22. 杵と臼は、餅つきの二日前からうるかして(水につけて)おきましょう
終盤すさまじい盛り上がりを見せた伊達味マーケットから、一週間が経った。時の流れとは早いものだ。俺は相変わらず赤根農園で寝起きして、野菜の収穫や袋詰め、スーパーへの配達などの仕事に追われていた。
今はなにをしているかというと、九条さんと共にスーパーで買い物をしている。冷蔵庫の中身がすっからかんなので、大至急肉やら魚やらのタンパク源が必要なのだ。
赤根農園の皆さんはベジタリアンではなく食べ盛りの男だらけなので、食卓に野菜しかないと容赦ないブーイングが巻き起こる。毎日エネルギーを燃やして肉体労働をこなしているんだから当然のことだ。
野菜の配達ついでに訪れたヨーバン山村店は、いつにもまして活気にあふれていた。
買い物かごを手にしたお客さんが忙しなく通路を行き来し、『ヨーバンスタンプをためて、大相撲観戦に行こう!』などというアナウンスが繰り返し放送されている。
「今日は、全商品十五%オフなんだよ」
「じゅっ……えっ、すごいですね!」
「ヨーバンの社長が相撲ファンでね。山形に縁のある力士が立ち合いに出ると、勝敗に関係なくセールをするんだ。今日は調味料なんかもまとめ買いしておこう」
九条さんからお得情報を聞かされて、俺は太っ腹な社長に拍手を送りたくなった。よっ、庶民の味方! 日本一! これからもよろしくお願いします!
かごを片手に野菜売り場を歩いていると、職業病なのか野菜の産地と値段にばかり目が行ってしまう。
この時期のなすは高知県産か……あ、キャベツ三百円ってうちと同じくらいだ。白菜が四分の一カットで百七十円って、たっかいなあ。赤根農園はまるまるの大玉白菜をひとつ四百五十円で売っていたから、値段の安さではうちが勝っているぞ。
九条さんは店のすみっこで赤根さんに電話をかけて、必要なものを聞いていた。
「今日、雑煮作るんだろ? ごぼういるか? 鶏肉もいる? はいはい」
通話を終えると、泥付きのごぼうをかごに入れて肉のコーナーにさっさと歩き出す。ごぼうは赤根農園で育てていないのだ。
どうやら今晩は特別なごちそうを作るようなので、俺も無駄な行動を控えて従順について行った。
「あ、とり胸が安いですよ」
気をきかせて肉コーナーの特売品をかごに入れる。すると九条さんはすかさず肉を元の場所に戻した。な、なんだ一体。俺の家では鶏肉といえば胸肉なのに。
「天見くん、鶏肉といえばももだろう? 胸肉はパサパサしてるし、野菜と一緒に料理することを考えれば旨味の出るもも肉一択だ」
「は、はあ」
戸惑う俺をよそに、九条さんは小さな津軽どりのもも肉パックを持ってきた。ちらりと値段を見ると……七百円!? たっけえ! なに考えてんだよこのセレブ様は!
その後も九条さんは、外国産の豚肉をかごに入れようとした俺を鬼の形相で牽制した。
「天見くん、外国産の肉は買わないからな。国産の物だけ持ってきなさい」
「でも、高いですよ……」
「高くて何が悪い? いいか、僕は君みたいな若者のために食材を厳選しているんだ。未来の妻や子どものためにも、君は病気の心配がない健康体でいるのが義務なんだぞ? 身体に良い物だけを摂取して、体外に毒を出さなければ!」
異常に健康志向の強い九条さんは、何かに憑りつかれたようにまくしたててきた。
いいですよそういうの、安い物をお腹いっぱい食べましょうよ。小市民の俺はげんなりしていたが、反論する勇気もなく九条さんの高額ショッピングに付き合い続けた。
「この店、僕の好きな酢が置いてないんだよな。無農薬栽培の米から作った無添加のお酢が欲しいんだけど……」
九条さんは調味料選びになみなみならぬ執念を燃やしている。こんなこと言っちゃ悪いが、見ていてストレスが溜まる。ぶ厚い雑誌を引き千切りたくなる。
「味噌と豆腐は自分の目で見て選びたいから、天見くんは醤油持ってきてくれる?」
「はーい……」
素直に大手メーカーの商品を買えばいいのに。調味料コーナーであんなに熟考してる人は初めて見たぞ。俺は一番安くて量の多い醤油のボトルを取ってきて、かごに入れた。
「それ、アルコール入ってる?」
「えっ? ……あ、入ってます」
「僕、アルコールの入ってない醤油がいいんだけど」
結局俺と九条さんは醤油コーナーに行って、全てのボトルをひっくり返して原材料にアルコールと添加物が入っていない醤油を捜索した。目当ての品はあったが、目玉が飛び出るくらい値が張る。
今まで九条さんは頼りがいのある大人だと思っていたのに、だんだん拒否反応が出るようになってきた。
安いお肉を腹いっぱい食べたいよう……調味料をすんなり買いたいよう……。
もしかして赤根農園の赤字が悪化しているのは、九条さんが高級な健康食品ばっかり買ってくるせいなんじゃないか? 赤根さんの味方になって、「金銭感覚の狂ったセレブは今すぐ都会に帰れ!」と非難したくなった。
「僕、最近ハウスダストに敏感になってきたんだよね。風邪もひきやすくなったし」
かごに商品をぎっしり詰めてレジの順番を待っていると、九条さんが小さく鼻を鳴らしてつぶやいた。
ほら見たことか。食べる物だけに気を使っても、光り輝く完璧な健康ボディが手に入るわけじゃないんだぞ。ちゃんと睡眠とか運動とかにも気を使わないと。
「一日どのくらい眠ってますか?」
「夜中に会社の仕事してるから、二時間くらいかな」
「うええ!? だめじゃないですか、身体壊しますよ!」
「全然平気だよ、人間ってそんなに眠らなくても意外とやっていけるみたいだし」
はいでましたよ「寝てないアピール」。農家見習いの俺でさえ、一日たっぷり七時間は寝ているのに。これはいよいよ九条さんの身体が心配になってきた。いつか過労で鼻血出してぶっ倒れるんじゃないか?
「毎朝市場に出荷してる農家は、夜中からライト点けて収穫してるんだよ。それに比べれば赤根農園は楽な職場だね。おかげで僕も別の仕事が出来るわけだし」
「ええ……ちょっとひかえた方がいいんじゃないですか? 過労死とかしたら、しゃれにならないですよ」
そんなに働いてどうするんだ、と他人事なのに俺まで辛くなってきた。毎日のご飯代と年金保険料が払えるだけのおぜぜさえ稼げれば十分じゃないか。毎日の睡眠より大事なことなんてないだろう。
圧倒的に社会経験の少ない俺には、仕事やお金の重要性というのがまだよく分からなかった。
買い物が終わって車に戻っても、俺の心はもやもやしたままだった。九条さんは俺を気遣ってくれたのか、苦笑いして買ってきた飲み物を差し出してきた。
「そんなに心配しなくても、そのうちに生活改善するよ。ほら、どっちか好きな方飲んでいいよ」
『身体に優しい黒酢ドリンク』と、『脂肪の吸収を抑える健康茶』の二択である。まだ二十代なのにこのチョイスはどうなんだろう。俺は黒酢の方を受け取ってお礼を言った。
そういえば何だかんだで、九条さんとこうして一対一になるのは久しぶりだ。赤根農園への帰路の中、俺は仙台で遭遇したロケ隊に九条さんの会社を紹介した件について尋ねてみた。
「結局、あの後のロケはどうなったんですか?」
「ああ。うちの会社はテレビ的に面白味がないかと思って、知り合いがやってる地産地消ストアに案内したんだ。ごめんね、僕的には赤根農園より仲良くしてるとこだから」
そういうことなら仕方がない。九条さん側にも色々と打算的付き合いやネットワークが存在するんだろう。赤根農園が本格的にメディアに出るのは、もう少し地盤を固めてからだな。俺はふんふんと頷いてストローで甘酸っぱい汁を吸った。
「天見くんってあの芸人さんのファンなんだろ? 番組のステッカーもらったから、あとであげるね」
「えっ、いいんですか! うわああ、ありがとうございます」
単純なもので、低空飛行していた俺の心は九条さんの一言で空高く舞い上がった。
これは家宝にしなければ。手帳に挟んでお守り代わりに持ち歩こう。たまにこういうご褒美があるから、仕事のストレスもリセットされてしまうのだ。
俺の小学生みたいなはしゃぎっぷりが伝わったのか、九条さんは親戚の子どもを見るような目をして面白がっていた。
赤根農園に帰ると、俺は赤根さんに命じられて餅つきの手伝いをさせられた。杵と臼を使った本気のやつだ。
「そーれぺったん! はい天見くん、ひっくり返して!」
「は、はいっ」
あつあつの炊き立てもち米を、水で濡らした手でひっくり返す。なぜこんなことをしているかというと、餅つきは山形の農家にとって欠かすことのできない大切な行事だからだ。
田植え終わり(古い言葉で『早苗饗』と表現するらしい)や、お盆にお彼岸、稲刈り終わりにお正月。節目節目についてついてつきまくり、一年で十回くらい餅つきをするらしい。
なんでも十月三十日に「刈り上げ餅」をつくのをうっかり忘れていたそうで、約一か月後の今日にずらして餅つきすることと相成った。
男五人で交代しながらひたすら餅米をつきまる。おかげであっというまにつるつるもちもちの真っ白いお餅が出来上がった。
「これ、ちょっと柔らかくなりすぎじゃないですか?」
「ばかやろー、山形じゃ飲めるくらい柔らかい餅が一番美味いって言われてんだぞ! 県外出身者は黙ってスーパーの切り餅でもかじってな!」
仕事終わりの赤根さんは疲労のにじむ顔で、無駄に挑発的な物言いをした。
ともあれ餅を台所に持って行き、食べやすく千切って大皿にのせ、納豆やあんことよく絡ませる。こういうとき、女の子がいれば作業も楽しくなるのになあ……右を向いても左を向いても、男男男……。最初の内は若い男だらけの職場に緊張していたのだが、慣れてしまった今はうんざりしてしまう。
まだ一度も対面していない赤根農園の社長さんは、研修先の農家さんと意気投合したそうで奥さん共々鹿児島に居着いてしまったらしい。
赤根さんはそのことを両親からの電話で知らされてしばらくぶーすか愚痴をたれていたが、伊達味マーケットの売り上げが出たとたん秒速で機嫌を直した。
一日目、十一万六千五百円。二日目は、二十万八千八百円。直売イベントで二十万代を突破したのは初の快挙らしい。野菜は単価が安いから、一日でここまで稼ぐのはすごいと褒め千切られた。今日のお餅はそのお祝いの意味も込められているようだ。
神棚、仏壇、家の四方と床の間、玄関に餅をお供えして、農業の神様に日頃の感謝を伝える。そうしてようやく夕食の時間がやって来た。
俺たちは茶の間に集まり、つきたてほやほやのお餅を囲んで各自の席に着いた。
「はい皆、今日も一日おつかれさまでしたー! かんぱ」
ピンポーン
赤根さんが意気揚々と乾杯しようと缶ビールを突き出した、そのとき。玄関のインターホンが鳴った。勢いをそがれて不満げな赤根さんは、一番玄関に近いところに座っていた俺に応対するよう指示した。
はいはい、行って参りますよっと。面倒くささを感じつつも重い腰を上げて玄関まで出て行った。




