第228話 最大の危機
しかしシルシルは大きく首を横に振り、冷や汗を滲ませながら視線を背中の俺に向けて言った。
「違います」
怯えなのか、シルシルの目にどこか力がない。
すると彼は俺から視線を避け、進行方向だけを一点に見つめながら、こぼすように呟いた。
「このままでは、……村が滅びてしまう」
全ての熱を吸い取ってしまうかのように、雨に濡れた砂が砂漠の灼熱を冷やしていく。それと同じく背中から嫌な寒気を感じた俺は、一度大きく深呼吸し、改めて聞き直した。
「何があったんだ?」
シルシルは天を見上げ、未だ降り続いている雨粒を見据えながら付け足した。
「砂漠地帯(※公国南西地区)はこの程度で済んでいるようですが、我らの住む東の森は酷い状況です。村長殿もご存知のように、数日前までは雨粒も小降りとなり、一旦は落ち着いていたのですが……」
モリスの森へ走るさなかも、天候は次第に悪化し、空の雲も分厚さを増し始めていた。降り注ぐ雨粒は秒ごとに増し、肌を濡らす水量も強まり続けている。
「雨が……? いや、でも、まさかそれくらいで」
そのとき、俺は脳裏によぎった言葉を口にするのを躊躇した。
しかし俺に代わって隣のマーロンさんが険しい表情を浮かべながら質問する。
「洪水……、なの?」
それでも肯定しようとしないシルシルは、森の命の根源であるセデスの泉の名を挙げ、また黙ってしまった。それだけで本格的に察してしまった状況に頭を掻いた俺は、「急いでくれ」とシルシルの耳元で呟いた。
「お、おい、どういうことだよ。ちゃんと俺たちにもわかるように説明してくれよ!」
俺の背後にしがみついていたペッツが煽り立てるように言った。ギロリと睨みを利かせたシルシルは、観念したかのようにポツリポツリと語り始めた。
「村長殿を送り出した少しあとからだ。ずっと降り続いていた雨が、また強くなり始めた。雨ごときなんということはないと高をくくっていた我らを嘲笑うかのように続いた雨は、次第にその量を増やし、いよいよ笑っておれぬ状況となっていった」
「笑っておれぬって、森で雨が降るくらいどうってことねぇだろうが。それがなんだってんだよ」
ペッツの煽りに対し、牙を露わにするシルシル。
アシュリーが抑えるように続けてくれと諭した。
「我ら村に沿って流れている川の上流には、太古より『セデスの泉』と呼ばれる巨大な湖が存在している。泉は公国内全土の水を支えていると言って相違ないほど広大な水量を誇る水瓶ではあるのだが……」
「あるのだが、なんだってんだよ!?」
「…………壊れかけているのだ」
「壊れる? 何がだよ」
「泉がだ! あまりに長く降り続けた雨によって、セデスの泉が決壊しかけているのだ。このまま降り続けば、間違いなく泉が決壊してしまう」
「ハァ?」と軽い反応を示したペッツら牙の面々に対し、俺やマーロンさんの顔はさぞかし引きつっていたことだろう。その意味を理解できずにいる彼らに事の重要性を説明しようとしたところ、後方のウルフの背の上から別の声が聞こえてきた。
「お、おいお前ら! 今の話は本当なのか!?」
村の面々や、牙のメンバーとは別の声だ。
振り向いた俺たちの目に飛び込んできたのは、そこにいるはずのない二人の姿だった。
「て、テーブルに、ローリエさん!? どうして二人がそこに!?」
「し、知るかよ! コイツらが勝手に俺たちを乗っけて走り始めたからだ。だが今はそんなことどうでもいい、ちゃんと話を聞かせやがれ!」
どうやらシルシルの部下が牙のメンバーと勘違いして二人を連れてきてしまったらしい。慌ててシルシルに横付けした二人は、牙の面々に付け加えるように、位置関係を含めた村と泉の概要や情報を伝えた。
「ハァ!? セデスの泉って、そんな巨大な湖なのかよ! しかもそれが村のすぐ上にあるって、そんなもんが決壊したら、お前らの村なんて……」
「だから時は一刻を争うと言っているのだ! あのまま泉が決壊すれば、我らの村は大量の水に飲み込まれる」
「や、やべぇじゃん」とペッツが絶句する。
しかしそれだけでは済まないとテーブルが唇を噛みながら付け加えた。
「もしそんなことになってみろ。大量の水が、泉に直結してる川を下って流れてくるんだぞ。その先にあるマイルネの町もただじゃ済まねぇよ」
ギリッと奥歯を噛みながら雨粒を拭う。しかしその間にも雨量は増し続けており、空を覆った雲も漆黒を思わせるほどに積み重なっていた。森全体を濡らす雨粒は、その脅威をまざまざと見せつけるよう、満身創痍な俺たちを嘲笑っているかのようだった。
「で、でもよぉ、そんな大袈裟な話なのか。町がただじゃ済まねぇってさ」
そこまで言いかけたペッツがテーブルの後ろで震えているローリエさんに気付き、「アンタ大丈夫か?」と尋ねた。
言い換えれば、この場にいる全員の中で、もっとも庶民に近い存在が彼女だ。
彼女は冒険者ギルドの職員ではあるものの、スキルを操る強者でもなければ、絶対的な魔法の使い手でもない、ごく普通の女性だ。その彼女の取り乱しように気付かないほど、この場にいる冒険者たちは愚かじゃない。
「……マスター。もし泉が氾濫を起こしたら、マイルネの町はどうなるんですか」
不意にローリエさんが呟いた。
しかしテーブルは、言及を避け、言葉をはぐらかせた。
「町には私の家族や子供たちだっているんですよ! もしそんなことになったら……」
いつも調子のいい彼女の顔から生気が抜けていく。
しかし状況は相当によろしくない。
それはシルシルたちウルフの顔色を見ているだけでなんとなく伝わってくる。
「現在は猫族の族長らが集まり、村長殿が戻るまでの間、村民の避難や水害対策にあたっているところ。しかし我らの力だけでは、できることも限られているゆえ」
そんな中、一秒でも早く俺を頼ろうと、彼らは約束を反故にしてまで砂漠までやってきたのだ。
「村長殿、今は貴方様だけが頼りの綱。どうか我らをお救いください!」
シルシルが縋るような眼で俺を見つめている。
もちろん俺の力でどうにかなることなら全力を尽くす。
しかしこればかりは即答もできない。
とにかく今は急ぐしかない!




