10. 採って、つめて、売りまくれ!
芹沢さんと充実した休日を過ごした、次の日。
皆さんと一緒に朝仕事をして朝食をとり、作業着に着替えた俺は、朝礼のため赤根農園の作業場に出ていた。ちょうど赤根さんが、研ぎ石と水を用意してシャーコシャーコと包丁を研いでいる。明らかに手つきが素人のものではなく、こっちまで背筋が引き締まった。
「赤根さん、今日もまたスーパーに配達行くんですか?」
「いや、行かない。市場への出荷もなしだ。明日から忙しくなるから、今日はその準備」
包丁研ぎを終えた赤根さんは、台の上を片付けて作業場の端に置いてあるパソコンの元へ向かった。おそらく今日明日の天気予報を詳しく確認するのだろう。
天候によって、農作物の生長や売れ行きは大きく変化する。明日明後日の作業予定にも関わってくるので、常に情報を仕入れる必要があるのだ。
今朝も赤根さんは、「今年の山形は暖冬になるだろう」とのニュースに
「ふざけんなよ鍋物野菜が売れなくなるだろうが! 来いよ大寒波! ブリザードカモン!」
と大いにブチ切れていた。神経を尖らせてパソコン画面に向き合っている赤根さんから目を反らし、俺は他の従業員が集まるのを待った。
まだここに来てから三日しか経っていないが、九条さんからもらったマニュアルのおかげもあって大まかに一日の仕事の流れが把握できてきた。
今の時期は冬なので野菜の収穫作業がメインになっているが、夏場は炎天下での定植や草取りといったつらい畑仕事が加わって、死んだ方がマシというくらい忙しかったそうだ。あー、俺冬に来て本当に良かった。
しかし基本的にずっと立ち仕事で、食事と休憩時以外に座ることはない。学生時代一切運動してこなかった俺にとっては、結構足腰に堪えるハードワークだ。大根が十本入ったくそ重いコンテナを持ち運ぶのに、毎回四苦八苦している。
しかし他の人は倍の重さがある物を軽々と持ち上げているので、自分の非力さに嫌気がさす。それでも毎日このスケジュールをこなしていけば、いつかは赤根さんや芹沢さんのように男らしい筋肉が手に入ることだろう。
ちなみに本日の食事当番は芹沢さんで、しょうが焼き用の豚ロースを目玉焼きの下に敷いたがっつり系のポークエッグを作ってくれた。上にかかったタレが抜群に美味くて、そえられた千切りキャベツがいくらでも食える。
その食事中に赤根さんが
「お前さあ、朝食のレパートリー目玉焼き以外にねーの?」
と文句を垂れていたため、これから先も芹沢シェフの作る朝食には目玉焼きが連続登板することになるだろう。
それにしても今日の赤根さんは、妙にピリピリしている。いつもののんべんだらりんとしただらしなさがない。従業員一同が作業場に集合すると、作業着姿の赤根さんは険しい顔で皆の前に仁王立ちした。
「はい、朝礼始め。皆おはよう!」
「おはようございまーす」
「しゃす!」
赤根さんに挨拶を返すのは、俺と那須くんくらいだ。
九条さんは赤根さんの方を見ようともしないし、芹沢さんは腕組みして起動前のロボットのように動かない。余計なエネルギーを使いたくないのか、省電力モードで赤根さんの声に耳を傾けていた。
「えー、今日はベテランのおじいちゃんバイトたちがいません! 老人会の旅行で香港に行くそうです。ちなみにおれはこの二十四年間、海外旅行というものをしたことがありません。世の中は非常に理不尽ですね、おれも海外行きてーよ! 何でこんなド田舎でむさい男たちと野菜掘らなきゃなんねーんだよ! ギブミーホリデー&海外旅行!」
赤根さんはいつもの騒々しさで、地団太を踏んで喚いている。
俺はまだきちんと会っていないが、赤根農園は慢性的な人手不足なので七十歳越えのおじいちゃんたちもアルバイトとして活躍しているらしい。仕事中にお喋りしてばかりいるので作業効率は落ちるようだが、頼もしい働き手であることに変わりはない。
俺はどうにか荒ぶる赤根さんをたしなめようとしたが、これといって上手い言葉が出てこなかったので、物言いたげな九条さんに任せた。
「そんなに行きたいなら行ってこい。今諸外国では、優秀な農業の指導者を求めているらしいぞ。ここで僕たち相手に勉強会を開くよりよっぽど金になるだろう。それともパスポートなしで行ける不思議な国で、短期間で稼げる非合法な仕事でも紹介してやろうか」
昔勉強のために各国巡ってきたからツテがある、と冷静に付け足す九条さん。どうも冗談ではなく本気の本気で提案しているらしい。
「おっかねーこと言うなよ何者なんだよてめーは! ちくしょーこの忙しいときに何で働き手が五人しかいねーんだよおおお」
赤根さんがサラサラの髪をかきむしって絶叫している。これは冗談ではなくマジでやばそうだ。何かただならぬことが起こるに違いないと、俺の第六感的なものが告げている。
「もうだめだ、九条! パス!」
赤根さんから話を丸投げされた九条さんが、黒板の前に進み出た。質の良いスーツで身を固めていることから、農作業は断固として手伝わないという意志表明をしているようだ。どうせ手伝わされるだろうから無駄な抵抗だと思うが。
九条さんは、手にしたボールペンで黒板に張ってあるチラシを叩いた。
紙面の中心には「東北最大の食の祭典 伊達味マーケット」という華やかな色合いの文字が躍っている。周囲には目玉となる海産物や果物、お高そうな厚切りハムや牛乳などの写真が載っていて、どちらかといえばその場で食べるグルメというより食材を中心にしたラインナップのようだった。
「いいだろう、僕が代わりに説明してやる。来たる十一月二十二、二十三日の二日間、仙台のムーンモール商店街にて『伊達味マーケット』が開催される。宮城やその周辺県から厳選された食品を、生産者自らが直売するイベントだ。もちろん、赤根農園も参加する予定でいる」
おお、楽しそう。俺も農業高校生時代は、実習や文化祭で丹精込めて育てた花を販売したもんだ。人と話すのにも慣れてきたし、一回くらい対面販売にも挑戦してみたい。
目を輝かせる俺とは対照的に、鬼のセールストークを使いこなす那須くんは訝しげに首をかしげていた。
「そういう直売系のイベントなら、今までも定期的に参加してきたじゃないっすか。そんなに勿体付けるなんて、何か問題でもあるんすか?」
「あるんだ、大有りだ。今回の伊達味マーケットにはおそらく、深夜番組の取材ロケが入る。約一か月後に関東の一部で放送されるらしい」
「えっ……そ、それって誰がやってる番組ですか?」
九条さんからの思いがけぬ情報に、俺はとたんにそわそわした。
そういった街ぶら系の番組はけっこう好きなのだ。素朴な市井の人々が、芸能人と独特な間合いで交流する様子は見ていてほのぼのする。深夜番組ならなおさら俺好みのゆるい雰囲気になるだろう。
「誰だったかな? たしか、エチルなんとかっていう……」
「え、エチルチオメトンさんですか!? 『ぷらぷらエチル』!? お、俺毎週見てました。リトルおまんじゅうです!」
「リトルおまんじゅう?」
「あ、エチルチオメトンさんは、ファンのことを『リトルおまんじゅう』って呼ぶんです。これはボケの江波さんのご実家がおまんじゅう屋さんだからなんですけど……!」
一番好きなお笑いコンビの名前が出てきて、俺のテンションは急上昇した。
お二人がやっている深夜ラジオも、中学の頃からかかさず聞いていた。トークを分析して交友関係から好物から家族構成まで熟知しているのだ。まさかこんなタイミングで東北まで来てくれるなんて。
想定外の興奮で全身がぶるぶる震えている俺を、赤根さんがにやけ顔でからかってきた。
「天見くんてそんなにお笑い好きだったの? 意外~」
「なに言ってるんですか、エチルチオメトンさんは稀代のコント職人で大喜利も超おもしろいんですよ! 下積み時代から泥をなめるような苦労をしてきたのに、売れてきた今も力の入ってない芸風は崩れてないですし、一般人にも優しいすばらしいコンビなんです!」
俺はオタク特有の早口で、好きなポイントをまくしたてた。これでは盲目的なイタい信者みたいだ。お二人がやっているライブやイベントに行ったことはない非アクティブオタクだが、本当に心から尊敬して応援しているのだ。
「有名人が来てくれたら、きっとイベントも盛り上がりますよね!」
「ああ。当日の売り上げとは結びつかないだろうが、うまくメディアに注目してもらえばこっちのものだ。消費者は『テレビで紹介されました』の宣伝文句に弱いからな」
いつもクールな九条さんさえも高揚しているのか、イベント情報が記されたチラシを力強く叩き、カッと目を見開いた。
「今回の伊達味マーケットは、我々にとっても総力戦だ。野菜の値段相場が高いうちにありったけの商品を売って売って売りまくるのだ!」
「イエッサー!」
「すべては赤字回復のために!」
「ために!」
握りこぶしを作って熱く叫ぶ九条さんに、俺も波長を合わせて声を張り上げた。会社を経営しているだけに、九条さんは金が絡むと熱血になるらしい。これはビッグなビジネスチャンスの予感がするぞ。
「ついては、今日一日かけてみっちり伊達味マーケットの前準備を行う。天見くん、我が赤根農園が売り上げにおいて他の出店者と差をつけるには、何が必要か言ってみなさい」
突然九条さんから話を振られた俺は、前触れもなく教師にかけられた生徒のように硬直した。
伊達味マーケットで野菜を販売するのは、赤根農園だけではないはずだ。他の農家と差をつけてお客さんを集めるには、一体何が必要なんだ?
「うーん……チラシを配るとか、ネットを使って宣伝するとか……ですか?」
とりあえず名前を売るのが一番だろう。頭を悩ませて捻り出した俺のアイディアは、九条さんが速攻で首を振ったことによってめでたく没になった。無念。
「それではあまり効果が出ないだろうな。そういった情報を受け取った人間が、実際にイベントに足を運んでくれる確率は限りなく低い。いいか、イベント開催は明日なんだぞ。僕の調査によれば、直売系イベントに訪れる客の約五十七%は『たまたま通りがかった』から買い物をしていくという。ならば僕たちが優先して行うべきことは、その『たまたま通りがかった』人間の購入意欲を増大させることだ」
「つ、つまりどうすればよろしいんでしょうか」
「P・O・Pだ! 分かりやすく美しく個性的で見栄えがするポップを作成するのだ!」
九条さんは作業場のテーブルに置いてあったトランクを開け、中からゴテゴテしたばかデカい一眼レフを取り出した。
「諸君! 片っ端から見てくれの良い野菜を持ってきなさい。僕が写真を撮って画像加工し、キャッチコピー・調理法と合わせて至高のポップを制作してやろう。印刷関係は僕の本業だからクオリティは保障する。さあ早く!」
妙にテンション上げ上げの九条さんに背中を押され、俺たちは走り回って注文通り作業場に残っていた野菜を彼の元へ運んだ。
カメラマン九条はテーブルに黒い布を広げ、その上にかごと野菜を置いた。被写体が最も美しく見える角度にこだわって細かく微調整し、鋭い眼差しで何度かシャッターを切る。まさにプロの仕事人といっていい真剣な姿だ。
その様子を見守っていた赤根さんは、作業着のポケットに手を突っ込んだまま困ったように眉毛をハの字にした。
「九条~、また仕事料三十万払えとか言わないよな? おれ今三十円しか持ってないんだけど」
「今回はサービスだ。その代わりにこの家の屋根をいい加減修理してくれ。僕の部屋にまで隙間風が入ってきて、毎日寒くてたまらない」
「はいはい、板金屋に電話しときますよー」
九条さん、こんなにデキる人なのにどうして赤根農園で働いているんだろう。
年収一千万くらいさらっと稼いで毎晩イイ女を高級ホテルで口説いてそうなのに、毎夜毎夜このボロ屋で凍えながら眠っているなんて。
人から敬われることに飽きて、赤根さんみたいな超無礼人間と軽口を叩き合いたくなったんだろうか? まあ、本人が満足なら俺が口出しする隙はないが。
仕事人の手によって、ものの一時間で光り輝く五枚のポップが完成した。
ラミネート加工が施された黒い台紙に、高級感あふれるみずみずしいスイートキャベツやカラフル人参などの写真が印刷されている。うっとりするほど洗練されたキャッチコピーに、明瞭な調理方法。こんなに手の込んだポップは、他のどの農家も作ることが出来ないだろう。
俺は他の従業員一同と共に、「さすが」「さすが九条さん」と賛辞の言葉を惜しみなく職人に捧げた。もうここにいる全員があなたの信者です、今すぐ九条教に入信させてください。
しかし素直じゃない赤根さんは、二つの感情を天秤にかけてぐらぐら揺れていた。
「……悔しい。悔しいが、すげー。すげーが悔しい! 九条ばっかもてはやされやがって! おれだって違う分野ならお前に勝てるんだからな! 腕相撲とか、寒中水泳とか!」
「そのスキルが社会人生活の役に立ったことはあるか?」
「ぐはっ」
心臓を抉るような辛辣な一言に、赤根さんは致命的な大ダメージを受けて倒れた。俺の胸まで痛くなってとっさに左胸を押さえてしまった。
今のあなたは最高に格好悪いが、がんばってくれ赤根さん……負け組の意地ってもんを見せてくれよ!
「優作、しっかりしろ。皆に仕事の指示を出せ」
芹沢さんの手を借りて立ち上がりながら、満身創痍の赤根さんは力なく虚ろな視線を彷徨わせた。
「はあはあ、どうしよう。な、何採ってくりゃいいんだ。そうだ、とりあえず芹沢と那須は白菜頼んだ。さっき俺が百個くらい大きいやつ選んで切っておいたから、コンテナに回収してきて。それから大根とミニ大根それぞれ百本ずつと、色つき大根も適当に。天見くんは俺とほうれん草採りに行こっか。九条はカリフラワーと紫小松菜ヨロシク」
「おい、僕は農作業なんて手伝わ――まあいい。行って来てやろうじゃないか」
九条さんは抗議の声を途中で止め、嫌そうな顔でネクタイを緩めた。今日は人手が少ないことを思い出したのだろう。
こうして各自収穫のために散らばり、俺は帽子を被って赤根さんの元に歩いて行った。




