絶体絶命
ヒャクリキは閉じていた目を、急にカッ!と見開いた。
(しまった‼︎ いつの間にか眠っていた⁉︎ 一体いつから⁉︎ どれくらいの時間眠ってしまっていたんだ⁉︎)
覚醒した意識を一瞬で染め上げた焦燥感の中で、思考が目まぐるしく回転する。
ヒャクリキの全身に浮かんだ粘つく脂汗が冷えて、ヒャクリキの体温を奪っていた。
急に軽い寒気がもたらす不快感に襲われたヒャクリキは、腕に装着したポールドロンの隙間を覆う戦闘服で、顔にへばり付いている汗を拭う。
(…………腕が動くようになっている?)
汗を拭った後でヒャクリキは気付いた。全身を覆う脱力感は依然感じるが、少なくとも腕を動かせる程度には力が戻って来ている。
上体を起こそうと体に力を入れると、ゆっくりとではあるが、なんとか起き上がる事ができた。そのまま体を寄せている大岩にピタリと貼り付くようにして、体を沿わせて座り直す。
腹部の痛みは感じない。腹部以外の、体のあちこちにできた小さな傷も同様だ。医療用の“ソーマ”はまだ効いているらしく体のどこにも痛みは無いが、全身の傷ができているであろう箇所全てを、ぼんやりとした感覚が覆っている。体が完全に動くようになってしばらくすれば、またそれらの痛みが一度にぶり返してくる事だろう。
(つまりは、少なくとも体が動くようになるまでの時間は眠っていたという事か……迂闊だった……)
ヒャクリキは“首の無い女神像”が立っているこの空間の入り口付近に目をやり、その後ゆっくりと空間内を見回した。
ヒャクリキはふと気付く。
この空間には大空間を照らしていた光源である水晶のような物体が無いらしい。しかし夜目が利くヒャクリキには空間内の様子がちゃんと見えていた。
人影は見えない。どうやら冒険者たちはまだこの空間に到達していないらしい。
空間内は静寂に包まれ、空気の動きが感じられない。
暗闇の中でヒャクリキの腰に装着された魔煌ランタンの青白い光だけが浮かび上がっている。
改めて見ると魔煌ランタンはハッキリとした光を灯している。それはこの空間内の魔素の濃度が、非常に高いレベルである事を示していた。
しばらくぼうっと魔煌ランタンの明かりを見つめていたヒャクリキだったが、不意にある考えが稲妻のように疾り抜けた。
(いかん‼︎ このままではここに隠れている事が丸分かりだ!)
魔煌ランタンの光はヒャクリキが身を潜めている大岩だけでなく、周囲の岩肌も照らしている。冒険者たちから見れば、暗闇の中に青白い光が浮かんでいるわけで、それを見た誰もがそこにヒャクリキが居ると考えるだろう。
(迂闊だ!あまりにも迂闊だ!迂闊にも程が有る‼︎)
何故こんな当たり前の事に気付かなかったのか?
間違いなく疲労が深刻なレベルまで蓄積している。まるで頭が回っていない。
こんな状態で冒険者たちと戦えるのだろうか?ヒャクリキは不安になる。
(いや、待てよ……これを逆に利用できないだろうか?)
もし篝火の炎の光に誘われて集まる羽虫のように、魔煌ランタンの光に冒険者たちが吸い寄せられるのであれば、このまま光を灯している魔煌ランタンを腰から取り外して離れた場所に置いておく事で、冒険者たちの目を眩ませる事ができるかも知れない。
冒険者たちの注意をそちらに引きつけておいて、不意打ちを喰らわせるも良し、上手くいけば冒険者たちから逃走する事も可能ではないだろうか?
敵に侮られながら逃げるのは、ヒャクリキにしてみれば甚だ不本意ではあるのだが、このまま腹の傷を抱えた状態で多勢の冒険者たちと戦っても、正直なところ勝算は低いと言わざるを得ない。
マハイ・ベージ逝きを望む戦士にとって、状況に応じての戦略的撤退は恥ではない。蛮勇から無謀な戦いを挑んで無様に犬死にするのは、それはそれで戦士の振る舞いとしては相応しく無いのだ。
(我ながら妙案だ。そうと決まれば早速……)
ヒャクリキは腰に装着した魔煌ランタンを取り外し易くするために立ち上がろうとして、足に力を込める。
しかしやはり脱力状態から抜け出せていないせいか、中腰の体勢まで体を持ち上げたところで大きくよろめいてしまった。
(‼︎‼︎‼︎)
その瞬間、ヒャクリキの右肩を衝撃が襲った。
棒か何かで思い切り肩口を突かれたような感覚だ。
何事かと思ってヒャクリキが肩を見ると、クロスボウのボルトが突き刺さっている。
大型のクロスボウで用いられる通常よりも大きなサイズのボルトが、ポールドロンの板金を突き破った状態で深々と突き立っていた。
「しまった!外したわ‼︎」
ヒャクリキの右方向から女の声が響く。
声がしたあたりに目を凝らしてみると、ヒャクリキが身を寄せているのと同じような大岩の影に、冒険者の姿が見えた。
肩に突き立っているボルトはあの冒険者が撃ったのだろう。女の冒険者が弦を引き絞ろうとして、クロスボウ本体に取り付けられたハンドルを、焦りを隠さない様子で必死に回している。
(馬鹿な!隠れていただと⁉︎ 全く気配を感じなかったぞ‼︎)
ヒャクリキは慌てて大岩から離れようと走り出す。
いや、走り出しているつもりなのだが、脱力状態から抜けていない重くもつれた両足はイメージ通りにはてんで動かず、ヒャクリキは派手に滑りながら地面に倒れ込んでしまった。
(くそったれ‼︎ なんて事だ!とっくに見つかっていたのか‼︎)
この空間には誰も居ないと思っていたが、ヒャクリキが眠ってしまっていた僅かな時間の間に冒険者たちはこの空間に到達し、魔煌ランタンの光からヒャクリキの居場所を把握して取り囲んだのだろう。
寝込みを襲われなかったのは冒険者側も警戒して、ヒャクリキの様子を観察していたからだろうか?
ある意味運が良いとも言えるが、完全に捕捉されてしまった。これでは不意打ちを掛けたり隙を見て逃走する事は、もはや不可能だ。
「アンネ!照明ボルトを天井に向かって撃ちなさい‼︎」
先ほどとは別の女の声。聞き覚えのある、あのコーネリアとかいう女の声だ。
ヒャクリキが上体を起こして地面に片膝をついたタイミングでクロスボウの発射音が聞こえ、一拍置いて天井から眩い光が降り注ぐ。
あたり一帯が光に照らされ、空間内の景観と構造が視界の中にハッキリと浮かび上がった。
「ナイスなミスショットだぜ!ミント‼︎ ヘッドショット一発で決着なんて、そんなの味気無さ過ぎらぁ!これで俺様も心置き無くこのマンブ野郎を“なます”にできるってワケだ‼︎うっひょーー‼︎ たまんねえぜ‼︎」
よろけながらも立ち上がったヒャクリキの目の前に、ヨーカーと名乗ったあのエルフの男が躍り出る。
続くようにして槍を手にした男と、カイトシールドを構えた冒険者たちの中では重武装と言える男が、目の前に姿を現した。
さらには少し離れた場所に黒い装備に身を包んだ者たちの姿が有った。
それより遠くには、謎の不可視の一撃でヒャクリキに傷を負わせた例の異様な風体の者たちが、ヒャクリキの方を見ながらあの良く分からない武器を構え始める姿が見える。
同じくらい遠く距離が空いた別の場所では魔術を発動させようとしているのか、詠唱によって魔素を練っているらしい者たちの姿も見えた。
近距離、中間距離、遠距離と、ヒャクリキは大勢の冒険者たちに囲まれて、その姿を捕捉されている。
冒険者たちが居ない方向に有るのは、ヒャクリキが四苦八苦してよじ登った例の断崖絶壁だ。そちらに逃げる事はもちろんできない。転落すれば命の保証は無い。
天井に撃ち込まれた照明ボルトから放たれる強烈な光によって、望ましくない情報が次々と視界に飛び込んで来る。
ヒャクリキは完全に退路を断たれた状態で、冒険者たちに包囲されていた。
今の力が戻らない状態の体では、ここから逃げる事は不可能だ。
(戦うしか無い……か。しかしこれでは……)
ヒャクリキは右手に握ったウォーハンマーを構えようとして愕然とする。
右腕に力が入らない。と言うよりも、右腕の感覚がほとんど失われている。右手にしてもウォーハンマーを握ってこそいるものの、握っている手の感覚が、ヒャクリキには全く感じられない。
(こいつのせいか?)
ヒャクリキは右肩に突き立っている大きなボルトを左手で掴むと、息を止めて思い切り、力任せに引き抜いた。
「がぁっっ‼︎‼︎」
瞬間、“ソーマ”の効果で痛みを感じないはずの右肩に、痺れるような激痛が疾る。
(ハッ!ご丁寧に強装ボルトかよ。どうやらこいつら、本気で俺を殺しに掛かって来ているらしい……)
引き抜いたボルトはその大きさもさることながら、通常のボルトに比べて鏃に当たる部分が大きく鋭い、強装ボルトと呼ばれる種類のものだった。
通常のボルトの何倍もの値段がするが、重量を増した鋼鉄製の鏃によって殺傷力を大幅に高めており、狙撃が得意な射手が好んで用いる代物だ。
先端を濡らす自身の赤い血を見て苛立ち混じりの舌打ちをしながら、ヒャクリキはボルトを投げ捨てる。
そして感覚のない右手から半ばもぎ取るようにしてウォーハンマーを抜き取り、左手に持ち替えて構え直した。
「よっしゃよっしゃ!あんたもヤル気満々だな!そう来なくっちゃ困るぜ‼︎ さあ、始めようか!あんたのそのでかい体を斬らせてくれ!俺にその感触を、思いっきり楽しませてくれよ‼︎」
目の前のヨーカーが例の湾曲した奇妙な剣を構えながら言う。その顔には、瞳孔が開いて血走った目を輝かせながら狂気に歪む、悍ましい笑顔が貼り付いている。
引き攣ったように口角が引き上がった口から飛び出すヨーカーの言葉を聞きながら、ヒャクリキはじわりと熱を持つようにして、腹部が再び痛み始めたのを感じていた。
どうやら“ソーマ”の効果が切れ始めたらしい。すぐに全身の傷の痛みがぶり返して来るだろう。
感覚が無い右腕はだらりと力無く垂れ下がり、力が戻らない両足の膝は、微かに震えている。
ゴクリと重い音を鳴らして、喉が唾を飲み込む。
奥歯がぎりり、と不快に軋む音を立てて鳴る。
粘つく重たい脂汗が顔をつうー、と伝って、顎先からポタリと滴り落ちる。
ヒャクリキは間違い無く、「死地」と呼ぶべき絶体絶命の状況に陥っていた。




