第38話 「私の大事な人なんです」
「きみは親族?」
「いえ、私は……、悟くんの彼女です」
もう自分に嘘をつかない。私が望んでいた、すこし未来の願望を口にすることにした。当たり前が当たり前じゃないことに気づいたから。あっけなく、幸せな今は過去に変わることを理解したから。
「さ、悟くんは!? 無事なんですか!?」
「最善を尽くしましたが……」
やっとの気力で立っていた力が全て抜ける。私はベンチへと座り込んでしまった。すでに日差しが昇っていて、窓からも光が差し込んでいるはずなのに、暗い。真っ暗だ。助けて、悟くん。暗い、怖いよ。
「体の損傷が激しく、内臓が破損していました。外科的手術により、各部の縫合をしましたが、出血量がひどく、すでに息を引き取っています」
お医者さまがなにをいっているのか、ワカラナイ。ワカラナイ。悟くんがすでに息を引き取っている? だって、昨日はあんなに元気だったのに。実感が湧かない。悟くんがこの世にいない? そんなこと想像できない。だって、3才の頃からずっと一緒だった。保育園でも、小学校も、中学校も、高校でも。だから、これからも一緒のはず。なのに、どうして? 私、私のせいだ。
思い出されるのは、悟くんの顔だ。声だ。仕草だ。
悟くんに会いたい、話したい、抱きしめたい。神様、少し、少しだけでいいから。
「一つ、一つだけですが、彼を死から救い出す方法があります」
「……そ、それはどんな手法なんですか?」
私は藁にもすがる思いで、お医者さまの腕を強く掴む。お医者さまは重い口を開いた。
「VRの仮想世界へ意識を移す手法です。【意識電脳置換手術】と呼ばれる手法になりまして、現実世界の脳の意識を電気信号に変換して、仮想世界へとデータ転送を行います。アメリカでは既にオーソドックスな治療手法として確立済の手術法になります。最先端の手術手法ではありますが、日本でも術例はあり、数名ではありますが、成功しています。本来、未成年者に本治療をする場合には、親族の合意が必要になりますが、親御さんは海外で連絡が取れない状態ですよね。その場合、代理人の方の許諾が必要になります」
意識を移す? 説明を聞いても、正直ちんぷんかんぷんだっ。そんな手術が存在するなんて……。少なくとも、メジャーな手術法ではないみたいだけど、それで悟くんが助かる見込みがあるなら、賭けてみたい。
「手術が無事に成功すれば、仮想世界で意識を移すことになりますので、雲輝さんとお話しすることも可能になります。お話しだけでなく、現実世界と遜色ない生活を過ごすことが可能となります」
で、でもそれって、現実世界の悟くんはどうなってしまうのだろう? 仮想世界でずっと生き続けることなんてできるのかな……。わかってる、我儘だってことは。けれど、できれば、現実世界で元気な悟くんに会いたいっ。私の不安が的中するかのように、お医者様の口から淡々とこの手術の欠点が述べられる。
「ただし、いくつか注意点があります。まずは、意識を移した直後は軽い記憶障害に陥る可能性です。記憶障害の中で、今回の事故のことについては本人に話さないように細心の注意をお願いします。精神面にどういう影響を与えるかわからず、海外の事例だと、移植したデータに欠損を与え、存在が消失したという事例も存在します。本人が自然に思い出すまで、事故のことは話さないようにお願いします」
矢継ぎ早に伝えられるから、処理が出来ないよ。と、とりあえず、今回の事故のことは悟くんには黙っておいた方がいいってことだね。そんな秘めゴトがあるなかで、普段通り振舞えるかな。私はちょっとばかり不安になる。
「また、仮想世界で生きると言っても、数年単位で生きることが出来たという事例はありません。ある日突然、仮想世界から消えてしまうことになりますので、本処置に関しては延命治療の一環として捉えてください。最後に、脳の意識を完全に移行することになりますので、肉体は脳死扱いとなります。肉体に仮想世界の意識を再度戻すことは現在の科学では不可能となりますので、ご了承ください」
悟くんの肉体は死ぬ。それでも、やりますかってこと? そ、そんなの選べる訳ない……。私はどうしたら……。手術中に何度も悟くんのご両親に電話をかけたが、応答はなかった。もしかしたら、折り返しが来ているかもしれない。携帯デバイスをちらりと確認するけれど、携帯デバイスのディスプレイは真っ暗なままだ。悟くんのお父さん、お母さんからの折り返しはない。
「もし、ご了承いただけるのであれば、代理人である妙蓮さんが同意書へのサインをお願いします。同意書には、くれぐれも嘘の情報は書かないでください。命に関わる緊急時のみ、親族以外が代理人となることが認められていますが、嘘の情報が記述されていた場合には、偽証罪などの罪に問われる可能性があります」
だ、大丈夫。悟くんなら、彼女と簡単に認めてくれるはず。下手したら女の子なら誰でも彼女という名目になる気がしちゃうけど……。でも、それよりもどうしよう? 悟くんにこの手術を受けてもらうべきなのかな。私の一存で決めるわけにはいかない。やっぱり、悟くんのご両親と連絡を取ろう。
「お伝えしますと、すでに、雲輝さんは息を引き取っている状態ですので、1分1秒遅れると、この手術法の成功率が下がっていきます。ご決断は早めにしていただくのがよろしいかと」
そ、そんな!? 今すぐに決断をしなくちゃいけないってこと? ……このまま、待っているだけなら、悟くんは死を待つだけ。私が悟くんの意識を助けられるかもしれないのに、見殺しにしたことになる。それは私が悟くんを殺すに等しい行為だ。私のせいで、私の大好きな人が二度死ぬことになるなんて、耐えられるわけがないっ!! だから。
「お願いします……、悟くん、雲輝くんを助けてください……。私の大事な人なんです。お願いします、お願いします……」
「承知しました。善処します」
お医者様は踵を返し、手術室へと足を踏み入れる。しばらくしてから、再度、手術中のランプが点灯する。悟くんは痛みに耐えて必死に戦っているはず。だから、私が泣くわけにはいかないっ。
「悟くん、会いたいよ……」
私の呟きは、空気中に溶けて消えていった。




