上司の正体と部下の心、おまけに久方ぶりの召喚師
どれくらいそうしていたのか、イサはジャンの腕の中で大人しくしながら、どう答えるべきか考えあぐねていた。
けれどやはり、ジャンの心配や恐怖を聞いたからこそ、彼を一人で会合に行かせてはならないと思ってしまう。
だから意を決して、イサは口を開く。
「あの……答えたくなければ構いません。だけど、ムール統括長をそこまで追い詰めている人達って一体誰なんですか……?」
顔を上げたイサはジャンを見つめながら問うた。薄氷色の瞳は力なく、不安げに揺れている。
「それは」
一瞬逡巡する素振りを見せた後、ジャンはぐっと覚悟を決めたようにイサを見返した。背を抱きしめる腕の力が少し強くなるのを、イサは肌で感じながら視線を逸らさず答えを待つ。
「この国の王子達だ」
「王子様……?」
「そうだ」
「そんな人達がどうしてムール統括長を?」
「奴らは俺にとっては腹違いの兄弟でもあるんだ。俺自身は王が気まぐれで手を付けた娼妓の子でな。序列としては十三番目の王子位を与えられている。最も位が低く権威も無い、意味の無い位だが、暇なボンクラ共には格好の玩具らしい」
端的な説明にイサは大きく目を見開いた。ユッタの言っていた噂はどうやら真実だったようだ。ジャンが王の落し種であり、実のところ王の血を引くものであると。
だが納得すると同時に、イサの頭には先ほど聞いたエキディウスとローベニクの話が思い浮かんだ。
「じゃあもしかして、エキディウスさんが胸倉を掴んだ相手って……」
「その王子達の一人だ」
「……よく無事で済みましたね」
話を聞いた時も驚いたが、王族、それも曲がりなりにも王子に手を出して今も無事で笑っていられるエキディウスは中々に豪胆だと思う。だが彼のそんなところが好ましいとイサは思った。
「ヤツの家であるシュバルド家は代々近衛騎士を輩出しているからな。アイツの兄もそうだ。それに現場の証言と証拠もあったから不問になった。それでも奴らから目を付けられたことに違いはない。聞いても答えないが、あの件以降シュバルド家には何らかの影響が出ている筈だ。俺のせいだというのに、それを言えばヤツは怒るからな」
そう言ってジャンは自嘲気味に笑う。イサにはエキディウスの気持ちがすべてとはいかないまでも理解できた。自分を責めてしまうジャンだからこそ、エキディウスは友のために行動したのだろう。
「ムール統括長を大切に思っているからですよね」
「有り難い話だとわかっている……だがやはり、近しい者が害されるのは耐え難い。そしてそれは、イサ、君にも当てはまる」
ジャンが至近距離でイサと視線を合わせている。どうしてもイサを連れていきたくないのだという強固な意志が薄氷色の瞳には込められていた。
けれどイサも、引く気は無い。こんな話を聞いて、エキディウスがそこまでしたのだと知った今、より一層ジャンの傍に居たいと思った。
「私もムール統括長と同じ気持ちです。近しい人が……大事な人が害されるのは我慢なりません。私も……ムール統括長のことを、その……大切に、思って、いるので」
最後の方は途切れがちになってしまったが、イサは素直に自分の気持ちを口にした。
大事なのだ。ジャンが。上司だからというだけではなく、人として。
そして恐らく……異性としても。
「イサ」
ジャンが驚きに目を瞠りながらイサの名を呼ぶ。呼んでくれる。いつの間にか呼ばれ慣れていることを、イサは少しも嫌だとは思わなかった。それどころか、ジャンに名を呼ばれるのは心地良い。ずっと呼んでいて欲しいとすら思ってしまう。
(私、この人を守りたい―――あの時守ってくれたように。私、ムール統括長のことが―――)
ジャンと見つめ合いながら、イサは落ちた雨が最初に地面に染みこむように自分の心に気が付いた。
それはジャンへ向けられたものだ。薄氷色の澄んだ瞳と、酷く思い詰めた表情にきゅうと強く引っ張られるように恋心がジャンという存在に惹かれていく。
「だからどうか一緒に行かせてください。オウガストさんの名前がどこまで通用するのかわかりませんが、何かあっても自分でどうにかしますから―――」
ジャンを一人で行かせたくない一心でイサは再度訴えた。腹違いといえど同じ血を引く兄弟から虐げられる気持ちはどれほどのものか、イサにはわからない。イサの兄はイサの学費を払ってくれる程良い兄だから余計だった。
話を聞いたからこそより一層ジャンの傍にいたいと思う。何しろ相手は王族だ。しかしジャンにはそれに対抗する権力めいたものが無いらしい。ならば少しでもいい。オウガストの名前を利用するのは申し訳ないが、できうる限りジャンの盾になりたかった。
そう思って言葉を重ねている途中、イサの言葉をふいに別の声が押し止めた。
「それなら心配いらないよ! ぼくがどうにかするからねー!!」
イサとジャンが抱き合っている最中という、明らか場にそぐわない明るい一声に、二人とも咄嗟に身体をぎくりと硬直させた。しかし瞬時にジャンはイサを庇う体勢になり、虚空を睨み上げる。
「オウガスト!」
「やあジャン! それにイサも、お久しぶり!」
ジャンが睨む空中から、突如としてビビットな紫色の髪が覗いた。
「オウガストさん!?」
イサが名前を呼んだ頃には、何も無い空間から、目に痛いほどの原色の紫色したぼさぼさ頭がにゅっと出現したかと思えば、にんまりと猫とそっくりの糸目を笑ませた自称大召喚師―――イサをこの世界に呼んだ張本人であり、今は魔力を貯めるためにどこかで何かをやっているらしいはずの『オウガスト・ビルニッツ』が、顔を見せていた。




