10.三者三様
先ほどの御仁はどうやら一筋縄ではいかぬ方だったようだ。この店の中でもわかる。
アタナシア=グラニエの権能を一部手中に治めている私にとって、彼の御仁が風俗街の隅にある店で従業員を消し去ったことが手に取るようにわかる。
「ハッハッハ~この目が無ければ見抜けなかったかもしれんな。あれだけ平凡なふりをする存在は久方ぶりに見た。城に籠っとるあやつでは敵わんな」
店の瓶を綺麗に並べ替えながら掃き掃除をする老人が1人いるだけの不思議な店。店内にはケミカルな色をした瓶が立ち並び、ただの店ではないことが視覚的に理解できる。
風俗街で通貨替わりに使用する特殊な瓶入りの液体を売る店だ。そして風俗街に行くためには必ずこの店を通る。しかし、この瓶売りの翁が直接対応することは稀だ。
この都市を利用する者の中で翁が直接応対したのはタルバだけと言える。この店は魔道具を使用した自動化で店員の存在がもはや要らぬ最先端のシステムを導入している。
引きこもり魔人のアタナシアは知らないだろう。あたかも私が判断して一般風俗街か違法風俗街に案内していると勘違いしておる。
だからこそ仕事していれば不干渉でいるのだろう。私からすれば直接確認もしないで表面上のことだけで判断するなど青二才もいいとこだ。
「私の目が視た存在としての格は何人も比肩する者はいないだろうな。それこそアタナシアでは魂の大きさからして違う。あやつを握り拳とするならば、彼の御仁は太陽だな」
どこからか現れたゆりかごイスに腰かけた私は腕を組んで、ただただ前後に揺れては思案する。彼の御仁は委縮するような強さも威圧も無かった。
だが私の目に映る不可視の概念達は彼の御仁が只者ではないことを告げていた。魂は高密度で輝き、周囲に白い光が散っていた。通り過ぎた場所が浄化されて清らかな空間へと変貌する。
人間ではありえない光景に私は自分が如何にちんけで矮小であるかを悟らせた。それと同時にどこか見覚えのある雰囲気が遥か昔に視た人を思い出させた。
人間でもエルフでもドワーフでも見たことがない人知の及ばない存在は勇者か魔王か魔人だけだ。
勇者も魔王も今の世にはいない。であれば、消去法で魔人になる。それもアタナシア=グラニエという魔人を塵芥に思わせるほどの存在。
もはや神の現身とすら錯覚できる。交わした言葉は俗物的で利用客以上のことは無かった。
最初は何も気づいていないふりをしようと務めた。それでも自分を一般客の1人と強調した時の、その刹那の表情が剣呑さを交えていた。
私はあくまで都市と外界での定義が違うという説明で乗り切ったが、彼の御仁は自分のことを合格かと問うてきた。
答え次第では私はここに居なかったかもしれない。あくまで主観ではなく規定を用いて判断したとお伝えすることで事なきを得た。
「あの御仁なら今もこの世を彷徨う彼を救ってくれるかもしれない……私が私怨で穢してしまったあの人を――」
天井の隅を見つめては胸中に蠢く罪の意識が黒いマフラーのように巻きついてくる。涙は枯れた。憎悪も時間が経てば後悔に変わっていた。
あの時浴びたあの人の血が私をこの世に留め続けている。あの人の目が世界を見ることを強要する。
姿は老いても時間はあの時に置いていかれたまま。進むことも止まることも変えることも出来ない袋小路に眩い光が差し込み始めた。
――――――――――――――
透明化をかけながら部屋を出た俺は足音だけは消してこの店からの脱出を始めた。
2階の部屋を出て1階へと向かう一本の廊下には誰もいない。部屋からも音が聞こえない。誰の気配すらも感じ取れないことが俺に安心感を与えた。
(どうやら消音の魔法陣が刻まれているみたいだな。部屋内の音は聞こえていないって感じか。これは朗報だな)
権能が無ければスプリンクラーの魔法陣を起動させてどさくさに紛れて逃げるのだが、便利な盗賊向きの力があってよかった。力も使いようだな。
1階にはあの老婆がいた。老婆は暖炉で手を焼いていた。最早アンデッドであることを隠していないかった。少なくとも生者ではない。
普通の生物が持つべき危機意識が機能していない。人間の肉が爛れ焼ける匂いが1階に立ち込めていた。
鼻を刺激するこの匂いに顔を顰めながらもアタナシア=グラニエに支配された老婆に俺は可哀そうだとしか思えなかった。
店からそのまま出ればいいものを、俺は心臓に突き動かされるように老婆の元へと歩みを進めた。
「良いか悪いか判断はつかないが、無性に見ていて嫌なんだ。悪いな」
そう老婆に一言告げ、透明化を解除した俺は体から光を放つ。光量を上げて老婆に当てていく。
服越しでも浄化されているのか、老婆から煙が立ち上り始めた。ゆっくりとこちらを振り返る老婆は少しだけ笑みを浮かべて目を閉じた。
老婆が灰に変わるのは一瞬だった。暖炉の前には老婆の衣服だけが残り、老婆がいた痕跡はこれしかなかった。
(服は暖炉で燃やそう)
老婆の衣服を乱暴に掴み上げ、暖炉に放り込んだ。燃える服を眺めながら浄化が必ずしも救いになるのかという迷いが渦巻く。
だがアタナシア=グラニエに支配され、現世に留められるくらいならば浄化されたほうがいいのかもしれない。老婆が苦しまなかったのはもしかしたら光量を増やしたからかもしれない。
ファラは直接触れる形での浄化で部分的に影響したからこそ苦しかったのだろう。きちんと権能を用いて行えば浄化魔法以上に安らかに逝けるだろうな。
ファラには悪いことをした。今更だが。
俺もまだまだだなと自省しながらこの都市を支配するアタナシア=グラニエを不愉快に思い始めた。それは浄化というカウンターが見つかったから抑える必要がなくなったのもある。
自分らしくないように思う。喉に引っかかる痰のように違和感がある。大分前からずっとだ。魔人になるということが心理に影響しているのだろうか。
大量に酒を飲んだ翌日の胸やけみたいな無視し難い不調は体を巡る。風俗街にいた人間だと思っていた人たちも都市の通りで見かけた人間たちもほとんどがアンデッドだったのか。
外部から来たやつらは人間でも働く人たちは――働かされる人間はアンデッドで自由がない。自我が無ければまだ慈悲があったのかもしれない。
自我が付与されているからこそ、暗い感情が湧き上がってくる。
(死霊魔法への嫌悪感は古の勇者の一件があったからかな。いつの時代でも人を虚仮にする魔法だ)
服が燃え尽きた暖炉は未だ燃え盛り、衰えることを知らない。
――――――――――――――
アンデッドの気配が1つ消えてから、少ししてもう1つ消えた。
一般風俗街の端。アンデッド達もそこまで配置していない店の店内で忽然と消えたのだ。
アンデッドが浄化されたことはもう驚きはしなかった。タルバだ。やつを案内して接待して毒物を飲ませるように誘導させたはずだった。毒というよりは呪いだった。
やつは確かに飲んだ。《ブラッドティアーズ》と《アワアイズ》を。
この2つはアンデッドたちを素材として混ぜ込んだ呪われたワインだった。遅効性の呪いではあるが、魔人に影響を与えられると俺は信じていた。
実際俺は少し飲んだだけで権能の制御が悪くなる、身体能力の低下、魔法が発動しづらいなどの影響が出た。この都市に来た無法者の内、消していい奴で実験したが人間は発狂して絶命した。
頭をかきむしり手と足が内部から砕けた。頭と胴体しかなくなっても生きていて頭だけが左右に動いてもがき苦しんでいた。
数秒すればどれも死んだ。死体は黒く変色して泥のように液状化する。
この液体をまた回収して混ぜ込みさらに強力な呪いに昇華する。蟲毒の制作過程を永遠に続けてより上位存在を引き摺り降ろすための兵器だ。
今回は飲ませたが、相手に撃ち込む用途が想定されている。アンデッドは労働力にもなり、呪いを凝縮した兵器にもなる。
素材は他所の国から勝手に運ばれてくる余剰人間を使うだけでいいからコストもかからない。そんな夢の兵器はやつには効かなかった。
個体名ファラというアンデッドの情報を見ていたが、タルバは普通にシャワーを浴びて、普通に出てきた。この普通というのがおかしいのだ。
死神の魔人という死に近しい俺ですら少量含んだだけで致命的な影響に繋がる液体兵器を飲んで無事で済んでいることが異常だ。
もしかして能力か?能力が呪いに耐性を与えるものであれば無効化することも出来るが、やつの能力は『圧縮』だったはず。
これはタルバが魔人会議に出席した後、即座に調査させたから確実だ。なんなら冒険者として一部の人間によく知られていた。
加えて、最近ではセントラム大陸ベゼル王国にてタルバ=ゼノの名誉回復運動が活発になっており、幾らでも情報が出てくるからこそ情報の確実性は担保しやすい。
魔人になる前と魔人になった後でなにがあったのか。呪いが意味をなさなくなるのはなぜだ?
思えばテストの時も場所が呪われていた。アステールが浄化しきれないと嘆いていることも知っている。
まさか奴は呪いの具現化した存在なのか?創造神の魔人は不明なことが多い。わかっていることは光の権能を操ること。
どんな権能を使えるのか、具体的には謎だ。創造神という世界のあらゆる概念を、物質を世界の理を作り上げた存在だ。
他の神も創造神によって生み出された存在だ。とすれば、全ての原初は創造神になる。
そんな存在に選ばれた魔人が光の権能のみしか操れないとは考えづらい。それこそ他の魔人の権能を操れてもおかしいとは思えない。
「やつは何者だ?何なんだ?魔人ですらないのではないか?全ての可能性を内包した存在は現世に居ていいのか?」
素朴な疑問だ。魔人でさえ世界への影響を与えられるそんな存在だ。人間の中には魔人に匹敵する力量を持っている者もいる。
魔人になっていないだけで魔人になるだけの資質を持っている存在は現代にはかなりいる。
だが誰もがなれるものではない。魔人というのは2種類いる。
カナンのように生まれながら選ばれていた存在。もしくは後天的に世界に証明した実績で魔人になることを許可された存在。
ここには大きな溝がある。天と地ほどの差だ。生まれながらの魔人はカナンと運命の魔人ローク=エラルドだけだ。
他の魔人はここ数百年のうちに各神に選ばれたから魔人になれた。
もしもタルバが前者ならば俺どころかアステールもグラヴィタも敵わない。
三人がかりだったら可能性はあるかもしれないが。
「分が悪いなんて話じゃなくなってきたな。勝つには権能で直接死に誘うしかない。あとはアンデッドで拒絶するか」
魔人は死なないわけじゃない。不死身じゃないからこそ、致命傷を与えられれば勝ちの目がある。
魔人の再生能力でも即死は免れない。やつが浄化する力を有しているのであれば、浄化しきれない呪いで対抗する。
奴が呪いを操れるとは思えない。浄化する力で呪いを無効化しただけのはず。
浄化というのは一定量しか出来ない。それこそ今回は数杯の酒を浄化しただけのはず。
浄化というのは都合のいい力ではないのだ。簡単に浄化を済ませられるならばアステールはテストの跡地で嘆いていない。
幸いにしてこの都市には幾らでも呪われたアンデッドがいる。呼び出せば直ぐにでも集められる。そんな掃きだめだ。
「城で迎え撃つ。最悪地下のあいつをぶつけるしかあるまい」
相変わらず支配を拒絶する地下のアンデッドがタルバと交戦する姿を夢想しながらアタナシア=グラニエは自室へと向かった。
タルバ=ゼノ。あの男の追加情報があったはず。ベゼル王国で認められている功績と力や考え方を入れ込んでおこう。
異名、行動パターン、考え方、交友関係、そして現在判明しているあらゆる力。それが今日の決戦の勝敗を分かつ気がする
テストのときから目を背けていたタルバ=ゼノが過去現在未来最強の魔人であると。薄々可能性は気づいていた。
カナンが従う理由が無いと思ってはいた。創造神の魔人だからという肩書だけではなく、実力をみたのかもしれない。
俺は挑戦者になるということか。圧倒的強者に挑むなどいつ以来の感情だろうか。もうタルバ=ゼノへの侮りは無かった。
対策を講じることはもちろん、アンデッドたちを城に集めよう。過去最高出力で権能を操り、能力を扱い、勝機を見出すのだ。
俺の権能は生命に直接関与する。それに魂にも干渉できる。うまくいけばタルバ=ゼノという最高の素体が手に入るかもしれない。神々は現世に関与できないからな。
アタナシア=グラニエは最強の手駒を入手できるという期待がタルバの到着を今か今かと待ち遠しく感じさせるのだった。
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