終わりは唐突に
太陽が地表を焼き、肌を焦がす、灼熱の陽気の中、歩いて向かう俺の頬を汗が伝う。寝る前に見た天気予報では四十度を越えるとの事だったが、その予想は的中したようだ。
暑い……。いや、それすら生ぬるい灼熱の中を待ち合わせの駅へと向かって十五分ほど歩いている。
「あっつー。こんな事なら車で行けば良かった」
駅はそこまで離れている訳じゃないと、散歩ついでに歩いて行くかと思ったのが大間違い。完全に舐めていた。雲一つない空を恨めしく睨むが、自分の目が潰されると言う報復にあってしまう。
「くそー。太陽め……いや、まあ、俺が悪いんだけどさ」
太陽に喧嘩を売った所で何も変わらない。むしろ、彼も迷惑に思っているだろう。まぁ、俺も最近運動不足だ。仕事以外はゲーム、ゲーム、ゲーム。少しでも解消するための運動と思う事にしよう。今年で二十七歳を向かえる俺にとって、少しでも体を動かす事が必要である。
「ふぅ、ようやく駅に着いた。さて、神崎さんは何処だろうか」
休日と言う事もあり、駅の前は普段より人が多い。家族連れやカップル、その他大勢の人で賑わいを見せていた。探し人は何処にいるのだろうかと、キョロキョロと周囲を確認していると、
「あっ、宗田さん」
向こうから見つけてくれた。白を基調とした花柄の半袖のワンピース。小さい手提げバックを両手で持ち小走りで向かってくる彼女はまるで小動物のよう。仕事では見られない彼女の私服姿に少しだけ、胸が高鳴った。
「今日は突然のお誘いすいません」
「ちょうど俺も暇してたから大丈夫だよ」
彼女はぺこりと頭を下げる。
「それにしても今日は暑いですね。四十度を超えるらしいですよ」
いつもはまとめている髪は、今日は下に降ろしていた。肩よりも少し長く、ウェーブがかった髪と白いワンピースが合わさり、清楚で何処かのお嬢様のようである。そんな彼女は、顔をパタパタと手で扇ぎ少しでも暑さを和らげようとしていたが、頬が少し赤くあまり意味をなしていないようだった。
「んっ? どうしたんですか?」
「あ、えっっと、なんでもないよ。しかし、本当に暑いな。駅の温度計も三十九度だってさ」
「わっ! 本当ですね! こんなに暑いと溶けちゃうよ~」
くっきり二重瞼に長い睫毛、目鼻立ちも整っており普段でも魅力的。更に初めて見たプライベートの彼女が可愛すぎて見とれてしまっていた。
呆然と黙って見つめていると、神崎さんは不思議に思ったらしいのだ。ここで、「見とれてました」なんて言える訳もなく、むりやり話題を変えた。
「そうだな。神崎さんは暑いとスライムみたいになるもんな。さ、そろそろ移動しようか」
「スライムって……そうなったら、宗田さんの事を中に取り込んで食べちゃいますからねっ」
彼女をからかうと「もう」と言って俺の後ろをついてきた。
そして、駅から歩いて五分ほどの距離にある目的地「ドンキードンキー」に到着した。ここは、全国に展開するファミレスだ。値段もリーズナブルと言うこともあり、人気も高い。
「並ばないで入れて良かったですね」
「本当だな。少し早いから空いていたんだろうね」
今日は土曜日、世間は学校も会社も休みだ。混んでいるかと思ったが、お昼時よりは少し早かったせいか、ちらほらと席が開いていた。すんなりと中へ案内されると、四人用のテーブルに向かい合うように座った。
「ぷっはぁー。水うめー」
「ふふっ、そんなに喉が渇いてたんですね」
コップに注がれた水を一気に飲み干した。それを見て、笑みを浮かべる彼女も両手でコップを持ち、ちまちまと飲んでいる。
「やっと暑さが引いてきましたね」
エアコンで冷やされた室内に、シックで落ち着く雰囲気があいまって、火照った体は徐々に冷やされていく。
「ほんと、天国だわ。神崎さんはスライムにならなくて良かったね」
「私がスライムになった時は、宗田さんはご飯ですからね~」
「おー、怖い怖い。お腹を空かせたスライム人間が暴れる前に、注文しないとな」
「もう、スライム、スライムって、本当に食べちゃいますよ。がおーっ! って、これ美味しそう!」
そう言って彼女は指をさした。
その先にあったのは、
『期間限定 マグマバーグディッシュ
お好みの辛さをお選びください。
※最高レベルをお頼みのお客様へご注意→どうなっても知りませんからね!』
ええ……。これはちょっと、いや確かに美味しそう? なんだけど……神崎さんは辛いの好きなのかな? メニュー表に写ったハンバーグの写真を見ると、真ん中から半分に割って中を見せるように撮られていた。割られた部分からはチーズが溶け出すかのように赤い液体が流れ出ている。しかもだ! 唐辛子がトッピングされてるうえに、肉も赤い。赤、赤、赤、をふんだんに使用したハンバーグである。まさか……レベルは。
「んー、どうしよう。最高レベルでいいかなっ。宗田さんは決まりました?」
最高レベル……なんだね。まぁ、俺は普通のハンバーグにしよう。冒険するような事はしないぞ。
「俺はこの『チーズチーズチーズバーグ』にしようかな」
ハンバーグにはチーズが最高って決まってるよな。
「どれどれー……凄いチーズ……ですね。ハンバーグは何処に言ったんでしょう?」
少し引き気味の彼女は、俺のハンバーグの写真を見て胃の部分を撫でていた。美味しそうだろ? チーズ好きなんだよね。ただ、その顔はいただけないなー。神崎さんのハンバーグよりは全然普通だし。主食を選び終えた俺達は、食後のデザートを選び、店員を呼ぶ事にした。
「マグマバーグディッシュ、辛さ……極楽浄土……えっ! えぇっ! お客様、本当に大丈夫ですか?」
神崎さんが注文すると、女性の店員は目を見開き驚いていた。
「はい、大丈夫です」
だけど、神崎さんは意に返した様子もなく注文する。
「か、かしこまりました……」
一通り注文を読み上げた店員は、厨房に戻っていく。
「はぁっ! 極楽浄土! マジかよっ! このメニューを出して初めてじゃないか? おい! 野郎ども手袋とゴーグル、後はマスクを着用しろ!」
めちゃくちゃ気合い入ってるな……。手袋にゴーグルとマスク。そんな危険なものなのか?
「楽しみですねー」
と、彼女はそんな事も気にした様子もなく笑顔を見せている。
「ああ、そうだな……辛いの好きなの?」
「好きですよっ! 流石にあんまり辛すぎるのはだめですけどね」
辛いのは好き、でも辛すぎるのはダメ。だけど、注文したのは……。矛盾が多い彼女の発言に突っ込みを入れたくなる。まあ、基準は人それぞれだもんな。
「そうか……体……大切にしろよ」
「もちろんですよ。野菜ももりもり食べます」
野菜とか、そう言った問題じゃないと思うんだが。今のところ、本人は元気そうだし大丈夫だろう。
「そう言えば、あの事件は落ち着いたんですかね?」
すると、神崎さんが最近起きた大事件——いや、天災の話を始めた。
「事件って、富士山への隕石の奴?」
「そうです。今も救助が続いているとの事ですが、皆無事だといいんですけど……」
世間は大事件の真っ只中である。一ヶ月前に隕石の衝突があった。しかも、ちょうどその隕石は日本の象徴たる富士山へと激突したのだ。
その被害は甚大で、富士山の美しい姿は見る影もなく破壊された。周囲に住む住民の生存は絶望的。ドクドクと流れ出る溶岩が周囲の街を飲み込み、小規模な噴火を何回も繰り返していた。今も救助隊が近づけず、大勢の人が取り残されているとの話だ。
「そうだな……テレビでは政府を攻める報道ばっかりだけど、正直宇宙からの災害はどうしようもないよね」
俺の住む地域は富士山とは遠く離れているため被害はない。しいて言えば黒い雨が降ってニュースになったくらい。専門家の話によると火山灰が雨に混ざったとか。水道水が一時期使えなくなったり、物流が停滞したりと少しの影響はあったが被災地に比べれば遥かにマシである。ハンバーグが届くまでの間、雑談をしていると数分して店員がやってくる。
「——お、お待たせしました!」
注文したハンバーグが届いたのだが……その恰好は何? ゴーグルにマスク、そして手袋。しまいには頭をすっぽり覆う帽子まで被っていた。俺達はこのままで大丈夫なの? テーブルに注文の品を乗せていく。最後に神崎さんの頼んだハンバーグを置いたのだが、滅茶苦茶手が震えていた。
「ごゆっくり……どうぞ」
なんか、店員さん疲れきってないか? なんか、すんません。心で謝罪をしといた。かく言う神崎さんは、目を燦々と輝かせハンバーグを見ている。
「わぁっ! 美味しそう」
ぐつぐつと煮える赤いソースは本当にマグマのように見える。
「早く食べましょう! いただきます!」
待ちきれんと言わんばかりに食べ始めた。割れたハンバーグのかけらはまるで溶けて固まった溶岩。たっぷりと赤い液体をつけて口に頬張った。
「んーーーーーーっ!」
「だ、大丈夫かっ!」
「熱かったよー! やけどしちゃった」
俺の心配はどうやら杞憂だったようだ。下をペロリと出して片目をつぶる。開いている方の目には涙が溜まっていた。
「さいですかー」
そんなやる気のない返事を返すと俺も一口食べる。あー、チーズ旨い。濃厚。至高。最高。
「ねぇねぇ、宗田さん……あの、その……」
何か言いずらそうにしている彼女。
「どうしたの?」
そう尋ねると悪魔の一言が返って来た。
「少しだけ交換しましょう……ダメ……ですか」
――ダメだっ!
「あ……いいよ」
心の声とは反対の言葉が出てしまった。どうしていいって言ったんだよ、せめて、自分は貰わないで上げるとか他に方法があっただろうに! 心で自分を罵った。
そんな俺の気持ちなんて、知ってか知らずか、やったーと喜ぶ唯。
彼女から、ハンバーグを一口貰う。
——はぁはぁはぁっ
自然と息遣いが荒くなるのを感じる。
怖い――食べるのが。
ハンバーグを持つ手が小刻みに震え、嫌な汗が頬を伝い太ももへと落ちた。
「あれ? 食べないんですか?」
俺が目の前の強敵とにらみ合いを続けていると、神崎さんは追い打ちをかけるかのようにそう言ってきた。
「え、あっ、いや……食べるよ」
これを食べていた彼女は特に変わった様子もない。もしかして、辛くないんじゃなか? と思えてきた。もしかしたら、店員さんもわざとそう言う演出してるんじゃないか? いけるっ! 俺はいけるぞっ! 勇気振り絞って口に含む。
「――かはっ!」
口に含んだ瞬間は、おっ、いけるじゃんなんて思った俺がバカだった。口の中を針でチクチク刺されているようだったが、噛めば噛むほど辛みが増していく。まるで熱々の鉄板を口の中に押し込められたような、焼かれるような痛みがする。
「み、水ぅっっ!」
急ぎ口の中を冷やし辛さが引いたように思えた。だけど、すぐにぶり返し口の中を更に焦がす。氷を口に含みコロコロと転がして冷やすが、一向に収まる気配がなかった。
「宗田さんは辛いの苦手なんですね」
神崎さんは頬に左の手の平を当て幸せそうな表情を浮かべている。あれは辛いを超越しているぞ。得意とか苦手とかの問題じゃないって! 時間が経って、少し辛みが引いてきた。
「あれ? 宗田さん食べないですか?」
「食べるよ。てか、辛すぎでしょ。よく、平気だね」
「そうですか? 辛いですけど、もう少し辛くてもいいですねっ」
どうにか自分のハンバーグを食べ終え、デザートへと辿り着く。
「デザートは神っ! んーっ! 美味しいっ!」
パフェを食べている神崎さんは上機嫌である。
「ふっふーん。美味しいなー」
パクパク、モグモグと口を動かす彼女の姿は、以前動画で見たモルモットの食事風景に似ていて、どこか愛くるしい。俺も口へと運ぶ。
「旨いな……」
「ですよねっ! 早く食べないと宗田さんのも食べちゃいますよ。ぐへへっ……」
会社でも人当たりがよく、誰にでも優しい。それに妙に俺に懐いてる。その姿は子犬のようで、何処かほっとけない感じがするのだ。
こうしてお互いふざけあって比較的仲は良好だと思う。俺が塞ぎ込んでいた時にも助けてくれたし、こうして会話してるのが本当に楽しく感じられた。
「あー、お腹いっぱい」
「だらしないな。そうやってお腹をさすらないの」
神崎さんは、ソファーの背もたれに倒れるとお腹をさすって、アピールしてくる。
「仕方ないじゃないですか。こんなに美味しいご飯を出してくるこのお店が悪いんです。罪です。と言うことは罪には罰が必要ですね。なので、宗田さんのパフェをください!」
「今お腹いっぱいって言ったろ? ……たく、少しだけだぞ——って、おいっ!」
パフェをぶんどると俺の使ったスプーンで一口、口に入れる。
「あーっ! ほろ苦いけど美味しいっ!」
ご馳走様でしたと言いながらパフェを俺に返してくる。このまま食べたら間接キスになるんじゃ。パフェから神崎さんへと視線を移すとニヤニヤとした笑みを浮かべる姿が視線に入った。
確信犯かよ。だけど、たかが間接キス。そんなのに動じる訳ないだろ? 大人の余裕でパフェをすくい口に入れる。
するとみるみる、神崎さんの顔が赤くなった。なんとも甘ったるい空気が俺達の空間に漂い、少しだけ気まずい。
「あのさ……」
話題を変えようと、彼女に切り出した時だった。
——我は……
「宗田さん、今何か聞こえませんでした……?」
「神崎さんも?」
誰かの声がした。聞こえたのは俺達だけじゃなく、他の人も同様のようである。
——我は魔王
謎の声は魔王と名乗った。