第一章 4
2026年2月2日 改稿
部屋に入った瞬間、こもった熱が肌にまとわりついた。
外よりも一段重く沈んだ空気が喉に絡み、息がわずかに詰まる。
「お邪魔します」と息を漏らすように言い、唯は宗田の背中を追った。
廊下の奥の扉を開けると、薄暗い部屋にベッドと机が影のように沈んでいた。
唯は一歩だけ足をとめ、それから小さく息を吸って中へ踏み込んだ。
「適当に座ってていいよ」
宗田は空気を和らげるように静かに言った。
唯は指先をそっと握り1め、落ち着かない様子で視線を揺らす。
やがて息を整えるようにして、近くのクッションの端に腰を下ろした。
「神崎さん、少しは落ち着いた?」
宗田は柔らかい声でそう言った。
コトリ、とコップが机に触れる音が、静かな部屋へと溶けた。
「はい……少しだけ」
声に力はないが、青ざめていた頬にわずかに色が戻っている。
さっきよりはマシ、と言った所だろうか。唯は口に含んだ麦茶を喉の奥へとゆっくり流し込んだ。
「それで……さっきの事だけど――」
すると唯の肩がピクリと跳ねた。
宗田は言い切る前に、そっと口を閉じた。
「あの……大丈夫です」
唯は指をせわしなく動かし、目が泳ぐ。
宗田はその様子を見て、言いかけた言葉を飲み込んだ。
短く息を吐き、もう一度口を開いた。
「さっきの変な声……どう思う?」
「何かのやらせと思いたいですが……そうは思えないです」
宗田は軽くうなずいた。
コップを持つ手を止め、話を続ける。
「――テレパシー。そんな超能力でも使わない限りあんな事できない」
「それに、店の外に出ても声に関しての会話が聞こえた」
店を出た瞬間から、通りを行き交う人々のざわつきは“あの声”の話題で埋め尽くされていた。
ドッキリの類ならまだ救いがあるが――これだけ多くの人が同じ声を聞いたとなれば、その可能性はほとんど消える。
「だからやっぱり――そう言う事だと思う」
「そう……ですよね」
その言葉に唯のまばたきが止まった。
「それと、気の所為かもしれないけどさ……胸の奥が熱いと言うか、チクチクすると言うか、おかしい気がするんだよね」
宗田がそう言うと、唯の目が大きく開いた。
「それ――私もです」
唯の声は微かに震えていた。胸の奥を刺すような熱さは、宗田と同じものらしい。だが今のところ、二人の体にそれ以上の異変は見当たらない。
「一度、情報を集めてみようか」
唯は頷く。
リモコンを手に取る指先がわずかに震えながら、テレビのスイッチを入れる。
画面がパッと明るくなり、目に飛び込んで来たのは「謎の声! テロか!」と言う赤いテロップだった。
チャンネルを変えても、どの局も同じ話題でざわついている。
――あの瞬間、全国で同じ”声”が聞こえたらしい。
「宗田さん! これ、見てください!」
興奮の混じった唯の声に振り向くと、唯がスマホの画面を差し出してくる。
”#謎の声”、”#胸が熱い”、”#世界終末”と言った不穏なワードが目に飛び込んで来た。
ネット界隈もお祭り騒ぎ。その中で特に目を引いた部分は、胸の熱さを感じる人と感じない人が居るとの事。
「みんなビビり過ぎ。胸が熱いとかきのせーだから。俺は平気だし」
「どっかの国の極秘兵器じゃね? 魔王とか厨二じゃんかww」
「胸がチクチクするとか、もう死亡フラグでしょ。乙」
スクロールする唯の指先が落ち着きなく動く。肩が浅い呼吸に合わせて上下する。
「神崎さん、もう無理しなくていいよ」
宗田は唯の目を真っ直ぐ見て、ゆっくりと首を振る。
唯のスマホを握る力が弱まると、そっと手を重ね膝の上に下げる。
「これから……どうしたらいいんでしょうか?」
眉じりが下がり語尾が消え入りそうな声でそう言った。
——今宵日付が変わる時それは始まる。
宗田が口を開く。
「魔王が言うには日付が切り替わる頃に始まると言ってたよね」
落ち着かない視線で時計をちらりと見た。
「そう……ですね」
唯は膝の上で指を絡め、ほどいて、また絡める。
「なら、その時間まで一緒にいるのはどう? 仮に何もなければ解散で、もしもの時でも――一緒に居たら少しは安心でしょ?」
宗田の声は静かだが、わずかだが緊張が滲んでいた。
「でも、迷惑じゃないですか?」
唯は視線を落とし、言葉の端が震える。
「全然。むしろ、俺としても一緒に居てくれた方が助かる。平然としてるように見えるけど、一人で居る方がおかしくなりそう」
そう言いながら、宗田は苦笑し、額に手を当てた。
「……それなら、お言葉に甘えさせてもらいます」
「一応、食料とかは買い込んでおこうかな。神崎さんも必要な物を家から持ってきなよ」
「御意です」
唯の口元に、緊張の中でもわずかに笑みが浮かんだ。
それを見て、宗田の表情も少しだけ緩む。




