41.キロヒ、現実の厳しさを聞く
イシグルとは、「芝生」の大講堂で会えた。
前にも同じ環境で遭遇して、スミウ一人を紹介してもらえていた。だからそこに行けば会えるのではと思い、キロヒはイミルルセと大講堂に出かけた。今日のサーポクはニヂロと算数の日だ。
イシグルの細長い精霊は、部屋の中で見るより芝生の上に浮いている方が、見た目の不安感が薄れるのが不思議だ。その背に、クルリとヌクミが乗っているのもまた、大きな和む要素だった。
「同室に特級に上霊された方がいらっしゃったんですのね」
「ボクの部屋の特級……ヨモムのことかい?」
芝生に腰を下ろして目の前の精霊たちの戯れを眺めながら、話は四年の特級に。
「君たちが入学する時……秋休みから帰ってきたら特級に上霊してたんだよ。あっちが格上になったから、進級前に決まってた指導担当を代わろうって言ったんだけどね、絶対イヤってけんもほろろ、だったよ。まあ……ヨモムには向いてないだろうしね」
イシグルの口から出てくる、四年の特級女子の話は、なかなかに辛口だった。指導担当の表情からも、いまひとつ親密さが足りない。わがままな妹に苦労している姉か兄のような表情だ。
「じゃあ、先生もすぐ特級の方に変わったんですの?」
「あー、そうだね。二日後には特級精霊士が教師として赴任したよ。ラエギー先生より、かなり年上の女性だよ。戦いの腕は圧倒的にラエギー先生が上だけどね」
「あら、戦いに向いてらっしゃらない先生ですのね」
「うーん、まあそれもあるけど、特級の期間が違うんだよ。ラエギー先生は、卒業してすぐに特級に上霊してる。一方で四年の先生は二年前に上霊した。ラエギー先生の特級歴は十年以上あるから……特級として踏んだ場数が違うよ」
なるほどと納得しかけて、キロヒは首を傾げる。
「えっと、シグ先輩……先生の特級歴とか、どうやって分かったんです、か?」
おそるおそる、疑問を問いかける。
「そりゃあ、図書室に毎年この国の精霊士名鑑が届いてるからね」
「精霊士名鑑……それは盲点でしたわ」
あっさりとした答えに、イミルルセが目を伏せる。一年の中で、唯一図書室に入る許可を得ている彼女は、次の目標を定めたようにその目を見開いた。
数日後の「川辺」の大講堂。
今日はキロヒとサーポクだ。イミルルセはサーポクの勉強以外は、図書室にこもっている。ニヂロはクロヤハに上霊について学んでいる。
この件に彼女が協力する見返りとして、精霊士一族であるクロヤハの知識を欲したからである。フキルを止めるためには、中級精霊では話にならない。クロヤハもできるだけ早くの上霊を求めていて、その点ではニヂロとクロヤハの利害が一致していた。
「水とよー」
今日は、サーポクとザブンが喜ぶ水の日である。海ほどの親和性はなくとも、他の日と比べればまぎれもない水中心の大講堂。サーポクがさっそくザブンと水遊びだ。靴と靴下はキロヒが拾った。
となると。
「いやっはー! 水だああー! そんで特級一年ー!」
エムーチェも現れる。そして、靴に靴下、上着を脱ぎ捨てながら走ってくる。後ろら、のんびり歩くキムニルを引き連れて。
「うっぷ」
脱ぎ捨てられたシャツが、キロヒに向かって落ちてきたので、よけるかつかむか迷っている内に、彼女の顔に落下した。どんくささに恥ずかしくなりながら、生ぬるい人肌のシャツをひきはがす。
その間に、既にエムーチェは船の精霊を出して川遊びを始める。
「屋根裏の一年か」
服を拾いながらたどり着いたキムニルが、キロヒからシャツを受け取る。彼女の心臓がぴょこんと跳ねる。今日はイミルルセもニヂロもいない。特級の彼らから情報を取得する役目は、誰あろうキロヒが担わなければならない。
「キ、キロヒです」
「覚えてる」
にべもない。いきなり心が折れそうだが、彼女はすぅはぁと深呼吸して、用意してきた言葉を頭の中から取り出す。
「少し、伺いたいことがあるのですが、よいでしょうか」
「まるで板書を読んでるみたいだな。まあ、エムーチェが遊んでる間ならいいよ」
いちいち鋭い一言に、キロヒは「ぐっ」と胸を押さえて衝撃を逃がそうとした。心の中の弱虫がもう帰りたいと訴えている。
「と、特級として卒業した後、二人はどうするんですか?」
「進路? エムーチェは水がないと話にならないから、故郷の海に戻って魔物退治かな。僕は割とどこでもやっていけるから、人手の少ない地域に送られるだろうね」
「そう、ですか」
そんなことかと、キムニルは気軽に答えてくれた。そこにフキルの言うような復讐の気配など微塵も感じられない。やはり在校生では分からない話なのだろうか。
「特級の配置は、結構重要な問題だから。精霊の得意環境を考えて、まんべんなく配置されるのが一番だろうけど、結構偏るらしくてね。僕は都市になる可能性が高いかな……嫌なんだけど」
しかし、一般論としての解説らしきものを続けた後に、キムニルは明らかな不満な声音を出す。そういう性質に見えなかったので、キロヒは驚いてしまった。
「……都市だと、何が、嫌なんでしょう?」
キロヒとイミルルセも都市型で、珍しいと言われた記憶がある。未来の自分の進路にも関わるので、余計に気になる話だった。
「だって都市って貴族多いから。貴族って地方行きたがらないんだよ。自分ちの領都か、都市かを選びたがるからさ。わざわざ田舎で精霊を手に入れておきながら、環境に合わなくても都会にしがみつくらしい。そんな貴族の多い場所で、上に立たないといけないんだよ特級って……協力なんて口先だけって分かるよね」
情報が多い。
うんざりした声で語られた内容は、キロヒが目を白黒させる濃さがあった。
「貴族って……田舎で精霊を手に入れるんですか?」
「田舎の方が精霊が多いからね」
「貴族は、自分の配置を選べるんですか?」
「平民よりよっぽど選べるね。都市型が少ないっていうのもあるけど」
「特級は、貴族の上に立たないといけないんですか?」
「その都市に先任の特級がいればいいんだけどね……でもそういうところに、新しく特級を配置させるとは思わないね」
「もし……非協力的だったらどうするんです、か?」
「そうそれ。最悪の展開だよね。平民だけで頑張るか、相性のいい精霊を無理やり強制協力させるか……後が大変だろうけど。しかも魔物の討伐に失敗しようものなら、上に立ってる人間が責任取らされるからまともな平民の特級精霊士は都市に行きたがらない」
そんな面倒なことをやらされるくらいなら、ド田舎の方が最高だよ──キムニルの愚痴に、キロヒは心から同情した。
平民の学園での「協力」の義務とは、あくまでも平民の中だけの話なのだなと、キロヒは現実の厳しさに直面したのだった。




