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CHANGE ~県立実里丘高校男子バレーボール部の受難~  作者: 貴堂水樹
第2セット 孤独な天才

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12/38

3-1.

 ギャラリーなどと呼ばれる観覧用の細い通路の上で、三上みかみ憲翔けんしょうは柵状の手すりに不機嫌に肘をついていた。見下ろす先の熱気あふれるフロアでは現在、県立実里丘高校対県立扇原(おうぎはら)高校の第一セットがおこなわれている。

 四月の最終土曜日。インターハイ予選初日、第一試合の最中である。会場は名古屋市内でも特に交通の便のいい場所に建てられた公立高校の体育館だ。

「変わらないよねぇ、全然」

 憲翔は気怠けだるげにつぶやいた。

「イラッとするなぁ。ちょっとくらいミスしろっつーの」

 周りに人がいないのをいいことに、平気な顔で元チームメイトに対する悪口を吐く。舌打ちまで飛び出した。

「なーんで戻ってきちゃったかなぁ、あのバカ」

 中学時代の会話を振り返る。もうバレーはやめると言ったのはあいつ本人だったはずだ。

 面倒なことになったなと思った。あいつがバレーを離れると知って、喜ばなかったヤツはいないだろう。言い換えれば、あいつが高校バレー界に現れた、すなわち、厄介な敵がひとり増えたということだ。

「さすがだな、久慈琉聖は」

 少し離れたところから声がした。首を向けると、真っ黒なウインドブレーカーに身を包んだ坊主頭の男がひとり、ゆっくりと近づいてくる姿が目に入った。

「部長」

 私立正南学園高校三年、井波いなみ稔春としはる。憲翔がこの四月から所属することになったチームでキャプテンを務める男だった。

 普段は口うるさく厳しいことばかり言う井波が、恐ろしいほど嬉しそうな顔をしている。かつてのチームメイトがその原因であることに、憲翔は無性に腹が立った。

「早いっすね」

 不機嫌さを隠すことなく、憲翔は挨拶もそこそこに井波に言った。

「おれらの試合まで、まだ三時間くらいありますけど」

「愚問だな。あの久慈琉聖が俺たちの対戦相手になるかもしれないとわかっていて、ただ漫然と試合時間が来るまで待っているわけにはいかんだろう」

「それはそれは。ずいぶんな警戒心だこと」

「当たり前だ。去年の中学ナンバーワンセッターだぞ? 研究しておくに越したことはないさ」

 憲翔は鼻を鳴らし、ネット際でエースの一年生と言葉を交わしている琉聖に目を向ける。左利きのサーバーが、これで連続四本目のサーブを放つ。十二対四。実里丘が相手を大きく引き離す展開だった。

「本当にミスのない選手だな、久慈は」

 井波が声を弾ませた。憲翔のふくれっ面に拍車がかかる。

 忘れもしない。琉聖は中学時代、影で『精密機械』と呼ばれていた。

 眉一つ動かさず、淡々と正確なトスを上げ続けるプレイヤー。どれだけレシーブが乱れようと、久慈琉聖の手にかかればたちまち完璧なトスに変わる。別の誰かが『機械』ではなく『魔術師』と呼んでいたことも知っている。あり得ない場所から、あり得ないトスが上がるからだ。

 ついさっき、それを象徴するプレーが出た。相手レフトが鋭角に打ったインナースパイクを、フロントレフトを守っていたエースの一年生がレシーブしたが、ボールは彼のほぼ真上に上がった。本来ならバックレフトのプレイヤーが二段トスを前衛のライトプレイヤーへ振るというのが適切なフォロー体制になるところを、バックライトの守備に入っていた琉聖がコートを対角線に沿って猛然とダッシュし、膝をついてボールの下に飛び込んだ。

 無理な体勢から、琉聖はアンダーハンドで大きくトスをライトへ振った。やや高く上がりすぎたかと思われたが、ライトアタッカーである左利きの選手の打点にぴったりと合う、完璧なオープントスだった。ライトアタッカーが見事打ちきり、得点したことは言うまでもない。

 琉聖はいつもそうだ。それぞれのアタッカーが最高打点でボールをとらえられる位置へ、どんな時でも、どんな場所からでも、どんなに苦しい体勢だったとしても、確実にボールを運んでしまう。寸分の狂いなく、正確に。そうなるように設計された機械のように。

 苛立ちを通り越し、憲翔はあきれてため息をついた。

 だからみんな、あいつのことが嫌いだった。

 完璧すぎたから。背が低い以外に非の打ちどころがなく、同じコートでプレーすると、自分の力不足を嫌というほど痛感させられるから。

 一緒にプレーすればわかる。久慈琉聖という選手は本当に特別だった。

 実力的にも、ポジション的にも、あいつはたったひとりの逸材だった。

 だから嫌われた。自分が天才だという自覚のないところがさらに腹立たしかった。

 ――ほんと、ムカつく。

 なにが天才だよ、チビのくせに。ムカつく。本当にムカつく。嫌い。大嫌い。なんで戻ってきたんだよ。バレーなんてやめちまえ、チビ。

「恐れ入ったよ」

 結局苛立っている憲翔などさっぱり無視し、井波の視線は眼下でプレーする琉聖に釘づけだった。

「あれだけ走らされてもまったくトスがぶれないとはな」

 憲翔はムッとした表情で先輩を睨んだ。

「なに嬉しそうに褒めちゃってんですか。次の試合で当たる相手ですよ?」

「関係ないさ。腕のいいプレイヤーは評価されてしかるべきだ。特にあの、キャプテンじゃないほうのミドルブロッカー……あのヘタな選手を使いこなすには相当の技術が必要なはずだ。これまでの経験が物を言っているんだろうな」

「ちょっと、部長。それって要するに、おれがヘタだって言いたいわけ?」

「自覚があるなら、せいぜい技術向上に努めることだな。おまえだって、いつまでも二軍に居座るつもりはないんだろう?」

 ちらりとも自分のほうを見てくれない井波を、憲翔は鋭く睨みつけた。殴りたくて仕方がない。先輩じゃなかったら間違いなく殴っていた。

 実里丘のレシーブがやや乱れ、ボールがアタックラインの中央に上がった。

 琉聖が走る。アタッカーはレフトで小柄な右利きの選手が待っている他、キャプテンのミドルブロッカーがブロックを飛び終えるなりAクイックの助走に入った。

「レフト」

 井波がつぶやく。あの位置からなら速攻はない。そう読んだらしい。

 けれど。

「Aだね」

 憲翔が断言した瞬間、琉聖が軽くジャンプし、ミドルブロッカーの振りかぶった右手にドンピシャの位置へビュッと直線的に飛んでいく速くて低いトスを振った。

 ジャストミート。鮮やかなAクイックが決まった。

「まさか」

 井波が目を見開いた。

「アタックライン上だぞ? あの位置からAへ……しかも、あんなに正確に」

 ジャンプトスからの着地の際にややバランスを崩していたが、トスには寸分の狂いもなかった。憲翔もこれまで幾度となく上げられているからわかる。あの位置からのトスでも、琉聖のトスだけは決して打ちにくさを覚えない。

 あり得ない場所から、あり得ないトスを上げる。それが『魔術師』とささやかれた久慈琉聖の力。同じコートに立つ仲間でさえ恐れをいだく、完璧な男。

 琉聖が笑っている。信じられない。あいつが笑うところを試合中に見られるなんて。

「ほんっと、ムカつく」

 ふてくされて、憲翔は見下ろした先の琉聖を睨んだ。

「なに嬉しそうに笑ってんだよ」

 おれたちの夢を奪ったおまえに、バレーを楽しむ資格なんてないのに。

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