アイコン“ドラセルオードの怪人”誕生
クリスタルモニターの映像に突如出現した正体不明の“謎の男”の姿に、放映会場の観客たちから大きなどよめきが沸き起こった。
冒険者たちは誰もがその“謎の男”に注目しているため、彼らが装備しているサークレットから送られてくる映像は、どれもこれもが悉くその姿を映し出している。
「なんだありゃ⁉︎ もしかしてあれが“キラー”ってヤツか?噂には聞いた事があるけど、大会中に冒険者が遭遇するのは初めてなんじゃねぇのか?」
「どういう事なんだ?あいつは冒険者たちよりも先にダンジョンに潜ってたって事なのか?……大会があるのに?それに……たった一人で?何考えてんだ?気狂いか何かなんじゃねえのか?」
「おっ!俺は冒険者やってるダチ公から聞いた事があるぞ‼︎ ここ最近、あちこちのダンジョンに怪しいヤツが出没するらしいって……もしかしたら、あれがそうなんじゃねぇか?」
「いやいや、俺は大会運営が仕込んだ“仕掛け”だと思うね。冒険者側の旗色が悪くなった途端に現れたんだぜ。どう考えても、タイミングが良すぎらぁ」
「お前アホか。だったらなんでたった一人なんだよ。戦力的には屁の突っ張りにもなりゃしねえじゃねえか。それに、もしそうやって運営が冒険者に助け舟を出すんだったら、“大攻勢”とぶつかる前に現れなきゃおかしいだろうが」
「アホだと⁉︎ てめえ!もういっぺん言ってみやがれ‼︎」
「おう、何度でも言ってやらぁ!もう少しモノ考えて喋るんだな。このアホ!」
「てっ……てめえ‼︎ この野郎ォ‼︎‼︎」
観客席の一角で観客同士の喧嘩が始まった。
冒険者たちの全滅や攻略続行不能が相次いでいるからだろうか。配当金への期待をフイにされた観客たちの中には、どうしようもない憤懣を抱えている者が少なくないようだ。
そのため放映会場の空気には、何かピリピリするような、殺伐とした雰囲気が混じり始めているのが感じられる。
喧嘩が起きている場所の周囲の観客たちは巻き添えを受けないように距離を取り、しかしながらその視線は目の前の喧嘩ではなく、クリスタルモニターの方を向いていた。
『うぅおおおおおおおあああァァァァァァ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』
放映会場の「公示人の口」から、いきなり野獣の雄叫びのような大声が響く。やはり冒険者のサークレットが拾った音声であろうその大声は、会場の空気を切り裂くように振動させる。
まるで意思の疎通など望むべくも無い、暴力的な衝動をその身に内包したケダモノが発するような、聞いた者の心臓と胃を握り潰そうとするかのような雄叫びだ。
あまりにも人間離れしたその大音量に、観客の誰もが、あの“謎の男”が発した咆哮であろう事を瞬時に理解する。
さらに映像の中のその“謎の男”は、追い討ちをかけるかのように次の瞬間、見ている観客の度肝を抜くような行動を取った。
果たして“謎の男”は正気なのだろうか?いきなりまわりを壁のように囲んでいる角鬼の集団に向かって、なんと単騎で突撃を開始したのだった。
「ああーーーっと‼︎‼︎ 突然現れた“謎の男”⁉︎ ……男ですよね⁉︎ あれはどう見ても……。しかし‼︎ 一体何者なのかと訝しむ暇もなく、“謎の男”はなんと一人で、たった一人で、角鬼の群れに突っ込んで行きましたぁーーーっ‼︎‼︎」
実況役の声にも驚きの色が混じっている。
無謀としか思えない“謎の男”の行動に、観客たちのどよめきはさらに大きくなっていく。
そのどよめきは画面の中の“謎の男”が、取り囲む角鬼を次々と手にしたウォーハンマーで殴り飛ばし始めると、それに反応して沸き上がった歓声と混ざり合いながら、さらに勢いを増していった。
「……す、凄い。凄い、凄い‼︎ なんという強さでしょうか⁉︎ この“謎の男”、多勢の角鬼を全く苦にしていません‼︎臆する様子もありません‼︎‼︎ 鋭くも豪快な一撃で、次々と角鬼を薙ぎ倒していきます‼︎‼︎」
画面の中の“謎の男”は全方位を囲まれながらも、まるで怯む事なくウォーハンマーの一撃で角鬼を次々と殴り飛ばしていく。囲んでいる角鬼たちも次々と怯む事なく襲いかかっていくのだが、その数に頼っただけの攻撃はただの無謀な特攻となって、“謎の男”の強烈な一撃に、その小さな体を弾き飛ばされるばかりだった。
「ああっと‼︎ 1体の角鬼が体に取り付きました!……が、“謎の男”はすぐに空いている手で角鬼を体から引き剥がし……おおっと!さらに囲んでいる角鬼に向かって、軽々と投げつけましたぁ‼︎」
“謎の男”を囲んでいる角鬼の集団には、例の金属製の装備に身を包んだ個体が混じり始めている。しかし、角鬼の集団の中でも「精鋭」と思われるその個体たちと“戦士”は、“謎の男”からは一定の距離を取り、その戦いぶりを観察しているようだった。
「それにしても…………強い!強いです‼︎ この“謎の男”は一体何者なのでしょうか⁉︎ 少なくとも今大会にエントリーしている冒険者でない事だけは確かですが……“謎の男”の正体について、ビクターさんはどう思われますか⁉︎…………ビクターさん?」
実況役が解説役のビクターへ顔を向けて問いかける。しかしビクターはその問いかけには答えず、やや表情を曇らせてクリスタルモニターの画面を見つめていた。
眉間に皺を寄せて、しかし同時に鋭い眼光で“謎の男”の動きを目で追っている。
「……ビクターさん?どうかされましたか?」
「……ああ、すみません。“謎の男”の正体ですか?……うーむ、私にもハッキリとした答えは分かりませんが、そうですね…………」
実況役の問いかけにようやく気付いたビクターは、ややずり落ちた眼鏡を、片手の中指でゆっくりと持ち上げた。
「迷いなく単独で戦闘に臨んでいるように見える様子から、“キラー”ではないのではないかと思います。信じ難い事ではありますが、あの“謎の男”は、おそらく本当に、たった一人でダンジョンに潜っていたのでしょう、であれば、集団で行動する“キラー”だとは考えにくい……」
思考を整理するかのように考えを述べながらも、ビクターの視線は画面に釘付けになったまま動かない。
「それ以外の可能性として考えられるのは、“密猟者”……でしょうか?それにしては異様とも言えるほどの重装備ですが……」
「みっ‼︎ 密猟⁉︎ 大会の攻略対象になっているダンジョンで、しかも大会が開催されている、まさにこのタイミングでですか‼︎⁉︎」
ビクターの意見を聞いた実況役が、さらに驚きを隠せない様子で言う。
「考えにくい事ですが……大会について知らなかった、もしくはかなりの長期間、ダンジョンに潜っていたとか……いや、やはりこの考えには無理がありますね。どうにも不明な点が多すぎて、これだ、という答えは出せそうにありません。……しかし……」
「しかし?」
「あ、いえ、少し気になっている事がありまして……。あの“謎の男”の戦いぶり、いつだったか……どこかで見た事が有るような……」
「見た事が有る⁉︎」
「……無いような…………。うーん、何とも不思議な既視感が有るんですよねぇ……それにあの大きな体格…………体格⁉︎」
解説役として充分とは言えない、何ともハッキリとしないビクターの答えだった。
彼はそれきり思考の中に沈んでしまったようで、両手を顎の前で組み、やはり画面から視線を外さないまま、何やら小声でぶつぶつと呟いている。
実況役の耳に聞こえるか聞こえないかと言うほどの小さな声で、
「……いや、馬鹿な…………そんな事、有り得るはずが無い…………」
などと呟きながら、何やら独りで考え込んでいる様子だ。
その様子を見ながら実況役が不思議そうな顔をしていると、大会運営スタッフの一人が彼女にコソコソと近付いて、一枚の小さな紙切れを渡して来た。
「えっ⁉︎ なんですか?これ……情報?公開して良いんですか?はいはい……えーっと…………おおっ‼︎ 会場の皆さん‼︎ たった今、大会運営、冒険者組合からの情報が入って来ました‼︎ 」
実況役の言葉を受けて、会場に拡がるどよめきがさらに騒々しいものになっていく。
「なになに?えぇっと…………数ヶ月ほど前から組合に所属する冒険者たちの間で“怪人”の噂が広まり始めた。たった一人でダンジョンを徘徊している怪しい人物の目撃情報が、組合に多数報告されている。組合としては真偽を確かめるための調査に割く人員が不足している事と、その人物による被害らしきものが特に発生していないため、本格的な調査は現在まで見送られて来た……なるほどなるほど」
実況役は紙切れに書かれていると思われる情報を読み上げている。彼女のよく通る声が、どよめきを通り抜けて放映会場に響き渡った。
「冒険者の証言によれば、その人物の目撃という事例は殆どの場合ダンジョンの深部で発生し、“遭遇”とまで言える状況に至ったケースはこれまで無いとの事。ふむふむ……組合では今後本格的な調査を開始する事を踏まえて、この謎の人物に、冒険者の間で定着している“ドラセルオードの怪人”という呼称を付けた……との事だそうです!」
実況役が読み上げた情報を聞いて、観客たちがめいめいに反応する。
放映会場の喧騒は、ますます大きくなっていく。
「ほらな!俺が言った通りだろ⁉︎ 怪しいヤツがダンジョンをうろついてるってな!それにしても……見れば見るほど怪しいぜ、“ドラセルオードの怪人”、か。まさにその名の通りの怪しさだぜ!」
「それにしてもあれ、本当に人間なのか?随分とデカい体してるが……。正体はオークか何かじゃねえのか?……あんなデカいヤツ、人間にゃそうそう居ねえだろ?」
「ダンジョンを一人でうろつくって……正気の沙汰じゃねえぜ。一体何を考えて、そんな危ねえ真似してんだろうな?」
「でもまあ、とりあえずは角鬼どもをシバいてるんだし、冒険者の味方、人間の味方って考えて良いんじゃねえか?それに……こいつ、マジで強ぇぞ!角鬼どもを相手に、たった一人で暴れまくってやがる‼︎」
“謎の人物”から“ドラセルオードの怪人”へと、その存在の正体を、観客たちの中でささやかながらも、ある程度までは定義できたからだろうか?
放映会場に拡がっていたどよめき、観客たちの間に拡がっていた戸惑いは少しずつ鳴りを潜め、代わりにクリスタルモニターの画面の中で繰り広げられる“怪人”の戦いぶりへ向けられる歓声が、だんだんとその大きさと勢いを増して行くのだった。