第14話 とある深夜のレイさん視点だとさ
あ、危ねぇ。
危なかった。
その一言に尽きる。
危うく理性が崩壊するところだった。無意識なのか、あれで。
ベッドの上で、潤んだ瞳で、力なくすがられてよくも持ったなと我ながら思う。あれは、女の体だとはいえ、やばかった。馴れない寝巻のせいか、それともうなされているうちには肌蹴てしまったのか、銀色の月光の中に浮かび上がる鎖骨、やせすぎず肥りすぎていないほどよく情欲をそそる四肢。そして、抱きつかれた時に、大きく奈にもかかわらず確かな存在感を主張するマシュマロのような感触に、久しく感じてなかったあの欲望が芽を出す。布越しだっていうのに生々しい感触が手のひらにのこって今でも消えない。肩に軽く力をかけてベッドに押し倒してしまいそうになった手を彩月の背中に当てあやすようにぽんぽんと軽くたたいたのは、ごまかし半分だ。男としてあふれてくる欲求をこのままでは百合になると言い聞かせ、中途半端にあげた手のやり場をなくしてしまったのだとは、とてもじゃないが彩月には言えない。俺の理性よ、良くやったと正直誰かに褒めてほしい。
おいおい、昼間の警戒心はいったいどこに行っちまったんだよ。あの常時男性注意報発令中の様子なら間違いなんて、おこるまいなんて思っていた俺が甘かったのか。だが、気づいてしまった。必死になってつよぶって見せてただけなのだろう。
だけど、そんな邪な感情は、腕の中に感じた小さな震えの前では霧散してしまった。
「はい。地球の夢です。私が消えちゃう夢で、私がいたという証拠がどんどん消えて、私嫌で、怖くて」
地球に確かに住んでいた自分という存在が、消えてしまうという悪夢は、過去に俺も憶えがあった。俺のは、同じ境遇のやつが周りに二人もいたし、あの時は伊原という女を前に、かっこ悪いとこ見せちゃだめだとか守ってやらないととかそういう気持ちで、気を張り詰めてたから何とかなった。三人が、二人になった時、俺らは一緒に堕ちて行ったっけ。
今となれば淡く苦い―――青春の思い出なのかもしれない。
今の俺はあんなに真っ直ぐに離れないんじゃないか。
いつの間にか、腕の中の彩月は泣いていた。口に出したことで防波堤が決壊してしまったのか、嗚咽を漏らさずただひたすら透明なしずくを流す。女の涙は苦手だ。
何をすればいいのかわからない。どうしたら、泣き止んでくれるのかがよくわからない。触れたら壊れてしまうんじゃないか、そう感じさせるような脆さを涙に強く感じてしまう。
どうしようもなく涙に弱い。
泣き止んでほしくて、子供をあやすように背中をたたく。俺は、涙の止め方なんて知らない。
知っているけど、彩月の涙を止める方法を知らない。
好きな食べ物とか、聞いていたらよかったかもしれない。食べ物に注意をそらせば、涙の理由を忘れて笑ってくれるかもしれない。いや、この手が使えるのは、前世の側室の一人ジャスミンだけかもしれないが。
「私、ここにいていいですか? ここに、私の居場所はありますか? 私は、もう今まで通りに向こうで暮らせないんですか? なんで、こんな目に合わなきゃ……ひっく。なんで、私だったの……」
居場所。
居場所を失って、拠点を喪って、心のよりどころを亡くしたんだ。彼女は、今どうしようもなく孤独で不安定で、希薄なんだ。
強い後悔の念、だれに、何に、むけたらいいのかわからないどうしようもないやるせなさ、絶望感、悔しさ、悲しさ、寂しさがごちゃ混ぜになってもう抱えきれないほどに急速に成長した負の感情に振り回されている。
どうして。どうして。
同じような気持ちを抱いたことがあるなんて傲慢だ。俺は、あの時共感できる存在もつながりもあった。だが、彼女はどうだ? よくわからないまま、売られ、買われ、転生人なんてよくわからない人のと暮らすことになって、衣食住をとりあえず与えられても、たった一晩の気まぐれかもしれなくて。
王城で、待ち望まれてこの世界に来た俺と、同じはずがない。
彼女はこの世界で誰にも望まれていない可能性だってある。いや、違う。俺は心のどこかで望んでいたんじゃないか。
「俺は、お前がこの世界に来てくれて感謝しているんだ」
言葉にすることで分かることがある。俺は、ずっと求めてた。
急に地球とのつながりを断たれて知らない世界で歓迎されて、流されるがままに英雄になって、忙しさと快楽の中、いつの日か淡い郷愁の念さえ抱かなくなった。そ、なんっていうか、地球での生活の方が長い夢だったんじゃないかって今思い返せばすげぇ怖いことだけど、あの時はマジでそう思うこともあった。
(まぁ、それで伊原とああいう関係になったんだが……。)
「お前にとっては不幸な出来事かもしれないが、不謹慎だとわかっているが俺にとってはとても幸運な出来事なんだ。もう二度と向こうの世界とつながることができないと思っていたから、お前は……お前の存在は俺にとって救いなんだ」
俺は、ずっと……ずっと、この世界で、同じ世界を共有できる人を探していたのかもしれない。
レイチェルとして、第二の人生を手に入れて別の自分ってやつを手に入れたのに、俺はずっと、ずっと前世と変わらず同じものを探し求めてた。
カズも伊原も去っていった日から、たぶん探していた。なんて女々しいやつなんだ。「貴方って人は、本当にどうしようもない馬鹿ですねっ」と記憶の中で、在りし日のジャスミンの言葉がよみがえる。こんなんじゃあ、また怒られちまうな。
「救い?」
そう、俺は救われた。
凛としたその澄んだ音で紡がれた歌に、つながりを感じた。雪山の孤独な谷底にさす暖かな木漏れ日のようななにかを感じた。
もう一人ぼっちじゃないのだと感じた。彩月の首下に顔をうずめると、汗の匂いと洗剤の匂い、こちらのものではない空気の匂いがする。ぎゅつと、彩月がシャツをつかむ手に力がこもっている。
「あぁ、孤独を埋める救いだ。お前の歌を聴いたとき、俺がどれだけうれしかったかお前には想像もできないだろう。だが、俺はお前に救われた。お前が必要だ、彩月。だから、この世界に居てくれ。今度は俺にお前を救わせてくれ」
一人だったから、無くすものはなかった。だが、今からたぶん俺は無くしたくない者を増やす。一方的な押しつけだ。はた迷惑な申し出だ。相手の弱みに付け込んだ卑怯ななやり方だ。そんな言葉が、思考に過るが、構うものか。
俺は、俺の生きたいように生きる。その道を邪魔させるつもりはない。邪魔者は全力で排除するを心情に生きた。結局のところ生半可の奴に何を言われたって全然応えないんだよな。
「シャワーを浴びておいで。朝まで、あと数時間あるが、眠れないようなら異世界講義の続きでもするか?」
自分でも驚くほど穏やかな気持ちに成れたのは、安心したように抱き付いてくる体温の温かさに影響されたのかもしれない。
そうとうの悪夢だったことは、うなされている苦しそうな姿から容易に想像がついた。二度寝は無理そうだし、ここでの生活は結構毎日日曜日みたいな感じだから、昼寝すれば問題ないだろう。これで、夜寝れなかったら、悪循環か?
さて、何の授業にするかね?
そしてその夜、異世界口座をしていてわかったことなんだが、彩月は俺の想像以上に優秀な生徒だった。呑み込みが以上に早いというか、まぁノートを確認しながらだがちゃんと理解しているようだし、気になったところは質問してくれるので、何処がわからなかったのか教えるこっちも分かるので正直助かっている。
ただ、本人は何が気に食わないんだか知らないが異様にいぶかしげな顔をしていた。そのことを何気なしに次の日聞いてみると、どうやら「私ってこんなに物覚え良かったでしたっけ?」と、こちらが確認されても困ることを聞かれた。
彩月に貸したペンもノートもこちらの世界の物だが俺は特に間改造していない……と思う。インクがなくならない三色ボールペンもどきと、見た目に反してページ数がその10倍は軽く超える枚数が内蔵しているただのノートだのはずだ。
あれか、《キョウカ》の祝福のせいなのか?
俺は、祝福のことで彼女に実は嘘をついているというか真実を話していないことがある。祝福の内容を調べる手段はそんなに難しい事ではない。専用の魔道具を使えば、あっという間に解析出来てしまう優れものだ。まぁ、その魔道具を作るのはちと面倒だったんだがな。
「《強化》が、彩月にとってプラスに働くかマイナスに働くか」
それが、心配だ。祝福は、必ずしもプラスになるとは限らない。神が良かれと思って贈ったものであっても、おくられたものに必ずしもプラスに働くとは限らないのが現状だ。《予知》祝福を受けたあるものは、制御できない能力のせいで、死を選んだものがいる。己の死を予知してしまったせいで、その先、一生おびえたもの。あるいは、その死を回避しようとして国一つをまるまる掌握し滅ぼそうとした狂王もいた。そう、俺が前世で倒す羽目になった存在は祝福を贈られ、人生を狂わせたものだった。
出来ればこれ以上、彩月に厄介なことが起きないといいんだが。




