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「さて、今回は少しアプローチを変えないとね」
ラノベみたいにあっさり完成するなんてもう思っていない。ということは、′ 失敗 ′ を織り込む必要がある。
石鹸作りの経験を経て、わたしは秩序だって検証することの重要性を実感していた。
あの時は総当たり戦でやっていけば、いつかは正解の配合に辿りつける計算だった。材料も無駄にならないし、そもそも灰汁も廃棄油も、言ってしまえば廃棄物なので気が楽だった。
しかしレーズンはそうもいかない。失敗……腐敗してしまったらリカバリがきかないからだ。
「でも、その分並行して実験できるから、結果は早く出るわ……容器さえあれば」
なんせこの世界、ガラス瓶がないのだ。薬酒などを入れる陶器の瓶はあるが、当然ながら中が見えない。しかも、密閉するときは蝋で固めるので、頻繁に様子を見ることができない。
「材料がない。容器もない。チートもない。どうしてこの世界って、こんなにナイナイ尽くしなのかしら。ついでに林檎ももう無いし」
本当は林檎酵母が良かった。わたしが見聞きした異世界ものでは、大抵林檎で酵母を作っていた気がするから。
「たしかに、林檎はすべてシードル作りに使ってしまいましたね」
やる気満々で袖を捲ったアンヌが頷く。先日修道院の果樹園でも林檎の収穫期を迎えたのだが、シスター総出で切って砕いてシードルの材料にしてしまった後だ。
あの時に酵母のことに気付いていたら、発酵しかけた林檎のくずをもらえたのに。石鹸作りにかまけていてなんとも思わなかったのだ。
「アンヌ、レーズン水を入れるための容器を探してちょうだい。ちょっとずつ試したいから、小さいのでいいの。蓋ができて、同じ形のものがたくさんあるといいわ」
有能なアンヌが持ってきたのは、ティーポット、小型のジャグ、インク壺。
ティーポットは蓋はあるけど注ぎ口もあるから密閉できない。不可。インク壺は密閉出来るのは理想だが、ちょっと小さすぎる。シングルサービング用の陶器のジャグが一番無難な気がしたので、同じものを9つ集めてもらう。
手分けして灰汁石鹸でしっかり洗い、念のためエッタに煮沸消毒してもらう。
「変数は2つ。レーズンの比率と温度を変えてみたいの。石鹸の時に温度の重要さは痛感したもの」
「実験って、ちょっと楽しいですわね!」
と言いながら、優秀な助手が薔薇石鹸で洗った清潔な手で慎重にレーズンを計り入れていく。ほどなくレーズンと白湯の割合が 1:1、1:2、1:3のジャグがそれぞれ3つずつ。9つのジャグがテーブルに並んだ。
問題は温度だ。3つの濃度のレーズン水を1セットにして、温度の違う場所に置きたい。今回は貴重なレーズンを無駄遣いする秘密の実験なので、人目につかないようにする必要があるのだ。
1セットは自室の鎧戸の外に置き、夜は回収することにした。
もう1セットは、ちょっと暖かい場所にしたい。日当たりのいい窓辺に置きたいのだが、この修道院に窓ガラスがある場所は限られている。礼拝堂のステンドグラスと修道女長の私室は論外だ。たとえ話で口に出しただけでも、罰当たりすぎるとアンヌに怒られてしまった。
ガラス窓のある場所は大抵重要な場所で、変な瓶を置いていることが見つかれば怒られる場所でもある。
「応接室はどうですか? 今は大きな来客の予定も無いですから、ほとんど無人ですよ」
エッタは結構肝が据わっていて、発想が大胆だ。わたしとアンヌは毎朝の応接室の清掃を率先して買って出、ジャグは窓際のカーテンに隠れるように設置された。
最後の1セットは「とても暖かい場所」。これは是非、暖炉のあるカレファクトリウムに置きたい。しかし、石鹸桶を置いていたわたしが変な私物を置き始めたら、確実に目立つ。
実は、これには既に秘策を考えてあるのだ。本当はこれがあるからインク壺が理想だったのだが──。
「木を隠すなら森に! スパイ大作戦よ!」




