第27話 畏怖
夜明け前、俺はスラムの目立つ十字路にデズモンドの首を晒した。
木の杭に刺し、通りすがりの誰の目にも留まるように、そこに立てた。血の跡はまだ乾いていなかった。額に刻んだ文字も、はっきりと読み取れる。「貴族の犬」。その意味を理解する者は、この街にも、少なくないはずだった。
*
朝になると街の空気が明らかに変わった。
「おい、あれ……」
「デズモンドの顔じゃねえか」
人々が遠巻きにその首を見て囁き合っている。恐怖と混乱が通りに広がっていくのが分かった。誰も近づこうとはしなかった。
昼を過ぎる頃には、噂は、王都の中でも、かなりの広範囲に伝わっていた。誰が晒したのか、なぜ晒されたのか。真実を知る者は少なかったが、代わりに、様々な憶測が、まるで自分の目で見た話のように、街を駆け巡っていった。
「シンダーズの連中が、縄張り争いでやったんじゃねえのか」
「いや、あの黒髪の流れ者だって話だぜ。前にも、化け物みたいな真似したって聞いた」
その噂の中で、俺の名前が、初めて、はっきりと組織的な暴力と結びつけられていた。都合の良い方向だった。実行者が誰かという事実そのものより、この行為が可能な存在がいる、という恐怖の方が、はるかに重要だった。
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「これ、あんたが」
ゴブが震える声でそう尋ねてきた。俺はそれに頷いた。
「グラハム家に、あんまり近づかない方がいい。少なくとも今のところは」
「あんた正気か。紋官隊の副隊長を、こんな……」
ゴブは言葉を失っていた。以前まで俺を多少の畏敬を持って見ていた男が、今は明らかに恐怖の色を浮かべていた。それでいいと思った。この街での立場をより確実なものにするには、この程度の反応がちょうどよかった。
「もう、あんたの賭場に、変な因縁つけてくる連中も、いなくなるだろうよ」
俺がそう言うと、ゴブは、複雑な表情で頷いた。感謝と恐怖が、同じ顔の中に、混在していた。
「その代わり、うちの賭場が、今度はグラハム家に、目をつけられねえかって、そっちが心配だ」
「その心配は、無用にしてやる」
俺はそう言って、話を切った。実際、そうなるかどうかまでは、まだ、確信がなかった。だが、この段階で不安を煽っても、得るものは何もない。
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ミラの元にも、この話はすぐに伝わったらしい。
「本当に、あの人を……」
ミラは俺の顔をまっすぐ見ることができなかった。以前は感謝と期待の目で俺を見ていた女が、今は明確に距離を置くような態度を見せていた。
「あんたの紋のことは、まだ諦めてない。ただ時間がかかる」
「……はい」
その返事は以前より遠慮の色が濃かった。俺を助けてくれる人間としてではなく、得体の知れない恐ろしい何かとして見ているのが、はっきりと分かった。
「なんで、そこまで……」
ミラが、絞り出すように、そう呟いた。
「わざわざ、あんな……」
「あの男を放っておけば、また同じことが、他の誰かに、繰り返される。それを止めるための、一番手っ取り早い方法だった」
その説明に、ミラは、何も言えない様子で、俺から視線を逸らした。妹の看病をしながら、この女は、この先、俺のことを、どう扱っていくのだろうか。恩人とするのか、それとも、避けるべき危険物とするのか。どちらでも、俺にとっての利用価値には、大差なかった。
それでいい。むしろ都合がいい。
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その日、俺は、賭博場の常連から、もう一つの噂も耳にした。
「デズモンドの首の一件、紋官隊の中でも、かなり動揺してるらしいぞ」
「動揺、というのは」
「あんな真似ができる奴が、街に潜んでるってなりゃ、次は自分かもしれねえって、下っ端は、みんなびびってるって話だ」
その情報に、俺は内心、満足を覚えた。紋官隊という組織そのものの結束にも、僅かなひびを入れられたということだ。恐怖は、末端から、じわじわと組織を腐らせていく。狙い通りの効果だった。
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その夜、俺は再びガロに接触した。裏路地で彼を待つ。
「聞いたか」
「聞いたも何も、街中その話ばかりだ」
ガロは俺を見る目に、明らかな警戒を滲ませていた。以前の探るような視線とは質が違う。
「怖くなったか」
「……当然だろ」
ガロはそう言いながらも、逃げようとはしなかった。
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「デズモンドは俺の力を見た。だから殺した。それだけの話だ」
俺はそう言ってガロを、まっすぐ見た。
「あんたが、もし俺を裏切るような動きをすれば、同じことになる。それだけは覚えておいてくれ」
「脅しか」
「事実だ」
ガロはしばらく黙っていた。それから諦めたように息を吐いた。
「分かった。もう、あんたに逆らう気はねえ」
その声には以前のような警戒混じりの慎重さではなく、明確な恐れが混じっていた。俺はそれを望ましい変化だと受け取った。
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「家族のことは、どうする」
ガロがそう尋ねてきた。
「約束は守る。あんたの家族を縛る契約、セラフィナと一緒に解いてみせる」
「……なんで、そこまでする」
「あんたを、こっち側の駒として使いたいからだ。恩を売って離れられなくする。単純な話だ」
その正直な答えに、ガロは僅かに驚いたような顔をした。それでも反論はしなかった。
*
セラフィナの家に戻り、俺は今夜の出来事を報告した。
「街の反応は想定通りです。ただ、あなたへの見方が大きく変わったことは間違いありません」
「それが目的だ」
「恐怖で支配するつもりですか」
「支配とは少し違う。恩を売って離れられなくする。恐怖で逆らえなくする。両方使い分ける」
「その二つを、同時に使われた人間は、あなたを、どう捉えればいいのでしょうか」
「捉え方は、相手次第だ。恩人と思う奴もいれば、化け物だと思う奴もいる。どっちでも構わない。俺に、都合よく動いてくれれば、それで十分だ」
セラフィナはその言葉に何も言わなかった。ただその目には、以前とは違う何かが浮かんでいるように見えた。
俺はそれを気にしなかった。この街で必要な力を確実に積み上げていく。それだけが今、重要なことだった。




