し、ただただ事務的に仕事をこなし、外敵を排除することだけに集中した。無意味に外の世界を知る行為は焦燥となる原因にしかならず、俺は暗殺に必要のない情報を入れることを自ら拒んだ。
「……が、その結果がこのザマだ。もはや俺は、俺自身がどこにいるのか、どこへ行けばいいんだか、サッパリわからん!」
『可能な限り遠くへ』というキャッチフレーズのもと、俺とポンチョは約二ヶ月の時間をかけて、ただ一心に東の地を目指して移動した。しかし目的地があるわけじゃないし、目当てになる国があるわけでもなく、さらには他国の情報を一つも持っていないので、どこを目指せば良いのかすらわからない。
「そんな折にポンチョさんや。アンタ、さっきからそれが俺の足にバシバシヒットしてるわけですが、そこんとこ気付いてらっしゃいます?」
お気に入りの木の枝を振り回しながら歩いていたポンチョが嬉しそうに振り返った。当然俺の言葉を気にするわけもなく、「ト~ア、抱っこ!」と悪びれもなく両手を挙げた。
「へいへい。ったく、どうしたもんかね。モンスターの肉や皮を売って手に入れた金もそろそろ底を尽きそうだし、なんなら村や町もねぇし、そもそも食うもんもねぇし……。はてさて、自由ってのは、こんなに『ひもじい』もんだっけか?」
などとぐだぐだ文句を言いながらポンチョを抱えて森を歩いていると、唐突に開けた場所に行き当たり、遠く街道へと続く道が見えてくる。二人して「おおっ!」と声を上げ、小躍りしながら固められた砂地の道を走り出した。
「いよいよ町がありそうな予感だな。ようやくちゃんとした飯にありつけそうだぞ!」
「めし、めしー! ポンチョお腹へったー!」
「どの国の、なんて町だか知んねぇけど、飯はこの世の正義って誰か言ってたぜ。ポンチョさんや、スピード上げっから舌噛むなよ~!」
そうして整備された道を走った俺たちは、小一時間進んだ先でピッタリと足を止め、「おぉー」と声を揃えて目を見張った。
広い広い草原地帯のど真ん中、そこにそびえ立つ巨大な外壁を前に額に手を当てた俺とポンチョは、正門らしき列に並んだ人々を指折り数えながら、ぐぅぅと鳴った腹を押さえた。
「ト~ア、ポンチョ、ご飯⤵️(ショボ~ン)」
「腹減りすぎて語彙力すっ飛ばしすぎだろ……。ちょっと待ってろって、どのみち入らなきゃ始まらねぇんだからさ」
列に並び、ルールを破ることなく入国する。たったこれだけのことだが、今までの俺にしてみれば、あまりにも新鮮な作業だ。ここに至るまでも身分証明の必要がない村や町に立ち寄ることはあったが、これだけ大きな国に入るのは初めてだった。
考えてみれば、正面からまともに町に入ったことなどなかった。組織の手引きや身分を隠しての潜入、壁を乗り越えて入国することもあれば、姿を変えて忍び込むのが当たり前。身分を明かして他国へ入ることなどあるはずもない。
「見た目もすっかりさっぱり変えてきたし、糞国を出たって情報も完全に消してきた。誰も俺が『常闇の殺戮者』だなんて思うことはないだろうが、それでも警戒だけは怠らず」
かつて暗殺者だった頃の俺は、鼻まで隠れてしまう黒の長髪に、漆黒に染められたような瞳。全身を覆い尽くす黒の装具に、さらに目深に被ったフードで完全に闇と同化していた。さらには魔力で骨格ごと矯正し、175センチ中肉中背の現在より2サイズ小さな肉体をたもっていた。しかしこれからは本来のサイズ感に加え、美しく映える青色の髪と、薄紫色の瞳を前面に押し出すなどして、威風堂々としたものだ!
いつかの潜入時に個人的に偽造した身分証を引っさげて正々堂々と列に並んだ俺とポンチョは、順番がくるなり自信満々で守衛にそれを差し出した。しかし訝しみながら俺たちを見つめる彼の様子がどこか妙で、思わず俺は「何か問題でも?」と聞いた。
「いやね、随分と珍しい組み合わせだなと。そっちの獣人の身分証は?」
「ああ、こいつはずっと田舎にこもってたもんで、身分証を持ってないんだ。新規で作ることは可能かい?」
「それは問題ないが。銅貨8枚な」
「8枚!? ちぃと高いな、もう少し安くなんないの」
「ならば入国はあきらめろ」
「ちぇ、はいはい払いますよ、払えばいいんでしょ」
俺は懐から出したなけなしの金と、ポンチョの身分を適当に記入した魔力便箋を手渡した。「ヤブイヌ?」と首を傾けた守衛の反応が気になりはしたが、無事身分証を手に入れた俺たちは、入国を許可されるに至った。
「あ、そういえば聞いてなかった。なぁ守衛のおっちゃん、ここはなんて国の、なんて町なんだい?」
「ハァ? なんて国って、アンタらそんなことも知らずにきたのかい」
「はは、森を散々迷い歩いた挙げ句、偶然見かけたもんで、ついでに物資調達を、ってなもんで……。それでなんて名前なの?」
「おっほん、ではよく聞きたまえよ。ここは東の大国として名高いコーレルブリッツ公国が首都、マイルネの都さ。壁のあるここからは見えないが、町の北側に広がっているマイルネ湾は海運の拠点でもあるから、他国との交易も盛んでね。さらに町の東には広大な『モリスの森』が広がっていて、資源も多く様々な産業が発展している自慢の故郷さ。何より我が国の君主は、そんじょそこらの御人とは違う。なんたって、ここはあの『ランヴィル公爵』率いる国なのだからね!」
それはそれは自慢気に語った守衛の男は、胸を張りながら堂々と鼻息を吐く。しかし男の言う人物の名は俺ですら聞き覚えがあり、俺ですら思わず「なるほど」と頷いていた。
「〝 知略深き不敗の賢君 〟として名高いランヴィル公爵殿の御国でしたか。それはそれは、存じ上げなかったとはいえご無礼を」
わかればよろしいと守衛がさらに胸を張る。しかしその反面、ハハハと苦笑いを浮かべた俺は、ポンチョの身分証を受け取り、さっさと話を切り上げた。
じゃあねと手を振るポンチョに、にこやかに手を振り返してくれた守衛をやり過ごし、俺たちはいよいよマイルネの町に入った。
高い塀で囲われた敷地の中は、全面レンガ張りなのか、角々しい建物が建ち並ぶ美しい町並みが広がっており、様々な人種が入り交じり、多くの人々が街道を行き来していた。嬉しそうなポンチョが「早く早く」と俺の手を引くが、俺は少しばかり過去の記憶に苛まれ、歩みのペースが落ちていた。
「まさかここがコーレルブリッツ公国の首都だとは……。なんの因果か、俺が先代をぶっ殺しちまった国じゃねぇのよ」