姉妹喧嘩
「…………え?」
彼女は……ロゼさんは、私を覚えていた。その事実に困惑して、言葉が出ない。言葉を発しようにも、ひゅ、と空気が抜けるだけ。声帯の震わせ方など、忘れてしまった。
「その様子じゃ……覚えてくださってるみたいですね。ありがとうございます」
かくいう彼女は、花の綻ぶような笑みを浮かべている。その、笑顔に言い表しようのない畏怖を憶えて。一歩、後退る。嫌な汗が、背中を伝うのを確かに感じてしまった。ロゼさんは私が一歩後退ったのに気づいたのか。意味深に、満月を映した瞳を歪ませた。
満月は、私に何を要求しているのか。真意は分からないけれど。たしかに、月に良い思い出はない気がする。"魔物化"騒動で訪れた路地裏も、新月で。その正反対とも呼べる満月は――良いことが起こるとは、言い表し難いのは確かだ。
「ロゼさん……貴方は……」
「私は、姫様の満月を湛えたような……その瞳が好きなんですよね」
突然、そんなことを彼女は言い出した。私の言いかけたことは闇に屠られ、散り散りとなって霧散する。やはり、私には彼女の言いたいことが分からず。抱えるにも、し難い。はてさて、それが真偽に近しいものなのかと問われればそうとは言い切れない。それすら、抱えきれず零したものを掬い上げて彼女の瞳を見据えた。
「私の瞳は綺麗とも言えない……恋の言い伝えのあるストロベリームーンとも言えないような色をしていますから。きっと……言い表すなら"赫月"が相応しいのでしょうね」
にやり、と。彼女は嗤った。自らの皮肉か。ただの、私の瞳への羨望か。やはり、真偽は定かではないけれど。あの人と同じ、シャンパンガーネットは綺麗なのに変わりはないのに。
そんなことを、内心並べたところで、無駄。御託に相違ないように見えて、そんなことはないのかもしれないけれど。私に証明する術なんて、なかった。
「姫様も、あの方のように私が――」
「……っロゼ!!」
聞いたことのある、凛とした声が響いた。声のする方を振り向けば、ふわりと舞う、ライラック。そして、ロゼさんと同じ色を持った――シャンパンガーネット。
ようやく、私の中で。サクラお姉様とロゼさんが姉妹なのではないかということを察した。少し、考えれば分かることを理解せず。放棄し、見据えなどしない。バカのひとつ覚えだとか、評することなんて容易だった。
「……なに?――お姉ちゃん」
心底嫌そうに、ロゼさんはぽつり、と溢していた。びくり、と肩を跳ねさせた私を意に返した様子もなく、お姉様はロゼさんの元へと歩み寄っていく。その様子を見届けていたロゼさんは、小さく舌打ちを落とした。
「私は……ただ、ロゼ……貴方に……」
「だから何なの!?私は私自身でこの道を選んだの…!私のニセモノを見抜けなかったくせに、今更お姉ちゃん面しないでよ!!」
天を破るように声を張り上げた。この場に残されてしまった私はどうすればいいのやら。少なくとも、感情的になっている二人を宥める術など、私は知らない。だからこそ、思考を張り巡らせて言葉の穴を突くしかないのかもしれない。
ならば。ロゼさんの口にした『ニセモノ』はどういうことなのだろうか、ということに陥る。お姉様から聞いた話はロゼさんが病弱だということ。しかも、最近も会ってきたような口ぶりだったこと。……しかし、一年前私が研究所を訪れたときのロゼさんは元気そうだった。
――矛盾。
そんな言葉が脳裏をよぎった。現在の魔法技術を工夫すれば、自らの分身体を作ることは可能だけれど。そもそもが高度な技術故に、研究が進められていないというのに。なのに、『ニセモノ』と称したのは何か……意図があるのだろうか。
「あの方――ルヴァ様が私に教えてくれた技術さえ、見抜けないのは、お姉ちゃんはヒーラー失格だよ……!!」
「あはははは!!よく言いましたね、ロゼ。姫様も、アナタの姉君も驚いていますよ!」
「「っ……!?」」
傾げていた首で満月を背後に、空へと浮かぶロゼさんを見上げると、黒煙が彼女を纏っていた。
――既視感。
あの日、路地裏で見た煙と同じ。人体を操り、言葉を発し。そして、謎だけを遺していったあの男。一気に、背筋が凍るような、そんな感覚がした。
ひゅ、と呑んだ息は吐き返す間もなく、視線をロゼさん本人へと向ける。もう、既に彼女の瞳には輝いた満月の光は差していなかった。
「さて。名乗ることは考えていなかったんですがね。ロゼが口を滑らせたばかりに、名乗ることにしました」
ふ、と息をついた気がした。煙は、ロゼさんの周りをぐるりと取り囲むだけで、この前のように人型を成す気配すらない。
「――ワタシの名は、ルヴァ。改めて……よろしくお願いしますね」
月明かりは、既にロゼさんの杖の魔石により、乱反射され、意味を成していない。浮かべるはずの時間はとっくに、超越しているのに、落ちる気配もない。
なのに、ロゼさんは口元に、不気味なほどにやりとした笑みを浮かべている。ぞわり、とした悪寒も嫌な気配も、満月は解決してはくれない。それから、ロゼさんは自らの左に流していた前髪をかき上げる。
「改めて。フリューリム幹部が一人……ロゼ・シェリー」
彼女の額には、小ぶりだけれど。たしかに、魔族に連なる者の証である、角があったのだった。
疎外感。二面性。




