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リルシャの森に住む人  作者: 喜多彌耶子
終章 森の娘
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そして森に生きる

ふわり、と、漂う香草の香り。緑の香りは、夏の風と相まって、心のなかを清々しい気分にしてくれる。

窓からの風が、カーテンを揺らす。外に広がるのは森の木々。緑の中にあるこの家は、今も変わらず、穏やかに佇んでいる。


「いい天気」


一人暮らしが長くなるとひとりごとが多くなる、とはよく聞くことだけれど、と、ほろりとこぼれた言葉に小さく笑う。

今日は洗濯日和。程よく香草を日陰で乾かしながら、大物を洗ってしまおう、と、段取りを付けて、ベッドの上で背伸びした。


いつものように朝の仕事を済ませ、ひとりの朝食を済ませたら、早速洗濯。


シーツやカーテンを踏みながら洗って、大きく広げる。


じわりとひたいに滲む汗が心地よい。

手の甲で拭ったら、空を眺める。


青い空と、緑の森。


ここが私の、生きる場所。



「ミーオ!」


昼過ぎに、森から声が聞こえた。

週に数回は訪れる彼女の声に、私は嬉しくなって立ち上がる。


「ロナ。いらっしゃい! ――カインも」


駆け寄ってくるロナを抱きとめつつ、その後ろから荷物を両手に抱えて歩いてくるカインに声をかける。


「俺はおまけか。――いいけどさ」


ふてくされたような彼の様子に、ロナと二人、顔を見合わせて笑った。


香りの良いお茶を用意して、木陰に用意したテーブルでお茶をいただく。


今日は、ロナの持ってきてくれたお菓子を、お茶請けに出してある。


村から森への道は、少しずつ整備され、時折、薬草を求めて村人が訪れるようになった。

それでも、普段はこちらから村に行くことが多いし、カインの所におろしてもいるので、森で人の姿をみることは変わらずそう多いことではない。


よく来るこの二人が例外と云うべきか、私のことが心配でしょうがないらしいロナと、それのお供でやってくるカインという構図が、いつのまにかできあがっていて、私もそれを心待ちにする様になってきていた。


そう。


今までであれば、森に人が来ることを私は好まなかったし、彼女たちの存在を迷惑だとすら思っていただろう。


けれど。



人はひとりじゃいきていけないから。今でも人と関わることは怖いけれど、それでも、生きる以上それは逃げられないものだとわかったから。

そして。


ひとりでいることがどれほど寂しいものか、痛感してしまったから。


私は、彼らを歓迎する。私は彼らが来るのを嬉しいと思う。――そして、そう思える自分を、幸せだと、思う。


森の中は、変わらず静かで、穏やかで。私も何が変わったわけじゃない。


――基本的に、私は、変わらず、ここにひとりでいるから。


そう。私はここでひとりで暮らしている。


「――ミーオ、あの男はどうしてるの?」


静かな空気の中、穏やかな沈黙を破ったのは、そんなロナの声で。相変わらずレイルを読む思っていない様子の彼女の声に、小さく笑う。


「そうね。――今どこにいるのかしら」


「ミーオ!」


のんきにそう答えたことが彼女の何かに触れたのか、勢い良く立ち上がる。


「ロナ。落ち着いて」


そっとカインがロナの肩に手を置き、なだめているのをみて、幸せな気持ちをわけてもらったような気分になる。


「でも、ああもうっ」


言い返そうとしたロナは、私が穏やかに微笑んでいたせいか、それ以上の言葉を言わずに口をつぐみ椅子に座った。


――ここに、レイルはいない。


そう、彼はここに住んでいるわけではないし、ずっとここにいるわけじゃない。


すでに前にあって、半年は過ぎただろうか。

それを知っているからこそ、ロナは、ああも怒ってくれたのだろう。



あれから。


レイルは旅立ち、私は森に残った。



答えは、簡単なこと。


私は、森の中で生きていくことを望み、レイルは旅の空で生きていくことを望んだから。


それを聞いて、ロナは、酷く憤った。何故、と、わからない、と、私にいった。



別に、決別したわけでも、離別したわけでもない。

二度と会わないと誓ったわけでもない。


答えは、簡単なことで。


私とレイルは、共にあるわけではないけれど、共に存在しているのだ。

遠くはなれていても、共にあるのだと、無意識の内に互いに認識し、確認し合っただけのこと。


傍からみれば、わかりにくい関係。


それでも。


互いからみれば、これ以上ない関係。


「心配掛けて、ごめんね」


そっとそう告げれば、もう、と、目尻を下げたロナは、小さくため息を付いて笑ってくれた。


――ロナとカインの結婚式まであと少し。


結婚という形式を、望む気持ちはないけれど、彼らの婚姻はとても嬉しいことだと心から思う。


結婚しないの? と、問いかける、ロナに、そっと笑って誤魔化すのだった。




日が暮れる前に村につけるようにと、早々に帰っていった二人を送り出し、残りの作業をすすめる。


最近では、村の鍛冶屋のおじさんと知り合ったお陰で、香草を蒸留する装置も作ることができた。


たくさん集めて、蒸留して、できたオイルと蒸留水は、どちらもそれなりの値段で引き取ってもらえて、とても助かってる。


残りの作業をある程度終えて、台所にたつ。


ロナとあんな会話をしたせいかどうかはわからないけれど、なんとなく、予感めいた気分で、シチューを煮込む。野菜を沢山と、お肉をごろごろと。そして、バターに小麦粉と、牛乳。ことことぐつぐつと、わきに用意した小さな火鉢にかけて、煮込んだシチューは、いい香りを漂わせている。


――ひとりが寂しくないわけじゃない。


――彼にそばにいてほしくないわけじゃ、ない。


ただ、私は森の中でいきる存在で、彼は旅の空に生きる存在で。


「それだけ、なんだけど、な」


ぽつり、と、つぶやいて、私は小さくため息を漏らした。



夕食の前に、と、家を出る。


既に薄暗くなり始めた森の上に、月が光る。


もうすぐ完全に日が沈み、夜がやってくる。


澄んだ森の空気を吸い込んで、私は大きく伸びをした。




緑の森と、夕焼けに染まる空と。既にうすらと浮かぶ、大きな月と。



ここが私の生きる場所。


ここが私が、生きていく場所。




遠くから、足音が聞こえる。


湧き上がるうれしさから、私の顔に笑顔が浮かぶ。


――ここが私の生きる場所。


そして。


――ここが彼の帰る場所。



私を呼ぶ声が聞こえる。低く優しい、愛しい声が。


「おかえりなさい」


振り返り告げた言葉に、返るのは、暖かな、抱擁。



風にのって緑の香りが漂う。大きな月が照らす森は、静かに私の傍らにある。


ここが私の生きる場所。

ここが彼の帰る場所。



リルシャの森は、今日も静かに、私の傍らに佇んでいる。



――リルシャの森は、今日も美しい。



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