第10話 加護と祝福の講義だとさ②
「レイさん、祝福って何なんですか?」
「祝福は、神様の寵愛みたいなもんで同じ神からの者でも人によって祝福内容が異なることが特徴だ。恩寵って感じにとらえる人もいるな。女神カーヤの祝福を授かった人間は、500年に一度のペースだといわれているな。前回は、200年前だから今回は、異例ともいえるな。そういえば、祝福を与えられたことで騒ぎにならなかったのか?」
「その、なりそうでした。でも、神官さんがセネットさんのお知り合いだったようで、口止めしていただきました。少々、荒業だった気もしなくもありませんが」
妙に後半、歯切れが悪くなったがいったいセネットの奴は何をやったんだ。大騒ぎになっていたらさすがに俺の式が情報を伝えてきたはずだ。それが、なかったということはうまい具合にセネットがやったということだろうな。なんか、年々こういうのがあいつ得意になっていないだろうか?
昔から、姉弟子や兄弟子と俺が起こしたいろいろをうまい具合に隠蔽してくれていたもんな、あいつ。
「ふむ、それにしても異世界人を神は気に入るのか。いや、まだほかの神々の祝福とか加護を受けていないせいかな。なかなかに興味深いね。彩月、君はカーヤの祝福をいただいたのだったよね」
「はい。でも、そういわれても、いまいち実感がないんですけどね」
苦笑しながら、一番上のボタンをはずし髪の毛を払うと白い首筋にまるで吸血痕のように赤く浮かび上がった紋が顕になった。それは確かに、女神カーヤの祝福の六華六芒星の紅い紋があった。白い肌の上に浮かぶその印は、とても妖艶さを醸し出している。
自分では見えない位置ですよね、と困ったように笑うので、アイテムポーチから手鏡を取り出し、彼女に見せると、驚いたような困ったような戸惑いの表情を色濃く浮かべた。
今彼女が感じた複雑な感情は、多分俺が彼女の立場でも感じていたかもしれない。
「祝福の効果は、人それぞれ異なる。神が祝福を与える条件は解明されていないが、気に入ったとか興味を持ったといった感情みたいなもので決めるらしい。ふむ、その祝福の効果を調べるついでに、彩月自身の体の様子とかを調べていいか?」
祝福の効果がプラスに働くかマイナスに働くか、それさえわからない。神の祝福を受けるというのはかなりレアなものだから、そういうのをゲテモノ扱いして貴族が囲うといった現象が過去に幾度となく確認されている。
俺は、こいつにこの世界を知ってもらいたい。前世で俺が、平和とまではいかないがある程度の世の安寧と発展に力を尽くした世界だ。愛着のあるこの美しい世界を見てもらいたい。知ってもらいたい。そして、多分俺はほめてもらいたいのかもしれない。
我ながらなんて幼稚極まりない理由だろう。彩月は俺の母でもなければ姉でもないというのに。
「その、どういう意味で?」
「ん、ああ。彩月、お前は自分がどうやってこの世界に来たかわかるか?」
「いえ、気が付いたら草原に一人ぼっちでした」
「なら、、この世界に来る前の事とか憶えているのか?」
「えっと、直前の記憶ですよね? うぅん、私がしっかりと記憶しているのは電車に乗って大学に向かう途中だったといったことでしょうか。それさえも、完全に憶えているかといわれたら怪しいです。直前の記憶が、曖昧ですから」
こめかみをトントントンと軽くたたく動作が、彩月にとって記憶をたどる時の癖なのだろう。黒い瞳をまぶたの奥に隠し、わずかに眉をひそめている。
「そうか。一つ、質問いいか。魔法陣みたいなものとか見たか?」
「むこうでは、いまだお目にかかったことは残念ながらありません」
目を開いて、少しおどけた様子で答える。向こうでは、頭がおかしいの扱いされてしまう確率の方が高かったことが現実とか受け入れるのに、ちょっと抵抗あるよな。俺の時は、ひゃほー魔法×剣の異世界だぜ! めざせ、ハーレムなんて、調子に乗っていたっていうのに、彩月にはそう言ったそぶりが見られない。うぅん、やっぱ初めが肝心なのか? 俺らが初めて異世界に来たときは、めっちゃ美人な王女様が「お待ちしておりました、勇者さま方」だったしな。それに比べて、こいつは初っ端から奴隷にされるとか、異世界に希望を持てというほうが無理なのか……良い世界だと思うんだけどな、悪い世界のイメージのまんまじゃあ、もったいない。
たぶん、今のお前と変わりたいっていうやつ向こうにはごろごろいるかもしんねぇぞ。
「そうか、ついでに、もうひとつ、こっちに来てからすごくあんた自身に変化はあるか?」
「いえ、その。レイさんの話す言葉以外理解できませんし、魔道具があれば別ですけど。それに、特別体調に変化はありませんよ? ただ、いろいろありすぎて、精神的に参っているかと聞かれたら、YESですけど」
本人が自覚できる程の大きな変化は今のところ怒ってはいないということだ。召喚は今までこの世界で何度も十用されている。失敗する度に術式は改良されいまでは十分にチートな術式のひとつになっている。なんせ、異世界から平凡な人間をこちらに呼び、世界を渡るときに力を書き足していくのだ。それが、神だったり、天使だったり、悪魔だったりする。
「なぁ、おまえのことを少し調べてもいいか?」
「やましいことはしないで、調べた情報を私にも見せてもらえるのならかまいませんよ?」
「あぁ」
「なら、いいですよ」
にっこりと笑顔を見せる。
今後彼女の体に何が起こるかわからない。彼女は正規の方法でこの世界に入界したわはない。何がこの先あるかわからない。
この世界に長くいることが叶わず(こう、体を構成する要素がほろほろと崩れて行っちまったり、急な病気でぽっくり行っちまうとか)元の世界に戻ることもできないとなったら、困るからだ。俺は、せっかく見つけた存在をやすやすと失いたくはない。
ふむ、ちょっくら《不老長寿》の研究にでも手を出しますか。転生したレイチェルのおおよその寿命の年月から考えて、地球の体のまんまで異世界に来た彩月の寿命は、あっという間だからな。彩月には、長生きしてもらわないと困る。なぜかって、そんなの決まっているじゃないか。俺が、もう二度と孤独になりたくないからだ。―――もう、あんな思いをするのは嫌だ。
勝手でわがままで自己中心的な願いだ。
「レイさん?」
「ん、どうした」
「いえ、少し難しい顔をしていたので」
人の感情の機微に聡いのかな。一瞬俺を覆った感情の影を見事に見抜いてみせた。そっと、身を乗り出して顔色をうかがう彩月。そのとき、ふわっととても懐かしいにおいがして思わず腕を引いて、その小さな体を抱きしめていた。
「ひゃうっ」
「いい匂いだ」
あ、あああれれ……俺、何してんだ。名に口走った、俺。うわあああ、思わずつい。だって、久しぶりに嗅いだからさ、つい? 地球では、当たり前のようにしていた柔軟剤とかシャンプーとかそういう清潔感あふれる匂い……それに、女の子特有の甘いいい匂いだ。って、和んでる場合か! ヤバいヤバい、せっかく警戒心緩めてくれたのに何やってんだ、俺。今までの苦労―――お菓子の家作りとか? いや、それは俺が勝手に遊んじまっただけだ―――を無駄にして、馬鹿だ!
「レイさん、離してっ。息が、息が、できません!! ギブです。ギブアップです」
腕の中の彩月が、驚きで硬直しそれからじたばたして腕の中から逃げようとしている。彩月、それは逆効果だ。俺が、女の体じゃあなかったら欲求に耐え切れず襲っていたぞ。
あわてて、我に返り身体を離す。
「すまん、懐かしい香りがしたからつい。もう二度としないから、許してくれ」
この通りと反省してゐる胸をわかりやすくするため、土下座する。しばし、ブラックフクロウのほぉほぉとした鳴き声だけが、お菓子の家を支配する。
怒っているのだろうか、それともおびえさせているのだろうか。恐る恐る顔を上げた先にあったのは、顔を熟したトマトに匹敵するくらい真っ赤にさせて、フリーズしている彩月の姿だった。これって、もしかして俺が土下座していることにも気がついてゐないんじゃあ。
「彩月、すまない。むこう……地球で、慣れ親しんだ香りがしたからつい体が」
「うぅ……イッショウノフカク?」
「彩月、おぉい。大丈夫か」
お嫁にいけないとか云々言っていたが、抱き寄せて匂いをかがれたくらいで大げさなぁ。……待て、地球だったら立派な置換でセクハラで変質者じゃねえか俺!
「えっと、レイさんのお家の洗濯洗剤もクマさんの絵柄のなんですね」
そんなこんなで今度は俺が悶々と思考のループ[反省バージョン]にはまっている間に彩月の方は再起動したようで、どうやら今回は特別に流してくれるようだ。そして、これくらいじゃあ、天罰くだらないんですね。と興味津々に頷いていた。どうやら、いつものペースを取り戻したらしい。
「あぁ、そうだったのかもしれないな」
「そうですか。ところでレイさん、私自分の祝福が気になるので、速めに調べていただきたいのですが、どれくらい準備に日数がかかりますか」
祝福―――自分に何が与えられているか気になるっていうより、彩月の場合一瞬のうちに現れた首筋の紋が、気になって仕方がないのだろう。
ふうぅ、これは名誉挽回のチャンスだ。
「一時間で準備ができるから、それまで彩月はその荷物を棚にしまっておいで」
なるべく柔和な笑顔と優しい声音を心がけてそう告げると、わかりましたとにっこりとまた笑ってくれた。うん、それがたとえ愛想笑いだとしてもね。
そして俺は、約束通り一時間で塔の研究室で準備を整えるとその半分の時間で彩月の今の状態を調べ上げた。その驚くべき結果に、俺の顔から血の気が引いた。




