14・キロヒ、スミウの危険を知る
ニヂロの景色は、雪と氷の世界だった。
キロヒの面は吹雪。サーポク側はひさしらしき場所から伸びる、凶器と見紛う氷柱がびっしり。ニジロ側は一面の雪に覆われ、樹木すら凍った山の景色。イミルルセ側は灰色の分厚い空と雲。
「温度は極寒……これは、完全に特化型だな」
真面目な顔で、イシグルは少し考え込んだ後に言葉を吐き出した。
「あぁ? どういう意味だ?」
「魔物との戦闘に向いてる、と思うよ……特に冬。寒ければ寒いほど強いね。上霊につまずかず、環境さえ整えれば……ラエギー先生並みに強くなれるんじゃないかな。北方で仕事することになりそうだ」
キロヒへの説明とは、何もかも違った。箱に映し出された色と景色が、あまりに極端だったからだろう。
そして比較対象として出されたのは、彼女たちに精霊の授業をしてくれる赤毛の教師の名だった。実力を見せられたことはないが、推定特級精霊がいる時点で強いのは間違いない。そしてイシグルの言い方からすると、ラエギーの精霊もまた極端な結果である可能性が高い。
「ツララの要素は強風、空、氷、雪、山……ボクのシュルルも空を持ってるから助言だけど、上空を早めに意識しておくといいよ。上から、ドンっとね」
何がドン、なのか。はっきりとイシグルは言わなかったが、彼女は手を高い位置まで上げ、下に向かって鋭く振り降ろして見せた。
「はっ、たまにはいいこと言うじゃねぇか、男女ブ……じゃねえ、シグ先輩とやら」
ニヂロは、歯をむき出しにして獰猛な笑みを浮かべた。ようやく自分から敬意を払う気持ちになったのは、その呼び方を自らの意思で変更したことで明らかだ。イミルルセが片方の眉を上げながら、ニヂロの変貌を見つめている。
「だがな……」
北方の少女は、ひょいと箱の上のツララをつまみあげると自分の肩に乗せてこう続けた。
「あの赤毛ブス並みってのは気に入らねぇ……見てろよ、ぶっちぎりで抜いてやるからな」
堂々と、野生の粗暴さを隠しもせずに、ニヂロは宣言した。
キロヒには絶対に真似できない行動。真似したいとも思わない行動。けれどその言葉が、ニヂロ自身を奮い立たせ前に進ませる原動力になっているのは、痛いほど伝わった。
「……私の番ですわね」
深呼吸をひとつしたイミルルセは、それで場の空気を変えようとしているかのようだった。あまりに濃い、ニヂロ劇場の直後だったからだ。
ポケットから取り出される、可愛らしい人形のような精霊。
「ヌクミ、ここに座ってくださる?」
両手で白い箱の上に乗せると、花びらのスカートをふわりと広げて座ったヌクミ。座ったことによりちらりと見えたヌクミの足の先は、両方で形が少し違った。片方は植物の根のように先端が細く。もう片方は切り花の茎の切り口のように、斜めに尖っていた。
キロヒはその足に視線を取られ、いま何かとても奇妙な違和感を見過ごした気がした。そして記憶を頭の中で巻き戻す。
そうか、と。
キロヒが気づいた違和感は、ヌクミのことではなかった。イミルルセのことである。
彼女の両手が荒れていることに、いま気づいたのだ。傷もあるニヂロほどではないが、甘ったれたキロヒの手とは違う働く者の手をしていた。
この学園は平民しか通えないのだから、イミルルセが平民であることは疑っていなかった。しかし、少なくとも裕福な家の出だと、心のどこかで思い込んでいたのである。イミルルセの独特の言葉遣いや上品な態度が、自分に目隠しをしていたのだ、と彼女はいま気づいた。
気になるからと言って、根掘り葉掘り聞くわけにもいかない。その人の背景は、よく観察して慎重に見極めないとならない。人には、踏んではならない見えない尾があるのだから──これも、キロヒの父の教えだった。
そんな商人の娘の思考をよそに、ヌクミを乗せた白い箱は桃色に染まっていく。シュルルの時よりも濃いのは、温度がもう少し高いという意味だろう。
そして現れた景色は──
「え?」
考え込んでしまったため、少し遅れて自分の面を見たキロヒは、驚きの声をあげてしまった。豪華な応接室のような部屋が映されていたからだ。
これまでの精霊は、全て外の景色だった。キロヒの路地の景色はあったが、それも屋外。
だから、突然の屋内の景色に驚いてしまった。ニヂロが無遠慮にぐいと身を乗り出して、こちらの景色を見つめてきた。
それから逃げるようにキロヒがサーポク側の景色を見ると、温かい日差しが差し込む、家の窓辺から街を見下ろす景色だった。
ニヂロが首を引っ込めて立ち上がり一周回り始めたので、キロヒはその間にサーポク側を見る。そちらは雨のそぼ降る井戸だった。現在、街の公共の井戸は精霊具が取り付けられている。それと比較すると、人力か個人の精霊の助けを得て使う旧式に見えた。
「私の面は、日当たりのいい庭園ですわ」
イミルルセも立ち上がって一周回るべく歩き始めたが、キロヒの前で足を止めた。完全なる屋内の景色を見て小さく微笑むと、それについては何も言うことはなく、自分の面の説明だけして次の面に移動していった。
「屋内に強い精霊は本当に珍しいよ。屋内での要人警護に呼ばれることもありそうだ……気を付けてね」
イミルルセの強みを口にしながらも、その締めくくりは不穏なものだった。キロヒからすれば、ニヂロの方がよほど物騒だと思える。
「警護対象は……王族や貴族、ということになるのでしょう?」
「そうだね」
「……気をつけますわ」
しかし、イミルルセの指摘でようやく理解できた。そうか、と。
屋内警護の場合、襲ってくるのは魔物ではなく人間の可能性が高い。となると、イミルルセは人間と戦うことになるかもしれない。
更に。
キロヒは彼女が貴族と関わることで、非常に厄介な問題を発生させることに気づいた。
原因は──イミルルセの美しさだ。
若く美しい精霊士が貴族の護衛につく。この文章だけで、どれだけイミルルセの身が危うくなるか分かる。彼女の人生を、大嵐の中に投げ込む行為に等しいことに感じた。
美しさという危険を伴う不利益。イミルルセは平民だからこそ、その枷を重く感じているに違いなかった。
「ヌクミは暖かい環境の屋内、街、庭。ヌクミはクルリよりも、もっと大自然に弱いと思った方がいい。あとは水の要素も結構強いよ。雨と井戸の両方が出てる。特に井戸……イミルルセ、水は空からだけしか降ってこないわけじゃない。それを覚えておいて」
イシグルの助言は、新しい視点への気づきを促すもの。自分の友人である精霊の得意不得意を、新しい観点から見つめ直すことで、更なる力を得ることがあると伝えようとしているのだ。
その言葉が効くのは、何もイミルルセだけではない。
キロヒもまた、さっき見たクルリの景色を思い返していた。自分に大きな危険が迫った時、この思索が己を救うことになるかもしれないのだから。
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