第一幕 これが、私の第一幕
ご閲覧いただき、ありがとうございます。ようこそ、『舞風学園演劇部』の物語へ。
ここは、まだ何もなかった新設校、舞風女子学園高校。そして、ひとつの部活動が始まった場所。
舞台は、青春。
主演は、夢を信じる少女たち。
笑いあり、涙あり、ちょっと恥ずかしくて、でも眩しい青春物語を。
彼女たちは、全力で演じます。
それでは、幕が上がります。
どうぞ『舞風学園演劇部』の世界をお楽しみください。
開演です。
私、小さい頃からずっと思ってた。
誰かになりきるのって、すっごく楽しいって。
お姫さまでも、ヒーローでも、魔法少女でも、
ほんとは、そんなのになれないってわかってる。
だけど――
その“フリ”をしてるときだけは、
自分のことをちょっとだけ好きになれる気がした。
明日からわたし、高校生。
そろそろ、こういうのもやめたほうがいいのかな……
ううん、でも……もう少しだけ――
最後にもう一回だけ、“魔法少女ひのりん”になっても、いいよね?
「はぁっ! くらえ、ひのりん・スターライト・スパークルッ!」
放たれた技の音は、カラフルなおもちゃの魔法の杖から鳴る電子音。
その先には、ベッドに並んだぬいぐるみたち――通称“悪のぬいぐるみ軍団”。
「ふふっ、甘いわね。今度こそおしまいよ、魔法少女ひのりん!」
と、今度は自分で敵のセリフも低めの声色で演じる。
それが、本宮ひのりの放課後ルーティン。
彼女は茶色のショートボブに緑のヘアピンが特徴の明るく快活な女の子。
高校入学を翌日に控えているというのに、今日も元気に一人芝居に夢中だった。
「演技っていうか、これじゃあ……完全にごっこ遊び、だよね」
ぬいぐるみにトドメを刺したあと、ふと冷静になる。
鏡に映る自分の姿――制服でもなく部屋着でもない、“魔法少女のつもり”の即席コスチューム。
「高校生にもなって……こんなこと、やってるなんて…… でも魔法少女って…やばくない? いや、まだギリOKでしょ!」
そう呟いたとたん、顔が真っ赤になる。
けれどベッドに寝転がったひのりは、そんな自分をどこか誇らしく思っていた。
「……でも、演じるのってやっぱ楽しいや」
彼女の心には、明日から始まる高校生活に対するワクワクが、静かに膨らんでいた。
翌朝――。
ひのりはアラームの音に目をこすりながら起き上がった。
枕元には、昨夜使った魔法の杖とぬいぐるみたちが無造作に転がっている。
「ん〜……よしっ! 今日から高校生だ〜っ!」
大きく背伸びをして、制服に手を伸ばす。
カーテンを開けると、春らしい優しい光が差し込んできた。
着慣れないブレザーに袖を通し、胸元の赤いリボンを結ぶ。
髪にはお気に入りの緑のヘアピンとお花の飾りピンをつけて、鏡の前でニッコリ。
「うん、今日の私は……入学式ヒロインって感じ!」
⸻
階下に降りると、キッチンでは母親が朝食を用意しており、父親は新聞を片手に読みながらコーヒーを飲んでいて愛犬のラブラドールレトリバーのハッピーも尻尾を振っていた。
「ひのり、起きてたの? ……今日は遅刻しなかったわね」
「高校生活、第一歩だからね!」
朝ごはんは鮭に卵焼き、味噌汁にごはん。
家族のいつも通りの食卓なのに、どこか“特別な朝”に感じる。
「ひのりももう高校生か……制服似合ってるぞ」
「えへへ〜、でしょ?」
「でも、ちゃんと“高校生らしく”しなさいよ。ふざけすぎちゃダメだからね」
「青春という舞台、演じてくるんだぞ」
「うんっ!」
父と母と会話し、朝食を食べ終えると、歯を磨いて鞄を背負い、玄関へ。
「じゃ、行ってきまーす!」
「気をつけてね! 車には気をつけるのよ!」
「遅刻するなよー!」
「ワンッ!」
⸻
ハッピーを撫でて玄関を開けて家を出たひのりは、近くの交差点で誰かを見つけて小走りになる。
「七海ちゃん!」
黒く長い髪が風に揺れる。整った姿勢で歩いていたのは、伊勢七海。
ひのりとは対照的にクールで落ち着いた雰囲気の、幼なじみにして良き理解者だ。
「……おはよう、ひのり。珍しいわね、あなたが先に来るなんて」
「ふふん、高校生の私はひと味違うのだ!」
「そう。じゃあ遅刻癖は高校デビューと共に卒業ね?」
「たぶん! きっと! ……できるといいなぁ」
二人で並んで歩く、いつも通りの道。
だけど、着ている制服も、目指す場所も、今日からは“いつも”じゃない。
「ねぇ七海ちゃん、私、今日からちゃんと“高校生”になれるかな?」
「なれるもなにも、もうなってるわよ。自覚しなさい」
「……そっか。へへっ!」
駅に着くと、ホームには同じ制服を着た新入生らしき子たちがちらほらといる。
ひのりは、胸の奥がトクトクと高鳴るのを感じながら、七海と並んで電車を待った。
その先にある、まだ誰も知らない“舞風学園”という舞台へ向けて。
電車に乗ると、他の駅から乗った制服を着た新入生たちの姿がちらほら見えた。
「うう、高校生活、上手くやれるかとっても不安...」
「大丈夫だって。あたしが着いてるからさ」
みんなどこか緊張していて、一人は内気なツインテールの少女、もう一人はオレンジ色のポニーテールに活発な感じの2人の新入生の会話もあり、でも目の奥には期待がにじんでいる。
ひのりもその一人だった。
「七海ちゃん、なんかね、心臓がドキドキしてる」
「落ち着きなさい。大丈夫よ。誰だって今日は主役みたいなものだし」
窓の外に流れる街の景色。
見慣れた商店街も、線路沿いの桜並木も、今日はどこか特別に見えた。
そして――最寄りの駅に到着。
駅の看板が、朝日に照らされてキラキラと光っている。
⸻
駅から少し歩いた丘の上に、その学校はあった。学校のある街は東京まで電車一本で行ける距離であり、昔ながらの街並みもあり、春は桜並木、夏は地元のお祭り、冬は駅前のイルミネーション。
そんな“都会すぎず田舎すぎない、首都圏のどこか”。
ガラス張りの校舎は、朝の光を反射してまばゆいほどに輝いていた。
白と青を基調としたシンプルでスタイリッシュな建物。
周囲には整備された中庭や植栽があり、まるで未来のキャンパスのよう。
「ここが私たちの学校なんだ……!最初の生徒になるって不思議な感じするね」
ひのりは立ち止まり、感嘆の声を漏らした。
制服の胸元をぎゅっと握りしめる。
七海も答える。
「綺麗ね。新設校ってだけあって、設備も一級品みたい」
門をくぐると、歓迎の立て看板が出迎えてくれた。
「第一回 私立舞風学園高等学校 入学式」
そしてその下に、オレンジ色の字でこう書かれていた。
“風の舞う、この場所で――あなたの物語が始まります”
⸻
校舎の中も、すべてが新品だった。
白い廊下、ピカピカの床、明るい自然光の差し込む窓。
すれ違うのはすべて同じ制服を着た“仲間たち”。
二人は掲示板でクラスを確認する。
「本宮ひのり……伊勢七海……A組、だって!」
「ふふ、やっぱりね。同じでよかったわ」
そして案内に従って、二人は体育館へと向かう。
⸻
体育館は、外観以上に近代的だった。
広く天井の高い空間に、間接照明が柔らかく降り注ぐ。
正面のステージには新しい紺色のカーテンが垂れ、そこに「入学式」の文字が掲げられていた。
「……すごいね、ほんとに新しい舞台って感じ……!」
ひのりはステージを見つめ、まるで自分が立つ未来を想像しているかのようだった。
「ひのり。あなた、本当に舞台に立ちたくて仕方ないのね」
「うん。だって“これから始まる”って空気、もうドキドキするんだもん」
二人は並んで席に座る。
体育館に集まるのは、新入生とその保護者、そして教職員や地域関係者。
――そして、式が始まる。
壇上に立ったのは、落ち着いた雰囲気の年配の男性。
深い声で、ゆっくりと語り出す。
「皆さん、ようこそ舞風学園へ。
本校は、舞ノ風文化振興財団の支援により、学問と芸術の両輪を掲げる学校として設立されました。
この場所は、皆さん一人ひとりが未来を創る“はじまりの場所”です」
静寂の中に、その言葉だけがしっかりと胸に届いた。
校長の言葉が終わると、式の司会進行役がマイクに向かって言った。
「続いて、校歌の演奏に移ります。
本日の演奏は、舞風学園の創設にもご協力いただいた、舞ノ風フィルハーモニーの皆様による生演奏です」
その一言で、会場の空気が一段と引き締まった。
ステージのカーテンが静かに左右へ開く。
そこに現れたのは、洗練された黒いスーツ姿の楽団員たち。
フルート、クラリネット、トランペットにホルン、パーカッション。
舞台の上に配置された彼らは、すでに一音も出していないのに“プロの気配”を放っていた。
「舞ノ風フィルハーモニーは、本校の設立母体である“舞ノ風文化振興財団”の中心事業として、長年地域の音楽活動を支えてきた楽団です」
ざわつくことなく、静かに拍手が起こる。
そのあと、指揮者の合図で、校歌の前奏が始まった。
――トゥン……トゥン……
木管の柔らかな響きが空間を満たし、金管の澄んだ音が天井に届く。
まるで“風”そのものが音楽になったような、透明で、どこか誇らしい旋律だった。
ひのりは思わず背筋を伸ばした。
(すごい……これが、校歌……?)
歌詞はまだ知らない。
でも、そのメロディだけで“この学校に入った意味”を身体が受け取っている気がした。
七海も隣で目を閉じ、静かに聴き入っている。
生演奏という音の厚みに、体育館全体が包まれていた。
⸻
曲が終わると、会場は自然と拍手に包まれた。
音楽が止んでも、まだ胸の中にはその響きが残っている。ひのりと七海は話していた。
「……これから、この学校で何が待ってるんだろうね」
「少なくとも、退屈はしなさそうね。あなたがいる限り」
「えっへへ〜」
⸻
式が終わると、生徒たちはそれぞれのクラスへと移動を始める。
案内板に従って、ひのりと七海も1年A組の教室へ向かった。
新しい校舎の廊下を歩きながら、ひのりは小さく呟く。
「ここが……私の新しい“ステージ”なんだね……!」
光の差し込むその場所で、誰もがまだ無名の役者。
でも彼女は確かに信じていた――自分が“これから演じる物語”を。
教室に入ると、椅子と机が整然と並んでいた。
窓際の席に座ったひのりは、新しい教室の匂いを深く吸い込む。
「そしてここが、これから3年間の学校なんだね……!」
「なんか、“始まりの匂い”って感じがするわね」
教室には、同じように緊張と期待を混ぜ込んだ1年生たちがちらほら。
まだ誰も騒がず、静かにざわめくその空気に、ひのりも少しだけ背筋を伸ばす。
⸻
ガラッ。
教室の扉が開いた。
「失礼しまーす。……皆さん、席についてくださいねー」
入ってきたのは、若い女性教師だった。
明るいベージュのジャケットを着こなし、前髪をすっきり分けた優しげな目元。
「えーっと、改めまして。今日から1年A組の担任を務める、音屋 亜希です。よろしくお願いします」
その声はやわらかくて明るくて、それでいてしっかりしている。
新しい学校、新しいクラス、新しい先生。
それぞれがまだ手探りの中、教室が少しだけ安心した空気に包まれた。
「実は私も、皆さんと同じくこの春に“舞風学園”へやってきました。大学を出て数年、先生としてはまだ新米です。だから一緒に成長していけたら嬉しいな、って思ってます」
その言葉に、教室の数人が「おぉ…」と目を丸くする。
(やっぱり若い……下手したら私たちの姉世代ね)
(かっこいい、綺麗。女優さんみたい)
(美人で優しそう! 先生って感じしないけど先生っぽい!)
⸻
「それじゃあまず、自己紹介をしましょうか。出席番号順で、一人ずつ前に出てお願いします」
そうして、生徒たちは一人ずつ自己紹介を始めた。
「伊勢七海です。出身は○○中学、趣味は読書と小説を書くことです。よろしくお願いします」
凛として無駄のない七海の自己紹介に、教室から自然と拍手が湧く。
数人が続き、そして出席番号24番――。
「……本宮ひのりさん、お願いします」
「はいっ!」
勢いよく立ち上がったひのりは、堂々と席立った。
胸を張り、にこっと笑って――。
「皆さん、はじめまして! 本宮ひのりです!」
少し間を置き、両手を軽く広げて続けた。
「将来の夢は……大女優になること! 趣味は、ごっこ遊びと“なりきり演技”です!」
そこまではまだギリギリ“個性派”の範囲だった。
だが次の一言で――教室の空気は、確実に変わった。
「今朝も魔法少女になって、ぬいぐるみたちとバトルしてきましたっ!」
……シン……。
一瞬、教室の空気が固まった。
数人が視線を伏せ、七海は額を押さえてため息。
(ああもう……ひのりったら)
――そのとき。
「ぷっ……なにそれ……!」
前の席の子が思わず噴き出した。
すると別の子が「ぬいぐるみとバトルって!?」と小声で笑い、
やがてクスクスとした笑いが教室中に広がっていく。
「やだ〜めっちゃ面白いんだけど!」
「魔法少女って……かわいいじゃん」
笑いの波に、ひのりも照れたように笑顔を返す。
「……えへへ……よろしくお願いしますっ」
今度は自然と拍手が起こった。
中にはまだ戸惑う表情の子もいたが、少なくとも“重い空気”は吹き飛んでいた。
⸻
音屋先生だけが、変わらぬ笑顔でぽつりと言った。
「うん、演技が好きってことね。本宮さん、これからが楽しみです」
⸻
続けて他の生徒の自己紹介が行われたが、
“あの子、今朝魔法少女になってたらしい”という情報は、
この日クラス中にゆるく、そして確実に広がっていったのだった。
放課後。教室を出て廊下を歩いていたひのりと七海は、ふと人だかりのできた掲示板前に目をやった。
「わっ、部活紹介だ! 見て見て七海ちゃん、演劇部あるよ!」
掲示板には様々な部活動の案内が並んでいた。
「陸上部、文芸部、バレー部、茶道部、動画撮影部……演劇部、ここだ!」
部員募集中の文字の下には、手書きでこう書かれている。
「初心者歓迎!みんなでゼロから演劇部を作ろう!」
「私、やっぱり演劇部入りたい! これしかない!」
「……中学のときも演劇部入りたかったんだ。でも部員がいなくて、結局できなかったから……」
ひのりは拳をぎゅっと握りしめる。
「だから今度こそ! 絶対に演劇部で青春するんだ!」
「文芸部も見ておきたいけど……演劇部がいいわね。ひのりと一緒にやるのも楽しそうだし」
「本当? 七海ちゃんも一緒ならすっごく心強いよ〜!」
テンションの高いひのりが飛び跳ねそうになったそのとき、掲示板の前にいた二人の女子が目に留まる。
先ほども電車で会話してた二人で一人はポニーテールの明るいオレンジ髪で、元気いっぱいな印象。
もう一人はツインテールの髪を揺らし、少し恥ずかしそうにうつむいていた。
「えっと……演劇部、気になってる?」
オレンジ髪の少女がすぐに反応する。
「あっ、バレた? うん、ちょっとね! あたし、小塚紗里。運動は得意だけど演劇とか悪役やってみたくてさ!」
ツインテの少女が小さく声を上げる。
「わ、私は……城名みこ。……ひ、人前で話すの苦手だけど……お芝居……憧れてて……」
「うんうん、すっごくわかる!紗里ちゃん、一緒にやろうよ!」
「悪役演技やってみたいなー」
「悪役!? じゃあ今やってみよ!」
紗里は一歩下がって、両手を腰に当てて胸を張る。
「ふっふっふ……この舞風学園は私のものだ!」
「なにぃ!? そうはさせるか、魔法剣士ひのりん!」
ひのりは即興で剣を構える真似をする。
みこは目を丸くしてから、小さく笑った。
「……すご……ほんとにやるんだ……」
七海は肩をすくめつつも、口元を緩めていた。
「人数がいれば部としても安定するしね」
「じゃあもう入部決定ってことで、トーク交換しよっか!」
ひのり、七海、紗里、みこの四人はその場でQRコードを出し合い、グループトークを作る。
まるで“結成”の瞬間だった。
だが、その空気に水を差すように、冷たい声が飛び込んできた。
「楽しそうね。でも、演劇を舐めないでくれる?」
振り返ると、体育館前の通路を通り過ぎようとしていた一人の女子生徒が、立ち止まってこちらを見ていた。
赤みがかったロングヘアに、スラリとした立ち姿。
冷ややかな視線と、完璧な制服の着こなし。
彼女の名札には「1年C組・宝 唯香」の文字。
姿勢は完璧で、制服の襟元まで乱れひとつない。
その瞳は氷のように冷ややかで――どこか、舞台のスポットライトを浴びているように見えた。
「え……あなたは?演劇部に入りたいんですか?」
「私は宝唯香。……ひとつ、言っておくわ。
演劇ってのは“ごっこ遊び”じゃない。本気でやってきた人間に失礼よ」
言い終わると、彼女は背を向けてそのまま歩き去っていった。
⸻
数分後、教室に戻った七海はスマホを操作し、ひのりに画面を見せる。
「……あの子って、もしかしてこれじゃない?」
画面に映っていたのは、数年前に上演された有名な舞台のポスター。
その中央には、あどけない表情をした少女――まぎれもなく、宝唯香の姿があった。
「す、すごい……本物の女優だなんて……」
「でも私たちのこと、良いようには思ってないみたいだわ」
「……やってみないとわからないじゃない。ねえ、演劇部入らない?」
そう言うなり、ひのりは唯香の後を追って廊下を駆け出した。
「待ってよ! 女優だったんでしょ?」
唯香は立ち止まらず、淡々と答える。
「そうだけど。……ただの“ごっこ遊び”がやりたいの?
悪いけど――あなた達と一緒に部活はできないわ。失礼します」
「ええ?! そ、そんなあ〜!」
彼女の呼びかけは届かず、唯香の背中が、廊下の先で小さくなる。
その姿は遠くて、でも、目が離せなかった。
だけど、これで諦めるなんてしない。
私は――
きっと、この舞台に立ってみせる。
……これが、まだ上がったばかりの私の第一幕だったのです。
続く