お泊り
不思議な色をしていた。男の声にも、女の声にも、はたまた年寄りの声にも聞こえる。いろいろな色を混ぜ合わせ、キャンバスへと殴り描いた絵のようにごちゃごちゃで、だけど一つの作品として成り立っている完成品のよう。
その声の持ち主は、
——我は魔王
と名乗った。
突然の出来事に理解するのに時間がかかった。神崎さんも、えっ? と呟いてきょとんとした様子である。俺と目が合うと、数度まばたきをして首をかしげる。
そして、魔王は自分の言葉が浸透したの確認し終えたかのように、時間を置いてから次の言葉を語りだした。
——この世界を掌握した。
掌握と言われてもピンと来ない。魔王は世界を征服したとは言わなかった。
——今宵日付が変わる時それは始まる。
——人類と我の戦争だ。
——さあ、殺し合おう。
——我は富士の山で待っている。
戦争に殺し合い……唐突に宣戦布告された。店内は静まり返り、まるで閉店時間が迫ったような雰囲気を醸し出している。ぐるりと首を動かし、周囲を確認すると客も店員も時が止まったかのように、動きを止めていた。
顔を元の位置に戻すと、さっきの出来事について考える。魔王と名乗った声の主はどうやって声を届けたのだろうか。現代の科学を集結しても、今のように大勢の人間に言葉を伝えるのは不可能だ。しかも、聞こえたと言うよりは頭に直接入ってくるような感覚。なおさらそう言った話を聞いた時がない。俺はテレパシーと言う言葉が真っ先に思い浮かぶ。
仮に、これがテレパシーと言った超能力の類だったとしよう。普通の人間にも、現代科学を利用しても、再現は不可能だ。と言うことは、”魔王”と名乗ったのは妄言ではなく真実と言うことになる。なら、戦争も……?
そう思った時、神崎さんに声をかけられた。
「今の……なんだったんですかね?」
神崎さんの表情には不安の色が浮かんでいた。顔色も血の気が引いたように青白く、体を縮こまらせていた。
「俺も分からない……」
そう答えると、ますます体を縮こまらせてしまう。
「神崎さん、大丈夫?」
あまりにも怯えた様子の彼女が心配になりそう言うと、首を縦に振って頷きを返してくる。
「戦争って言ってましたよね?」
「そうだな……魔王と名乗った奴はそう言ってたな」
ちょうどそれについて考えようとしていた所だった。恐らくだが、魔王は本当に人類と戦争をするつもりなのだろう。理由は……特にない。しいて言えば、感と、普通の人間には不可能な事を行った事だろうか?
悪戯として考える事もできるが、テレパシーのような芸当が出来るのなら、是非そうした人を見てみたい。だから、普通ではあり得ないことをしている時点で悪戯の可能性もなくなる。全て魔王は本気で言ってるのではないか、と、捉えるしかないのだ。
「本当に戦争……になるんでしょうか……ね?」
まだ、俺とて状況を完全に把握しきれていない。突然、ゲームのラスボス的存在が現れて、喧嘩をふっかけてきたんだ。半信半疑と言うのが正直な所。だけど、半疑の部分に関しては戦争が始まる、殺し合いが始まる、と言うことを信じたくないと言うの本音である。
神崎さんに何て答えるか考えるが、上手い解答がみつからなかった。戦争になるか、ならないかで言えば、
「戦争になる可能性は……おおいにあると思う」
神崎さんは唇をきゅっときつく結と、俯いてしまった。願わくば、これがドッキリの類であって欲しかったが、テロップを持った人間はいつまでも現れず、種明かしをしてくれない。重たい空気が俺達の座っている座席を覆った。
言葉が見つからず、互いに無言のまま時間が過ぎる。しだいに、店内は音が戻ったかのように賑わいを見せ始めた。
せわしなく動いている、メニューを取る店員を横目に、
「とりあえず店を出ようか」
そう問いかけた。このままここに居ても状況が改善されるとは思わなかったのだ。神崎さんは、「はい……」と元気なく答えると、伝票を持って立ち上がった。
「宗田さん、あの……お金?」
「いいよ。今日はご飯に誘ってくれたお礼に奢ってあげる」
「でも……」
なかなか食い下がってくれない神崎さんを強引に丸め込むと、会計を済ませて外へと出た。出迎えてくれた太陽は変わらず、地表を焼き尽くさんとばかりに輝きを放っていた。だけど、家から出た時に感じた鬱陶しさのようなものは感じず、むしろ憂いを帯びた心を照らし、少しだけ気分が晴れた気がした。そして、そのまま駅へと向かう。彼女を送るためだ。
道中、会話を一度もしないまま、五分程の道のりは終わりを迎える。閉ざされた口を開くには勇気と時間が足りなかった。こうして、「気をつけてね」と言葉を発すれば、神崎さんとの初めての食事は終わりを迎え、家に戻ればまた一人ぼっちとなる。それに、ここで彼女と別れてはいけない気がしたのだ。理由は……特にない。勘というか、そんな感じの予感がするのだ。
ならばと、覚悟を決めた――
「——あー、俺の家すぐそこだからとりあえず来ない?」
振り返り、俯く彼女に向かって声をかける。すると、ゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐに見つめ返してきた。大きく見開かれた瞳には、驚きと困惑、が浮かんでいる。
他意はない。ただ、ここで別れれば今生の別れとなる気がしたのだ。
返事を待っている間、気まずく、彼女から視線を外し遠くを見た。その瞬間、クルゥと駅に集まった鳩がちょうど飛び上がる。羽ばたく音に驚き体が強張った。雲一つない空へと飛び上がった、鳩は瞬く間に点となり視界から消えてしまう。
すると、彼女がようやく口を開いた。
「——いいんですか?」
少しだけ緊張した面もちをする彼女に、あまり気を使わせないようにと、普段通りに話しをする。
「なんもない部屋でいいならね。さっきの事ともあるし少し落ちついて話そうか。あ、もちろん他意はないからね」
と、話して思ったのが少し饒舌だったかもしれない。むしろ、緊張しているのは彼女ではなく俺の方だったのだろうか? 早口だったと思う、それに、声も上擦っていたと思う。神崎さんに緊張しているのはばれているだろう。
「ふふっ。分かってますよ。それじゃ、遠慮なくお邪魔しますね」
だけど、逆に良かったかもしれない。暗くふさぎ込んでいた神崎さんがようやく笑ってくれた。こうして、家に来ると言うことが決まり、俺達は駅とは反対に足を向けて再び歩きだした。
「ここが宗田さんの家なんですねっ。なるほどー……ふむふむ。では、お邪魔します」
玄関前に到着するやいなや、彼女は至る所を見ている。気になる所でもあったのだろうか? 至って普通のアパートだと思うのだが……。恐る恐る部屋の鍵を開け、彼女を中へと招き入れる。
「お邪魔しまーすっ」
中へと入った彼女はまたキョロキョロと落ち着きがない。見られて困るものは……ない。全てスマホとパソコンの中だ。なら、いくら見られてもいいが、変な所があるなら教えて欲しいものだ。
と、飲み物ださないとな。
「麦茶入れてくるから、その辺に座って待っててもらっていい?」
「あっ、はい。おかまいなく」
テーブルの横にあったクッションへと神崎さんは腰を下ろした。1kの部屋にはテーブルとテレビ。ある物と言えばゲーム機くらい。必要最低限の者しか置いていないため寂しい部屋である。
たけど、なんだか彼女の様子がおかしい。
「どうぞ。ってか暑いなー。少し冷えるまで我慢してね」
麦茶の入ったコップを机に置く。
「あっ、は、はい。大丈夫です。麦茶あ、ありがとうございます」
するとなぜか、体がビクリと反応した。
「はは、何をそんなに緊張してるんだ?」
と、ふざけて言ってみると。
「初めて男の人の部屋に来たから……」
照れながらそう返して来る。だから、あんなに落ち着きなくいろいろと見ていたのだろうか? 初めは興味本位、いざ中へと入ってみたら緊張してしまったと言うやつだな。
てか、驚いた。神崎さんは俺らの職場のアイドルと言われている。身内補正のようなものを抜きにしても素直に可愛い。最近分かったのは、職場での彼女は人なつっこくて、誰にでも優しく接してくれるが、たまに見せる素の彼女は無邪気で少し子どもらしい部分があった。ファミレスでの間接キスが良い例である。少し意地っ張りで恥ずかしがり屋な部分も彼女の魅力の一つだ。
そんな、魅力溢れる彼女ならお付き合いの一度や二度あってもおかしくない。だけど、この感じはそう言った経験がないのかもしれないと思う。
緊張して上手く話せない神崎さんは、ちまちまと麦茶を飲んでいた。ここは先輩として、俺が人肌脱がなければと声をかけることにする。
「とりあえず落ち着いて良かったよ。本当に、もう大丈夫そう?」
「はい……。一応は落ち着きました。気を使わせてしまったみたいですいません」
謝罪を述べてくる。
「いや、あれは俺も驚いたからね。なんだろう? 何かの撮影だったのかな?」
「本当にそう思っていますか? 宗田さんは……」
気を使ったつもりが、逆効果だっただろうか。再び俯いてしまう。
「正直、分からないかな。何かのテレビの撮影にしてはカメラマンも見えなかったし、店の外もちらっと見たけれど、辺りをキョロキョロと見ていた人もいた」
彼女がまた落ち込むかもしれないが腹をくくって正直に答える事にした。
「恐らく、店の外の人にも聞こえていたはず……となると、そう言ったのは考えにくいのかな、っては思ってるよ」
俯き話を聞いていた神崎さんは、俺が話を終えるとゆっくりと顔を上げる。
「私も最初は悪戯かと思いました……だけど、あの声、聞こえたと言うよりは頭に直接入ってくるような感じで……。それに、聞こえてるのが私だけじゃないと分かった時、ぞっとしました」
テーブルに置いてあるコップを両手で握る彼女の手は、小さく震えている。
「今もまだ怖くて……だから、宗田さんがそばにいてくれて良かったです。だから……あの……その……」
彼女がしどろもどろ、何か言いにくそうにしている。
「どうしたの?」
と、声をかけるが中々返事が返ってこない。よく見ると耳が真っ赤になっていた。風邪か何かか? 体調でも悪いのかと心配になったが、彼女の次の言葉に、その考えは間違いだと言うことに気づく事になる――
「――今日泊まってもいいですか?」