練習
あの後、急激な倦怠感に襲われてそのまま寝てしまった。時間の感覚のない俺にとってはカーテンから漏れる明かりだけが頼りだ。何時か分からないが朝なのだろう。部屋の中も薄暗く、きっと明け方なはずだと思う。
ゆっくりと上半身だけを起こすと、近くで眠っている彼女に目をやった。すやすやと寝息を立てて眠っている彼女が視界に入ると安堵する。
物音を立てないように立ち上がり、窓の方へと近づいた。カーテンを少しだけずらすと外の様子を見る。どうしても気になる事があったのだ。
昨日の出来事を鮮明に思い出してしまうが、俺はある物を確認したい衝動に駆られた。
「——やっぱりか……」
昨日食われたはずの死体はなく、道路には染みしか無かった。ゾンビに噛まれた人間はゾンビになる。それがこうして実証された。じゃなければ死体が何処に行ったのか説明がつかない。
てか、噛まれただけでゾンビになるとか難易度高すぎだろ。外はどうなっているのか知りたかったが、窓のから見える範囲ではそれがよく分からず諦めてカーテンを戻した。
この難易度「ハードモード」で生き残る術はあるのだろうか? 腰を降ろし壁にもられかかったまま考える。
あるとすれば——
「――魔法…………しかないよな」
昨夜の事を思い出す。
消えそうなくらいの火ではあったが、思った通りの魔法が使えた。それを上手く扱えるようになる事で生き残る可能性が高くなるのじゃないのだろうか?
そうと決まれば魔法を訓練するしかないだろう——でも、どうやって?
「う……んっ……もう、朝?」
そうこうしていると、神崎さんが目を覚ました。
「ごめん。起こしちゃった?」
眠そうに目を擦るその下には若干の隈と、瞼が腫れぼったくなっていた。
「いえ……大丈夫です」
目を伏せる彼女は何処か居心地が悪そうである。昨日の出来事をかなり引きずっている様子が見て取れた。
「あの……昨日はすいませんでした」
ばつの悪そうな顔をして謝罪を述べるた。視線が一瞬合うと、下を向いて俯いてしまう。
「えっ?」
確かに昨日の彼女はかなり狼狽してはいたが、これと言って謝られるような事はしてないと思ったのだが……、
「ずっと黙って、食事も取らずにいろいろと心配かけてしまったので……」
ああ、なるほど。
指をもじもじと絡み合わせたりつついたりと世話しなく動かしてはチラ見を繰り返す。まあ、この状況ならしょうがないのだろう。
かく言う俺も恐怖に押し潰されそうになっていた。それこそ、一人だったらばずっと震えていたかもしれない。
「そんなに気にしなくて大丈夫だよ。こんな状況だからね。
てか、少しは落ち着いた?」
そう言うと申し訳なさそうに会話を続ける。
「はい……本当にすいません。
昨日、ずっと考えて整理がつきましたから……」
それならば良かった。
もう少し塞ぎ込むか、ヒステリックになってもおかしくない状況で冷静になる。俺が思う以上に彼女は強かったと言う事だろう。
あー、魔法の事どうしようかな……。昨日使えるようになった火の魔法。その件についてしっかりと共有したいと思う。
もう少ししたら話すか。
「あーー! なんかお腹すきました。ってか、蒸し暑いですね。
あっ、絶対に今近づかないでくださいよっ!」
急に吹っ切れてまくし立てるように話出す神崎さんは、手で近づかないでとアピールしてきた。
汗の臭いを気にしているのだろう。そうしてカバっと勢いよく立ち上がると、荷物を持ってキッチンの方へと行ってしまった。
なんだ? ガサゴソと何かが音がする。
しばらくすると服を着替えた神崎さんが戻って来た。ピンクのワイシャツにハーフパンツ。かなりラフな格好である。
「あー、さっぱりした。
でも、本音で言えば頭も洗いたいですね。ベタベタして気持ち悪い」
それには同意、だけどこの状況ではそれも仕方ない事だよな。同じようにキッチンへ行くと、もしもの時に買っておいた体拭きシートで全身を拭く。
体がスースとして気持ちいい。
全身を拭き終えて、さっぱりとした所で新しい服へと着替え、部屋へと戻る。
互いに小綺麗になったところで、朝食を取る事にした。神崎さんは昨日の桃の缶詰め。俺は魚の缶詰めにした。
「あー、美味しいんたけど米が欲しいな」
「私は甘くて美味しいですよー。
でも、贅沢を言えば紅茶とか飲みたいですね」
少し前までならばそれも簡単にできた。だが、今は食料と水は出来る限り節約しなくてはならない。まして米を炊くなんて炊飯器の使えない今となっては不可能だ。
「この暑さも死活問題ですね……
いろんな意味で。このままじゃ下着も……」
最後の方が上手く聞き取れなかった。
「えっ? なんて言ったの?
最後の方がよく——」
「——なんでもないです!」
語気を強める彼女にく首を傾げる。
「そ、それにしても静かですね」
本当に静かだ。鳥のさえずりが少し聞こえるくらいで、車の音も人の気配も感じない。それに――人間が食われる声も聞こえなかった。
恐らく死んだか、逃げたかで周囲に誰もいないのだろう。
「そう言えばさ……魔法が使えるようになったんだ」
唐突にそう話を振ってみる。
「———はっ?」
変な人を見るような目でこちらを見る神崎さん。
「大丈夫ですか? いろいろと……少し休んだ方がいいんじゃ…………」
いや、その痛い人を見るような目で見るなよな。
「ちょっと見てて……
————火よっ」
少し集中すると昨日と同じように指先からそれが出現する。
「手品……?」
「種も仕掛けもありません……
って、違うよ俺はそんな特技なんてないからね」
その火をすぐに消す。
少し疲れた感覚はあったが、昨日の夜のように全身が怠いと言うことはない。せっかく使えた魔法を手品と言われて、少し悲しかったのは内緒の話である。
「じ、じゃぁ……本当に魔法?」
「だと思う。じゃないと、こんな事が出来ると思う?」
どうにか実用出来るくらいまで使えるようにしたいが、家の中で火を使うのはちょっと怖いけど。
「す、すごいっ!
えっ、じゃぁ、もしかしたら私にもできるんですかね?
———火よっ!……」
神崎さんも真似をしてそれを行ったが、それも虚しく何も起きない。
「ぷっ!」
その光景に思わず吹き出す。
「ちっ、ちょっと! 笑わないでくださいよ!」
真面目な顔をして、人差し指を立てて火よっ! なんて言っている人がいたらそれこそ痛い人だろ。俺は結果としてちゃんと出たからいいが、何も出なかった神崎さんは――
「もう一度! 火よ! 水よ!
くそーっ、なんなら何でもいいから出てきてよ」
半ばヤケクソ気味にそれを何度も繰り返す。
「落ち着いて、落ち着いて。
ゲームでも何でも何だけど、何かしらの属性? のような物があるんじゃないかな」
神崎さんを宥めるが、昨日とは違う意味で悶えると丸まってしまう。
俺の方は試しにいろいろな事をやってみた。
「水よ……」
おっ、出来た。
指先から少し水が出てくる。
「それなら、雷よ」
すると指先からバチバチと音がする。
それ以外も試したが他には使えなかった。
俺の属性は火と水と雷と言うことなのだろうか?
水が使えるのは助かる。上手く行けば節約しないで済みそうだ。
「むきーーっ! 宗田さんばっかりずるいですっ!」
そう変な叫び声をあげる。
そんな事を言われてもな……そう言えば。
「あー、神崎さん俺ばっかり悪いね」
ニヤリと悪い笑みを浮かべる。
昨日、ドラゴンとクエストで馬鹿にされたことを思い出し悪い笑みを浮かべる。
すると、ううーっと言いながらこちらを睨み付けてきたが、子猫に睨まれてるようでまったく怖くない。
むしろ愛くるしいような可愛さを感じた。
「私だって魔法使えるようになってやる!」
そう意気込んで一人でぶつぶつと何かをし始めた。
一人の世界に入った神崎さんを尻目に俺は魔法の練習を始める事にした。