怪 人 咆 哮
(やらかしたな……)
眼前に広がる光景を見渡しながら、ヒャクリキはそう思った。
予想以上に勢いを増し続け、酷くなる一方の黒煙から逃げるように、追い立てられるようにしてダンジョンの入り口へと急ぎ、通路を進んでいると、急に数体の角鬼が彼を襲って来た。
しばらく前まで集団に追われていたダンジョン奥側に当たる後方からではなく、入り口側に当たる前方から角鬼が出現するという、予想外の事態に驚いたヒャクリキだったが、やる事は変わらない。
造作もなく角鬼たちを“擦り潰し”ながら通路を進み、入り口へと向かうだけだった。
しかし、そのまましばらく進んだ先、彼のまわりを覆っていた黒煙が途切れ、潜る時にも通った大きな空間に出たところで、ヒャクリキは自分が致命的なミスを犯した事を理解した。
空間には大勢の角鬼だけではなく、冒険者たちの姿が有ったのだ。
極力避けたかった「冒険者との遭遇」が、見事に現実になってしまったのである。
ヒャクリキは空間内を見渡す。
角鬼どもと冒険者たちは、おそらく今の今まで戦闘をしていたのだろう。
空間内の床には夥しい数の角鬼の死体が転がり、その中にポツン、ポツンと冒険者であろう亡骸が倒れていた。
しかし空間内にいる者たちは今まさに戦闘を中断し、戦う手を止めて、その全てがヒャクリキに視線を集中させている。
そのため空間内は居心地の悪い静寂に包まれており、注目を集めるヒャクリキの全身に、視線の矢の雨が突き刺さっていた。
「あれが噂の、“ドラセルオードの怪人”⁉︎」
聞こえて来た声に反応して、ヒャクリキは声がした方向に顔を向ける。
若い女の声だ。最近は女の冒険者が増えているらしい、という事を知ってはいるヒャクリキだったが、それでも本来は危険な場所であるはずのダンジョンの中で聞こえると、やはりその声は場違いというか、どうにも違和感を感じてしまう。
(……いや、あの頃も珍しいと言うだけで、女の冒険者も居るには居たか。《ドラゴン・ベイン》でもマーテルと…………あと、なんと言う名だったか、あの罠師の女は……)
自分が名前も覚えていない女の事を考えている事に気付いたヒャクリキはふと、今はそんな事を考えている場合ではないと、思考を切り替えるべき状況である事を思い出す。
それにしても、まずい事になった。
あの冒険者たちにしてみれば、やはりヒャクリキはどこからどう見ても怪しい「密猟者」以外の何者でもないだろう。
(ドラセルオードのかいじん?…………“怪人“、か?……一体、何の事だ?)
女はヒャクリキにはよく分からない事を言っていたが、こうなってしまった以上、彼に与えられた選択肢は「逃走」以外には存在しないように思える。
冒険者たちが今、何を考えているのかは不明だが、彼らに捕縛されるという最悪の事態だけは、何としても回避しなければいけなかった。
様子を見る限り、角鬼も冒険者たちも、突如現れたヒャクリキに混乱しているようだ。空間内の者たちは皆がその動きを止め、固まった状態で動かない。
とは言え、だからこそヒャクリキは脱兎の如くその場から逃げ出す事が躊躇われるのだった。今、自分はあまりにも注目を集め過ぎている。
せめて角鬼どもと冒険者たちが戦闘を継続してくれていたら、そのドサクサに紛れて何とかこの空間を突っきって逃げる事ができたかも知れない。
しかしこの状況ではそれは不可能だ。今のように周囲の注意が自分に向いている状況では、どう動いたとしても、角鬼と冒険者、そのどちらもが、即座に何かしらの対応をしてくるだろう。
そして今のヒャクリキはかなり疲労している。こうも体力を消耗した状態では、普段の全速力と同じ速さで走る事など望むべくも無かった。
ヒャクリキは周囲の状況を確認する。
空間には水路が流れており、それによってダンジョン奥側であるこちら側と、入り口側であるあちら側に分けられ、両側を繋ぐ橋が架かっている。
床には角鬼どもの死体が転がり、場所によっては足の踏み場も無いほどだ。
つまり、足場がかなり悪い。死体を踏みつけながらでは、思うようには走れまい。
水路を渡るというなら、流れに足を取られるのは確実だ。
だからと言って橋を渡るのも、それはそれで悪手だろう。相手が角鬼になるか、冒険者になるか、はたまたその両方か。どちらにせよ、前後から挟撃を受けるのは間違い無い。
どうするべきなのか、答えを出せないでヒャクリキが迷っていると、目の前で壁のようになって彼を囲んでいる角鬼たちが、それぞれ手に持った武器を構え始めた。
「…………まあ、それはそうだろうな…………」
ヒャクリキは眼前に放り投げた角鬼の死体に目をやりながらボソリと呟く。やはり角鬼どもは、彼を敵として認識したらしい。
角鬼どもにしてみれば、いきなり現れた冒険者と同じような格好の怪しい存在が、仲間の死体を放り投げて来たのだ。どう考えても敵としか思えないだろう。
見れば少し離れた場所に居た“戦士”が、こちらに向かって歩き始めていた。
先ほどまでヒャクリキを追って来ていた角鬼の集団に混じっていた“戦士”とは違い、雑に繋ぎ合わせたチェインメイルで上半身を覆っている。
手に持っている武器も原始的な物ではなく、全金属製の大きな戦斧だ。
それは戦場の現実を知らない未熟な傭兵の類が「伊達」や周囲を威嚇する目的で持つ場合が多い、見栄えだけの、重過ぎて全く実用性に欠ける代物だった。
本来は両手持ちのそれを、“戦士”は片手で軽々と握っている。その大きな手に合わせるためだろう。戦斧の柄には、径を増すための粗布が何重にも巻き付けられていた。
そもそもの話として、目の前の角鬼どもの囲みを破らない事には、逃げ出す事すらも叶わない。
状況を認識したヒャクリキは「逃走」から「闘争」へと、その思考を切り替え始めている。
(……ふん、そういう事だ。結局のところ、これこそが俺の宿命。戦士として生まれた者の、逃れ得ぬ闘争の宿命なのだ。危ない所だった。まず逃げる事を考えるようでは、ザラスに鼻で嗤われてしまう)
答えは出た。その通り、結局のところは今までと何も変わらない。
戦うだけだ。そう、ヒャクリキは戦士なのだから。
ヒャクリキを囲んでいる角鬼どもが動き始める。警戒しているのか、用心深くヒャクリキの動きを観察している雰囲気の角鬼たちは、ジリジリと前進しながら、囲みの壁を収縮し始めた。
その様子を、ヒャクリキは左から右へと視線を移動させて一瞥する。
そして少し顎を上げると、鼻から思い切り空気を吸い込んで、肺を大きく膨らませた。
そのままヒャクリキは面当ての下に左手の指を掛けて、少しだけ持ち上げる。
口の前を開けておかなければ、面当てに邪魔をされてしまうからだ。
「うぅおおおおおおおあああァァァァァァ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
空間内にヒャクリキの雄叫びが響き渡る。
野獣のような咆哮が、静寂を切り裂いて戦闘開始の刻を告げる。
面当てを再び下ろし、ウォーハンマーを握る右手に力を込めると、ヒャクリキは角鬼の壁へと向かって、限界まで弦を引き絞った弓から放たれた矢のように、突進を開始した。




