第一章 6
2026年2月3日 改稿
「――っ!」
心臓を直接掴まれたような衝撃で、肺から空気が弾け飛んだ。飛び起きた拍子に視界が火花を散らす。泥のように重い右手を胸に押し当てた。
……拍動はある。だが、そこにあったはずの『熱』が、冷え切った脂汗に上書きされていた。
視界の隅に、人形のように倒れた唯の姿が映った。
「神崎さん!」
思わず声が上ずる。
「……良かった」
胸がかすかに上下している。
それだけで膝が抜けそうになった。
「それにしても……昨日の”あれ”は何だったのか? そう言えば胸の違和感が――」
宗田は胸にふれたが、昨日のように熱を帯びた感じがしなかった。
「んっ……」
唯が寝返りをうつ。額に汗をかき、少し息苦しそうだった。
「神崎さん、起きて」
唯の肩をそっと揺らす。
「宗……田さん? って、あれ? 私……寝てた?」
飛び起きた彼女は、きょろきょろと辺りを見回す。
「昨日の事……覚えてる?」
「え……昨日……」
口元に手を当てたまま、力が抜けたように膝をつき、そのまま崩れ落ちた。
「神崎さん、大丈夫!」
近くに駆け寄り、やさしく背中を撫でた。
「おぇ……昨日、私……胸が痛くなったと思ったら、苦しくて――その」
「大丈夫だから――落ち着いて」
唯は胸元を押さえたまま、震える指先をぎゅっと握りしめる。
「……怖かった……ほんとに、死ぬかと思って……」
かすれた声が漏れた。涙が一粒、頬を伝って床へと落ちる。
その表情には、昨夜の苦しみがまだ色濃く残っていた。
「もう大丈夫だから」
優しく手を包むと、揺れる視線をそっと受け止めた。
「……もう大丈夫です。ありがとう」
そう言った唯だったが、血の気の引いた顔は無理を隠しきれていなかった。
覚束ない足取りで唯が立ち上がろうとするが、そのまま倒れそうになる。
宗田は、唯を抱きしめるように支えると、その場にゆっくり座らせた。
「まだ、無理しなくていいよ」
「でも……」
言葉が続かず、唯は視線を落とした。
息を途切れさせ嗚咽を漏らす彼女の手を、宗田は優しく包む。
包み込んだ彼女の指先からは、熱が吸い出されたあとのような、無機質な冷たさが伝わってきた。指先が彼女の細い手首に沈む。骨の感触が近すぎる。昨夜の地獄が、彼女の肉を内側から削り取ったかのようだった。
助けたいのに、宗田は言葉を探すように唇を噛んだ。
――やめろっ!
外から耳を塞ぎたくなるような叫びが聞こえた。
「なに! なんなの!」
唯の口から悲鳴のように声が漏れ、両手で耳を閉ざした。
宗田が窓の方へと振り向き、慌てて近づいた。
光を遮るカーテンの端を震える指先で摘み、広げると闇を溶かす光が部屋に差し込んだ。
薄っすらと瞼を開け、外を覗き込むと逃げ惑う一人の男に複数の”人間らしきもの”が群がっていた。
「やめろ! 来るな…………あぁ、痛い――痛いっっ!」
耳にその叫びが割れた瞬間、理解より先に床に足を縫い付けられたかのように動けなくなった。
続けて、ひときわ大きな叫びが湿った空気を震わせる。
鼓膜の奥がぎゅっと縮み、視界が大きく揺れた。
膝の力が抜けると床に尻から着地する。吸い込んだ息を吐き出され、ぬるりとした汗が額に滲み出た。
「なん……なんだよ……」
漏れた声が、沈んだ空気に溶けて消えた。
床に貼り付けられたように、宗田は揺れるカーテンを掠れた目で見つめるしかなかった。
「やだよ……怖い」
唯の細い悲鳴が耳の奥に届き、石のように固まった指先を揺らした。
「神……崎さん」
彼女の名前を呼ぶ声は、自分でも驚くほど弱い声だった。
磁石のように床に吸い付き、足に込めた力は何処かに逃げて行った。
「……大丈夫だ……から」
唯に声をかけようと口を開いたが、その声は空気に混ざり、すぐに消えてしまいそうだった。




