第一章 7
2026年2月3日 改稿
――どれくらい時間が経ったのだろうか?
ふと、時計を見ると秒針が0秒をさしたまま動いていなかった。
「神崎さん」
石像のように固まった顔が微かに動く。消え入りそうな声で彼女の名前を呼ぶと、ゆっくりと振り向いた。
膝を抱えるように隅で座っていた彼女がゆっくりと顔を上げる。
呼吸が浅く、肩を小刻みに上下させ、頬には涙が流れた跡が乾ききっていなかった。
その瞳は焦点を結ばず、どこか遠くを彷徨っていた。
「宗田……さん? 何が起きてるんですか……」
唇を震わせると、焼かれたような声が喉の奥からこぼれた。
その言葉に眉が寄り、かすかに唇が揺れた。
「……それは」
視線が揺れ、開いた口が固く閉ざされてしまう。
「宗田さん?」
再び名前を呼ばれると、口元が微かに震える。
「聞いて欲しい――ゾンビ……ゾンビに人が襲われていたんだ」
宗田がそう言うと、唯の目が見開かれ、瞬きを忘れたまま固まった。
「冗談……ですよね?」
目を閉じ、ゆっくりと首を横に振る。
開いた唇がかすかに揺れ、視線が何処にも定まらない。
「本当だよ」
「嘘です! 嘘だと言ってください」
唯の声が裏返り、激しく首を横に振る。
「そうだ、テレビ、テレビで何か――あれ?」
震える指先で机の上からリモコンを取り、何度も赤い電源ボタンを押すが、画面は沈黙したまま二人の影を映しているだけだった。
「嘘! なんでっ! なんでつかないの!」
「ス、スマホは――!」
掴んだスマホから力が抜け、コトリと乾いた音を立てて床に転がった。
「落ち着いて!」
宗田が声を張り上げると、唯の動きが一瞬止まった。
だが、その瞳は焦点が定まらず、涙が頬を伝い続けていた。
「分からない……俺にも分からないんだよっ!」
無理やり絞り出した声が、空気を叩くように響いた。
「その、ごめん」
切れかかった心の糸をどうにか繋ぎとめ、目を伏せて頭を下げた。
「私こそ……っ、その……ごめんなさい」
涙で焼けた声が、かすかに震えた。
宗田は小さく息を呑み、震える肩にそっと視線を落とした。
「テレビもスマホもだめ……か。電気は――」
縫い付けられた足を無理やり引き剥がし、家中の電気をつける。
「どうでした……?」
戻って来た宗田に、唯はまだ少し揺れる声でそう言った。
「だめだった……理由は分からないけど、全部使えない」
その言葉を聞いて唯の視線が落ちた。
かすかに震える手を差し出すと、宗田は彼女の優しく包み込む。
「大丈夫、大丈夫だから。俺が神崎さんを――命に代えても守るから」
窓を開ける事のできない状況で、熱気を帯びた空気が肌にまとわりつく。だが、唯の指先は氷のように冷たく力がなかった。
「――嫌です」
「え?」
さっきまでの力がない声でなく、はっきりとその言葉が耳に届いた。瞼が微かに開くと、唯の事を見つめた。
「命に変えたら私を守れません。だから……宗田さんは死なないでください」
強く、真っ直ぐに唯から放たれた言葉に、胸の奥から突き上げるような熱が込み上げ、頬がじわりと熱を帯びた。
「その……なんと言うか……ありがとう」
そっと視線を横にずらすと、指先で頬をかく。励まそうとしたが、逆に励まされてしまって、顔が熱く唯をまっすぐ見ることができなかった。
「量産型日本人かもしれないけどさ。何とか二人で――生きよう」
今度は視線を逸らさない。交わった目の奥に、言葉より確かな決意が宿っていた。
彼女の口元が柔らかく揺れると、小さく頷きが返って来た。
「さてと……これからどうするかだけど……」
宗田は言葉に詰まる。
「そうですね……あ、魔王って言うくらいだから魔法とかあったりして。なんてね」
「魔法か――”火よ”、ってか」
その光景に、二人は息を吞んだ。薄暗い部屋を照らす小さな光、それが俺の指先から”出現”した。
――嘘だろ。
「なっ! これ、どうなってるんだ?」
声が震える。
「それ、手品じゃないですよね?」
「当たり前だろ? ローソクとかマッチをイメージしたら出たんだ。――イメージは”ローソクの火”、出よ、って感じで」
ゆらゆらと風に揺られる旗のように、人差し指から現れた火が闇を溶かしていた。
「でもさ。どうやって止めるんだ?」
すると突然、目を押さえつけられたかのように重くなり、どさりと重い物が落ちたような音が空気を揺らした。
「――宗田さんっ!」
彼女の悲鳴が耳の奥を揺らしたが、自分の意識とは無関係に視界が闇に包まれた。




