序章 私とタンジェントサイト
私は、ブローニング・ハイパワーのタンジェントサイトが嫌いだった。
あの美しいスライドの上に、なぜあんなものが載っているのか。
長く伸びた照準器。立ち上がった目盛り。木製のストックを取り付ければ、拳銃というより、何か別の銃になろうとしているようにも見える。
どうにも落ち着かない。
モーゼル・C96なら許せる。
あの銃には、あの照準器が似合う。独特の輪郭も、箱形のマガジンも、長い銃身も、すべてがひとつの意志に従っているように見える。タンジェントサイトも、その意志の一部なのだ。
だが、ブローニング・ハイパワーは違う。
少なくとも、私にはそう見えた。
ハイパワーの魅力は、無駄のない輪郭にある。握りやすそうなグリップ。滑らかなスライド。全体を貫く、あの均衡。
だから私は、民間モデルのビジランティが好きだった。
余計なものがない。私の目には、それが完成された姿に思えた。
軍用モデルを見るたび、私は同じことを考えた。
――この照準器さえなければ。
自分の好みは、はっきりしていた。理由も説明できる。だから、何も問題はないはずだった。
ところが、あるとき気づいた。
私は、あの照準器を嫌う理由ばかり考えていた。
なぜ付いているのか。誰が必要としたのか。どんな時代に、どんな考えから生まれたのか。
そういうことには、ほとんど関心を持たなかった。
気に入らないものを、気に入らないという理由だけで理解したつもりになっていたのだ。
私は、自分の考えを変えてみたくなった。
無理に好きになる必要はない。自分の美意識を捨てるつもりもない。
ただ、嫌いだと決めつける前に、もう少し知ってみようと思った。
そのために、ひとつの物語を考えた。
舞台は、中国。昭和十二年、十二月。
佐伯源蔵上等兵
一人の日本兵が、狙撃銃を構えている。
彼は訓練された狙撃手だった。距離を読み、敵を観察し、引き金を引くべき瞬間を待つ。
その彼の前に、一人の中国兵が現れる。
男が手にしていたのは、狙撃銃ではなかった。
ブローニング・ハイパワー。
木製のストックが付き、スライドの上には長いタンジェントサイトが立っていた。
男は、その拳銃で狙撃手に立ち向かおうとしていた。
私は、その姿を想像した。
そして、あの照準器を思い浮かべた。
目盛りの端に刻まれた数字。
五百。
その数字が、二人の兵士にとって何を意味していたのか。
私は、まだ知らない。




