本格推理評 アリバイ講義・補論
アリバイトリックの名書として筆者が愛してやまない『マジックミラー』について、「アリバイ講義」についてどうしても追加したい分類を分析してみました。
有栖川有栖著『マジックミラー』は筆者にとって最高の小説の一つである。第一の殺人で双子と時刻表というありきたりなネタを「ある偽装」で斬新に使ったトリックには強い感銘を受けたし、第二の殺人も巧妙かつ大胆な偽装工作が非常によくできていた。有栖川もよく主張するように、ロジックも推理小説の魅力であり、本格推理に意外性だけを求める世相に疑問があるのだが、その「意外性」だけで魅せてしまったのが単純に凄い。
本作では、アリバイトリックを9つに分類した「アリバイ講義」も描かれている。ちなみに、交換殺人に代表される「容疑者とされていない人が犯人だった」例は考察されていないが、分析の必要がない・「犯人がある事件を起こす際にアリバイを作る」ことで「トリックのアリバイ」は定義される、という前提からだろう。直木賞受賞の長編も、意外に見えて実は「逆交換殺人」だったのだし。
しかし、アリバイ講義も深読みすると少し不満があった。というのも、3番の「犯行現場に錯誤がある場合」が「β地点から離れたα地点で死体が発見され、そこで殺されたと思われたが、本当はβ地点で殺害されていた例」と述べられるだけで、分析が書かれていないのだ。今回はその「犯行現場に錯誤がある場合」を分類したい。
なお、一応言っておくが、本文中に犯罪の称賛と思われかねない言い方をしている部分があるが、飽く迄犯人目線で書いているだけであり、筆者は殺人など絶対肯定しない。
上の図はタイムチャート。この手のトリックを使った場合、時間帯Aにわずかだけ犯人のアリバイがない時間が必ずある(=「完璧なアリバイ」ではない)。α地点からβ地点の「移動時間」に一時間は要すると仮定すると、β地点にいて5分程アリバイがないものの、その「わずかな時間」ではとてもα地点に行って帰ってくることはできないとされ、アリバイが主張できるからだ。そしてその「わずかな時間」で殺人は(β地点で)行われる。
問題は時間帯Bである。これは犯行から死体が発見されるまでの時間で、「犯人がα地点に死体を運ぶ時間」になる。本来この時間の動向は警察から問われないため、Aで殺して「移動時間」を気にせずBに死体をβ地点からα地点に運べばいい。しかし、Bにアリバイがある場合、「アリバイを作りつつ」どうやって運搬すればいいのかという問題が浮上する。そしてその「運搬方法」こそ、トリックとなるのだ。『金田一少年の事件簿』で、被害者からの電話(この時間がA)を受けてα地点に向かうまで、容疑者全員にアリバイがあった事件があったが、これが時間帯Bにアリバイがある典型的な例だ。『富豪刑事』第一期にも似たようなトリックがあったが、派手さの割にドラマとして作中のヒントの出し方の甘さが目立ったのが残念だった。ただ、アリバイがあるかないかは、トリックの面白さと本質的部分では関わらないのが面白い所で、「Bにアリバイがない」時でも、後述する「犯行現場偽装」の方法を凝ることで、寧ろAのアリバイが濃くなる場合がある。
ということで、Bにアリバイがある場合を「移動時間を意識する場合(a)」、ない場合を「移動時間を意識しない場合(b)」として分類しよう。
このトリックで重要なのは、「いかにしてα地点で殺害されたと思わせるのか」もとい「いかにしてβ地点で殺害されたと思われないようにするのか」ということ。ただ、「β地点で殺されたように思わせない」のは、アリバイ講義の「4、証拠物件が偽造されている場合」などのトリックで行われている(「β地点で殺されていない」と偽装すると、「β地点で殺すのは難しい」という事情があった上で死体が発見されるα地点に注目がいくのだから)ことであり、「犯行現場の錯誤」から離れたものになる。これは除外して分類しよう。
(A) 死体運搬方法[「死体を運ぶ方法がない」ように思われている要因を乗り越える]
上記分類のaは「アリバイがあるので運べない」と偽装するので必ず属するが、それ以外も「死体の移動ができない」要因はある。ディクスン・カーの名作がいい例。「殺人犯」と「α地点まで死体を移動した人物」が別の場合もあり、真犯人はB、共犯者はAに「(「わずかな時間」すらない)完璧なアリバイ」が作れる。
(B) 死体[「死体は動かされていない」とされている要因を偽装]
「死斑」がこれの代表例。人が死亡すると、血液は心臓の働きかけを失い、地球の重力に従って死体の下の方に動くようになり、死斑という痣として浮き出る。死体を動かすと重力の方向に死斑は移動、司法解剖で死斑移動の痕跡も露見するため、「動かされた=α地点は犯行現場ではない」と分析される。それ以外も死体を移動した証拠は見つかりやすいので、それを偽装する手段は犯人には効果的だ。医学的なこと以外では、下記Cと複合して「死体が動いていない」とされることが多い。
(C) 犯行現場(α地点)[「死体発見現場が即ち犯行現場である」と思い込ませる]
アリバイ講義2「証人が錯覚をしている場合 b場所」の、「犯人」を「被害者」に代えた二分法とも言える。鯨統一郎は『マジックミラー』のアリバイ講義の例を一つ一つ描いた短編集『九つの殺人メルヘン』を書いたが、その中の「犯行現場の錯誤」を扱った短編は、α地点を錯誤したきっかけがとても秀逸だった。とあるSF小説でこれの究極系と言えるアイデアが描かれたことで有名だし、鮎川哲也の短編再収録集でもこの分類が大半だったりと、錯誤させる方法は非常にバリエーション豊富。
有栖川有栖の作品には、ABC全てを結果として偽装したものがある。派手さという点ではさほど凝っていないが、『マジックミラー』で「証人が錯覚をしている場合」の「犯人のアリバイを証明するため証人に錯覚させるもの」の分類〈a時間 b場所 c人物〉を、アリバイの名手・鮎川哲也が一挙に錯覚させたことを挙げ(作品を知りたい人は『マジックミラー』文庫版あとがきを参照)、称賛していた有栖川だが、鮎川以上にこれらをストレートにまとめ、犯行現場を錯誤させている点に注目したい。
分類方法の話もしよう。ディクスン・カー『三つの棺』の「密室講義」以降、ミステリーでは「分類講義」が一つの趣向になっている。「アリバイ講義」もその流れを汲んだものだ。密室以外も、「毒殺」(カーの作品などの分類が『マジックミラー』で紹介済み)や「暗号」(江戸川乱歩の随筆『暗号記法の分類』が知られる)も分類され、更に他の作家が付け加えることも多い。乱歩はもっと大きな視点で、トリック自体を分類した『類別トリック集成』も書いた。作中人物に「分析」を語らせることで、謎を論理的に解明して読者にも説明するメタフィクション的な面白さも描ける。ただ、推理小説に限らず、何かを分類するには「独自性が高い事例は除き個別の分類にならない」「どういう事例であっても(考察すれば)どこかのパターンに当てはまる」ことが鉄則である。トリックという「行為」は、話がダブりやすい分この鉄則が特に論点になる。また、『マジックミラー』への評論でも言われたことなのだが、「今あるものから」だけを分類するのも、「先に完成した分類には当てはまらない」事柄が生まれることは当然あるのでよろしくはない。
『マジックミラー』で、作中のアリバイ講義講師である空知雅也が「4、犯行推定時間に錯誤がある場合」の「b、実際より遅く偽装する場合」の、「被害者に成りすまし、アリバイの証人となる人物に電話をする」という具体的トリックの例示に対して、「これは人を錯覚している(先述した2のc)のと変わらないか」と考え直し、新たな例示をするシーンがある。このままなら4のbは分類する必要がなくなってしまうからだ。まあ、4番は「A、医学的トリック(検死における死亡推定時刻を誤認させる)」と「B、非医学的トリック」と分けてあるが、Aについて死体を「証拠物件」として「偽装したと言えるのでは」と考える(要は「証拠物件が偽造」と同一視する)のは、科学捜査も発展した現代では野暮だろう。これが「独自性が高い」事例。「6、ルートに盲点がある場合」では、アガサ・クリスティの作品を例に「この分類は時刻表トリックだけでなく、犯行現場に短時間で行く方法全般を指す」という旨を語っていた。「ルートの盲点」については「遠回りが普通の場所で近道する」「普通は使えない高速車両を使う」と分けられる気もするが、「「7、遠隔殺人」と混ざってしまう」曖昧さもあるし、追求しすぎると量子力学的「存在可能性」というSFな話に発展してしまうので、あえて明確化しなくて正解だと思う。実際にそれに触れて推理小説の在り方を追求した超怪作もあるし……。
分類も「観点」で変わる。「動機」なら、「復讐」「口封じ」など「具体的な心理」からの分類・筆者がstand .fmの配信『はばたけ! 鳥人戦隊ジェットマン』(って、宣伝挟みまーす……)で行った「目的への向かい方」の分類、といった具合。アリバイ講義の文を読んで読者も感じただろうが、捜査陣・犯人・被害者・証人の視点などを、有栖川はあえて混同している。中編『オノコロ島ラプソディ』でアリバイ講義を持ち出した際、探偵の火村英生にそれを非難させた有栖川だが(自虐的だなぁ)、「トリックとして」分類ははっきりさせたと言える。なお「1、証人に悪意がある場合」」「証人の錯覚」「証拠物件の偽造」は、『ミステリアス学園』で鯨統一郎が超シンプルにまとめたアリバイ講義の「加害者の事象に細工、錯誤がある場合」を発展させて「犯人がアリバイを主張できるものに偽装がある」とまとめられる。あと、「時間」という点については、別観点として、それこそ「証拠物件の偽装」とも絡め、犯行を行う「所要の」時間から犯人がアリバイを主張するトリックもある。以下、筆者の視点で「アリバイ講義」9つの分類をマクロにしてみた(※大まかな要約なので、トリックによっては若干ズレも出ます)。
「現場不在証明」つまりアリバイは言うまでもなく「時間」と密接だ。「行くことができない」ことで「不在証明」が成立することもあるが、その場合は物理的な意味での「不在証明」で、空知雅也の言うように、「時間に縛られているという意味で、アリバイは四次元の密室」なのである。しかし、現実の事件でもアリバイは論争になり、必ず問われる。逆にそれが、本格推理で「物理的に」不可能だから何が謎なのかを認知でき、密室トリックの方をより空想上の謎としているのだ。「密室殺人という物理的に不可能なこと」は、「常識」で「ありえない」と捜査陣が思う以上、「他殺は不可能=自殺だと思い込ませようとした」など「犯人の目的の理屈」も必要になる(というか、そういう論理的効果がない以上、密室殺人なんかやる必要は皆無である)ので、「兎に角あれば容疑者候補から真っ先に外してもらえる」アリバイとの違いもある。アリバイより密室の人気が高いのも、こういう謎の明確さがあるからだとも言えるのだが。鍵の形状や地形など、密室トリックは特定の物質を利用することが多い分、形も変えたそれに大きく左右される(SFミステリーに至ってはそれ前提であることも極めて多い)が、アリバイトリックの偽装対象物は「時間」と共通しており、『類別トリック集成』的には独立性が高い。そして、アリバイを証明する大半は「人の証言」であり、見ただけで不可能犯罪だと分かる密室殺人にはあまりない、「人の信頼」がドラマに関わってくる。この部分を、八百万の神を思考するような意識を持つ日本人は「謎は謎」との認識をオミットしても受け入れやすかったとも考えられる。海外でもアリバイものは、クロフツのように土着的な内容を得意とする作家が主に執筆している。これが、「日本でアリバイミステリーが多いのは何故か」という『マジックミラー』における問いへの筆者による補足で、有栖川有栖が『46番目の密室』で言った「最高の密室トリック・天上の推理小説」を目指す上でも踏まえるべきだと思う認識である。
「”時間”を徹底したトリック」という点で言うと、「ルートの盲点」と「犯行推定時刻の錯誤」はそうだが、「ルートの盲点」は「時刻表トリックは必ず解ける」と空知も言っているもろいもので、描写次第では「抜け穴のある密室」のようになってしまう。何かを偽装して犯行時間の見立てがずれることについても、「本当の意味での時間」とは違うものとなる。「証人の悪意」「証人の錯覚」「証拠物件の偽造」は「部屋が密室だと”思い込んだ”」トリックと同義で、「時間」は情報的に扱われている。「遠隔殺人」「8、誘導自殺」も、空知の言う通り密室の二分法(密室でこれを行えば密室殺人になる)だ。「9、「アリバイがない」場合」は時間そっちのけである。「証人の錯覚」や「犯行推定時刻の錯誤」は魅力が大きいという空知の主張にも同感だが、本質的に現場不在の「時間」と離れているのだ。その点で「犯行現場の錯誤」は、現場不在を活かした「時間」と密接したもので、一番「アリバイ工作らしい」と言える。〈「アリバイ工作らしく」ても「アリバイ工作として華」でない〉のも好ましくないが、そこは出来栄えと立ち位置次第である。「最高の密室」に匹敵する最高の「アリバイトリック」が生まれる日を、真っ向勝負の本格推理を愛しながら願う。
※本項目で引用した作品は、「トリックの分類」という点でのネタバレを考慮し、筆者の公式Xにリンクを記載している「OBGブログ」の「短編と断片」にて具体的に紹介しています。




