44.キロヒ、肩を落とす
「セグ様は、精霊とひとつになって……この地で永遠となられたのです。いままさに、私たちはその永遠の中で守られているのです」
キロヒは無意識に一歩下がった。ソファに座っていなくて本当に良かったと思った。このように自由に後ずさることができるのだから。
隣のシテカは不動だった。獲物の習性を観察するような鋭い目で、四年の教師を見つめ続けている。ソファの二人はぴくりともしない。多分、それどころではないのだろう。キロヒより素早い思考で、意図を把握しようとしているに違いなかった。
キロヒは、すでに胸やけをしている状態。教師の醸し出す空気も、さっきの声も表情も、どれもこれもが彼女には油でギトギトの料理に見える。食べなくても分かる、という警戒感で自分を保護しようとしていた。
「ひとつとなった、というのは……具体的には……どういうことですの?」
反応したのはイミルルセが先。ここまでは創始者の曾孫として、相手に心を開かせやすいクロヤハが質問していたので、彼女はずっと黙っていた。ようやく彼女は、慎重な口調で相手を刺激しすぎないよう語り掛けている。
「幻級精霊士の少なさは、みなさんも習ったから知っているでしょう? そう、選ばれし者だけが幻級精霊士になれるのです……けれど」
教師は胸を痛めていますというように、自分の胸に両手を置いて目を閉じ、首を横に振る。
「けれど……幻級精霊の友人として人の一生はあまりに短すぎます。先に人間の友人を失った精霊がどうなるか、みなさんは知っていますか?」
キロヒの胸をどきりとさせる問いかけ。きっと精霊の友人であるみなも、同じようにそこに引っ掛かっただろう。
生徒の答えを待たずに、再び教師は口を開く。
「初級精霊の大半は、人の友人のことを忘れて自然に戻っていきます。けれど中級精霊より上になると、ほとんどの精霊が己の存在を霧散させ、自然の循環に戻っていくのです。人の死に殉じるのですよ」
イミルルセの肩が震えた。キロヒだって震えた。授業でも習っていないことだ。自分がいなくなった後、クルリがどうなるか考えたこともなかった。
「人を愛して愛して愛し尽くして上霊した精霊が、殉じないわけはないのです」
しかし、この教師は怖い。気持ち悪い。知識を得られるのはありがたいが、キロヒの精神衛生上とても悪い。年配の精霊士と出会ったことはないが、こんな人ばかりなのだろうかと心配になる。
「当然、国もこの件については憂いていました。国防にも関わる大事な幻級精霊士に、いかにしてこの国に長くいてもらえるか。そこでセグ様は、この国の新たな試みに協力されることに決められたのです」
完全に催眠状態に陥ったような教師は、虚空を見上げてベラベラとしゃべり続ける。最初の穏やかな空気は、もはやそこには欠片も残っていない。彼女の思い出の箱から出てくる空気に、自ら酩酊していっている。
「幻級精霊士の協力とは、何ですの?」
イミルルセが、話の道筋を決める。
「精霊と精霊士の一体化ですよ。幻級精霊の霊骸に、幻級精霊士の魂を入れ、究極で完璧な人の魂を持つ幻級精霊を作るのです。互いが互いに殉じることで成立する、素晴らしい結末ですよ。それにより、この学園は究極で完璧なみなさんの学び舎となったのです。セグ様にずっと抱きしめられているのですよ!」
キロヒは、誰と見つめ合えばいいのか分からなかった。いま、天地がひっくり返るほどとんでもない話を聞かされたのだが、その衝撃を誰と分かち合えば軽くなるのか分からない。イミルルセはソファにいて、振り返ってはくれなかった。
いまキロヒが見つめ合えるとしたら、座ってこちらを向いている教師か、隣のシテカだけである。おそるおそる、彼女は隣を向いた。シテカもこちらを横目で見た。その彼の口が、すぅっと息を吸ったのが分かる。
だめだと、キロヒは思った。
シテカの言葉は鋭い。その鋭い音で、あの気持ちの悪い教師に言ってはならないと、首を横に振った。あのキロヒが思わず、彼の袖を引いてしまうほど止めようと必死になった。
なのに。
「それは……魔物の成り立ちと同じだな」
言って、しまった。キロヒはがっくりと肩を落とした。
案の定、空気がピキリと温度を下げ強い緊張を生む。
「何ということを言うのです! 究極で完璧な幻級精霊に向かって、あんな汚らわしい魔物と同じなどと。あれは人に何も興味もない無級精霊の霊骸から始まるのですよ。そして何とも知れない魂が入る。虫や獣の魂と、幻級精霊士を一緒にするんじゃありません」
教師がシテカに向かって、激しい語調でめった刺しにしようとする。崇拝しているセグの悪口にしか聞こえなかったのだろう。
「曾祖母は……」
シテカへの攻撃を遮るように、クロヤハが割って入る。
「曾祖母は……国への協力のために死んだのですか」
それは問いかけではなかった。最初に彼が知っていた情報より、もっと重く悲しい結末だったことに、苦しんでいる声だった。
なのに、教師は首を横に振る。
「だから言っているではありませんか。……セグ様は、永遠になられたのです」
女教師は、この素晴らしさの理解が得られないことを心底不思議そうに、そして失望気味に首を横に振ったのだった。




