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19歳ニート、山形で農業はじめました!  作者: 羽火
第二章 激闘! 仙台・伊達味マーケットの乱
12/25

11. ちっちゃい赤根ほうれん草は、しゃぶしゃぶにしても美味い

「あの、ほうれん草の収穫には何が必要ですか?」

「ああ、包丁二丁と発泡スチロール4つくらい車さつけといてけろ」

「は、はい?」


 『つけといて』って何だ。『積む』のとは違うのか? 

 俺はとりあえず言われた物を運び、収穫に使うワゴン車の横にぴったりとくっつけた状態で置いておいた。後から来た赤根さんは、俺の行動を「何やってんだこいつ」みたいな目で見ていた。


「何してんの? おれさっき、つけろって言ったよね」

「いや、だからこうしてくっつけてるんですけど……」

「……あ、あー! そっか、これ方言だったのか。ごめんごめん」


 赤根さんは謝罪の言葉を口にしながら車の後ろを開けて、道具を積んだ。そして何がおかしいのか、げらげら笑って助手席に乗り込んだ。

 この反応を見る限り、どうも「つける」というのは山形の方言で「車にのせる」という意味らしい。また一つ勉強になった。


「って、何で赤根さん助手席に乗ってるんですか!?」

「何でって、君に運転の練習させるためだよ。これオートマだから。雪が降らない内に慣れておけって」

 軽々しく言う赤根さんに反論しようとしたが、時間がもったいないと思って俺は渋々運転席に乗り込んだ。


 はっきり言って、運転には自信がない。

 運転免許試験ではスムーズに合格できたが、免許取得祝いに母と一緒に寿司屋に行ったら、アクセルを踏む足に力が入って危うく寿司屋の入り口にバックで突っ込むところだった。それがトラウマになって、以来車には乗っていない。果たして無事に目的地まで運転できるのだろうか。


 震える手でキーを鍵穴らしき部分につっこんだ。サイドブレーキを解除し、ブレーキを踏んだ状態でキーを回してギアをPからDに動かす。おそるおそる足を浮かせて発車させると、車は臆病な動物のようにそろそろと前進した。


「大丈夫、肩の力抜いてリラックスして。一時停止さえ守ればなんとかなるって。家から出たら右に曲がって、そのまま真っすぐね」


 緊張でガチガチになる俺に、赤根さんは辛抱強く畑までの道をガイドしてくれた。幸いにも走行中に対向車や横断者に遭遇することなく、順調に進むことが出来た。ゲームでいうところのチュートリアルのような低難易度の道路だったが、浅い呼吸を繰り返して視線を油断なく動かした。


「あ、前にいた研修生の子ね、そこの土手から車落っことしたんだよ」

「ひいっ」


 赤根さんは笑い話のように、以前事故があった場所にさしかかるたび陽気に教えてくれる。負傷者は出ていないようだが心臓に悪い話題だ。

 赤根さんナビに従って、俺の運転する車は舗装された車道を外れて土がむき出しになったあぜ道に入っていく。極端に幅の狭い砂利道をゆっくり通過していく間、頼むから田んぼに落ちないでくれと心の底から祈った。


「ああ、ここここ。あそこの空いてるとこにバックで駐車して」


 俺は窮屈なあぜ道の上で何度も何度も切り替えして、どうにかこうにか指示通りの場所に車を停めた。広々した駐車場なら取り返しがつくが、こんな農道でバック駐車に失敗したらあっという間に田んぼに突っ込んで車の後部がぺしゃんこに潰れてしまうだろう。

 ぜえはあと肩で息をして、赤根さんにお伺いを立てた。


「こ、こんな具合でよろしいでしょうか」

「はい、よろしいです。じゃあ道具持ってついておいで」


 車から降りて赤根さんに付いていく。マルチも何もかけられていないだだっ広い畑は、見渡す限り一面深緑色の草で覆い尽くされていた。ちょうどたんぽぽの葉のように、べたっと地面にへばりつくような生え方をしている。


「天見くん、ほうれん草踏まないで」

「あっ、ご、ごめんなさいごめんなさい!」


 うっかり踏み潰していたほうれん草と赤根さんの両方に、誠心誠意謝る。

 赤根さんは不機嫌そうな顔でしゃがみこんだ。俺のせいでぐったりしてしまったほうれん草の葉を、労わるように指で撫で始める。


「あのさあ、この『赤根ほうれん草』はうちの稼ぎ頭の一つなんだからね。収穫中無駄に葉っぱへし折ったりしたら許さないよ?」

「赤根ほうれん草って……赤根さんの名前と同じですね! もしかして、この農園がオリジナルで開発した品種なんですか?」

「まさか、たまたま同じだけだよ。これは山形の伝統野菜で、根っこが太くて赤いから『赤根』って付くの。ふつうにスーパーで売られてるほうれん草って、西洋種と在来種を掛け合わせたやつで病気に強いかわりに味はいまいちなんだよな。でもこの赤根ほうれん草は、正真正銘日本生まれの在来種だから病気に弱いかわりに味が抜群! えぐみもあくも少なくて、根っこが甘いんだよ!」


 赤根さんの熱弁によると、かつてこのほうれん草を作っていた農家は山形に一軒しかなかったそうだ。しかし味の評判が広がり、最近は研究もすすんで作り手が増えてきているらしい。

 それでもハウス栽培が多いので、露地栽培にこだわっている赤根農園は茨の道を突き進んでいる真っ最中らしい。


 赤根さんは包丁片手に、赤根ほうれん草の採り方をレクチャーしてくれた。最終的に株間が二十センチずつくらいになるように、混んでいるところから邪魔なほうれん草を選んで包丁で切り採っていけばいいそうだ。

 要するに『間引き』をすればいいらしい。俺も農業高校生時代に大根や人参の間引きをしたことがあるので、要領はなんとなく飲み込めた。


「分からなくなったら、とりあえず大きい株を残して小さい株を収穫してね。あ、根っこはあんまり短く切りすぎないように。赤い根っこがこのほうれん草の持ち味だから」


 赤根さんの助言に従って、俺は迷いながらもほうれん草の間引きを始めた。

 これが簡単そうで難しい。どれを採ればいいやら悩んでしまうし、大きな株を傷つけないように隣の株だけを収穫するのも厄介な作業だ。

 何より辛いのが、しゃがんだ状態でちまちま手を動かしている内に、曇天からぱらぱらと小雨が降り始めたことだった。畑を吹き抜ける風が冷たく頬を撫で、鼻水が垂れそうになった。


「さ、寒っ……寒寒っ」


 ゴム手袋をつけているのに、手がかじかんで上手く動かない。一応防寒対策はしてきたはずなのだが、自然は俺の予想をはるかに超えた寒さで迎え撃ってきた。

 離れた場所で収穫している赤根さんは、寒さを物ともせず俺の六倍くらいの速さで黙々と手を動かしている。


 俺にはとても無理です。体温が奪われたせいでぼんやりしたまま、緩慢な動作でほうれん草を採り続けた。採っても採っても発泡スチロールは満杯にならない。

 ひょっとしたらここは地獄で、俺は賽の河原における石積みのように、鬼から永遠のほうれん草採りを命じられたのだろうか。もやもやと視界に靄が立ち込め、遠くから世にも恐ろしい鬼の声が響いてくる。


「天見とうまよ……貴様は散々親や周囲の人間に迷惑をかけてきた、人間のクズだそうだなあ! 実刑判決! 一生このクソ寒い畑でほうれん草を採り続けるのだ~!」

「ひえええ、お慈悲を! それだけは何卒ご勘弁下さい!」

「この地獄から抜け出したくば、その発泡スチロールをほうれん草で満タンにするのだ!」

「無理です全然溜まりません。ごめんなさいごめんなさい……」


 収穫ブルーになってしまい、知らず知らずの内に死んだ目でぶつぶつ呟いていたらしい。

 雨はいつしか雪の欠片に変わり、寒さに凍える俺の手やほうれん草の上にふわふわと落ちてくる。頭に雪が積もった状態で憑りつかれたように鬼と会話する俺を、いつしか隣に来ていた赤根さんが気の毒そうに見下ろしていた。


「熱でも出た? もう十時だから休憩行くよ」

「はい……」


 まだ三分の一しか溜まっていない発泡を抱えてよろよろと立ち上がった。赤根さんはというと、ほうれん草でぎゅうぎゅう詰めになったパンク寸前の発泡を二つ重ねて持っている。俺なんて必要なかったんじゃないかな。足手まとい感にますます落ち込む俺は、帰る途中運転をミスしてあぜ道から車の片輪を落としてしまった。


 電話で芹沢さんに救助要請を出して、トラクターで引っ張り上げてもらったが……肩身が狭いやら申し訳ないやらで、早急にこの世から消えてしまいたかった。赤根さんに運転を代わってもらい、帰りの車内で繰り返し謝り続けた。


「……ご迷惑おかけして、本当に申し訳ありませんでした……」

「もういいって、車も人間も無事だったんだから。おれの母ちゃんなんてもう五台くらい車壊してるし、たった一度の失敗でビビることないって」


 今度からは自分の目で確実に安全確認してね、と締めくくりにやんわり忠告された。

 一度も俺を責めたり怒ったりしない優しさが逆に酷だ。内心では俺のことを疎ましく思っているのではないかと、暗い想像ばかりが膨らんで深刻な自己嫌悪に陥った。


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