命の煌めき
「ああ!……あぁ!…………これよ!これ‼︎ これこそ……そう!これこそが‼︎ これこそが、私が求めて止まない、“戦い”‼︎ そう、“闘争”そのものだわ‼︎‼︎ 」
“お嬢様”はクリスタルモニターの大画面に、へばり付かんばかりに近付いていた。
両腕を広げて、まるで画面に映し出される映像や流れてくる音声を、その細い全身で受け止めようとしているかのようなポーズで固まっている。
彼女の斜め後ろに位置する腰掛けに座っているレエモンには彼女の後頭部、背面しか見えないのだが、声の調子から察するに、彼女がおそらく「陶然」、もしくは「恍惚」と形容すべき表情を浮かべているであろう事は、容易に想像できた。
「現し世に‼︎命の炎が燃えるのは‼︎‼︎」
食堂の空間内に、いきなりハリのある、それでいて心地良く透き通った、大きな声が響く。
レエモンは突然聞こえてきたその声が、一瞬、誰のものか判別できずに困惑した。
ワンテンポ遅れてレエモンの耳は、その声の主が“お嬢様”である事を認識する。
レエモンは軽く驚いてしまった。あんな細い体のどこから、これほど凛とした、力強い声が出て来るのだろうか?
「恋と決闘‼︎‼︎ どちらも“戦い”‼︎‼︎」
例の“道化”と呼ばれている小男が“お嬢様”の言葉に続けて、あの甲高い素っ頓狂な大声を張り上げた。
……これは合いの手だろうか。詩の一節か何かなのかもしれない。
「その通り!“戦い”よ!“戦い”なのよ‼︎ 今!この時代、“緩やかな衰退”と呼ばれて久しい今この時に、本当に必要なもの!それは……“戦い”‼︎ そう‼︎ 激しく燃えるような“戦い”よ‼︎ これを置いて他には無いわ‼︎‼︎」
“お嬢様”は細い腕を翻してクリスタルモニターからレエモンの方に向き直ると、やはりハリのある透き通った、凛とした力強い声でそう言った。
まるで舞台俳優のような大仰、大袈裟な身振り、手振りを交えている。どうやら彼女は、画面の中で繰り広げられる冒険者たちの激しい戦闘を目の当たりにして、それにすっかり酔ってしまい、高まる興奮を抑える事ができなくなっているようだ。
「輝きを失った人生に、一体何の意味が有ると言うの⁉︎ 情熱を失った魂に、一体どんな価値が有ると言うの⁉︎ 燃やし尽くしてこそ命‼︎ 燃え尽きてこそ人生よ‼︎‼︎」
まるで歌うようにそう言いながら“お嬢様”は天を仰ぐ。片手を軽く胸に当て、もう片方の手は天に向かって差し伸べられている。
「命の煌めき‼︎ ありがたやーーー‼︎‼︎‼︎」
やはり合いの手を入れるかのように、“お嬢様”の口上に続いて“道化”が酷い棒読みの、素っ頓狂な大声を上げる。
“お嬢様”と“道化”、演者二人による即興劇だった。
呆気に取られているレエモンの耳に、いきなり賑やかな拍手の音が聞こえて来た。
何事かと思ってあたりを見回すと、食堂の壁に沿って立って控えている男性使用人やメイドたちが、揃って拍手をしている。
無表情のまま、手だけを忙しく打ち合わせ続けるその者たちの慣れた様子を見る限りは、先ほどの“お嬢様”の口上に感動しての行動、ということはなさそうだ。
ほとんど仕事としてやっているような印象を受けるし、どうやらこのような即興劇は、ここではよく行われる事のようだ。主人の熱演に、使用人の礼儀でもって応えているのだろう。
(……俺は一体、何を見せられているんだ?)
レエモンは言葉にすることのできない、何とも不思議な感覚に包まれている。
ヴァルソリオ城を訪れてからというもの、何度も現実感から切り離されるような感覚を味わい続けているが、やはりここは、異世界とでも呼ぶべき場所である事は間違いないようだった。
「ああ、まるで燃え尽きる瞬間の蝋燭の炎のように、彼らの命が激しく燃えては儚く消えていく……。美しい。美しいわ。……なんて美しさなのかしら、燃える命の煌めきというものは……」
意識の置き場を探しあぐねて彷徨っているような心持ちのレエモンをよそに、“お嬢様”は再びクリスタルモニターの画面に向き直り、そこに映し出される戦闘風景に見入っている。
「こればかりは例え財力にモノを言わせて金貨を積もうが、手形を切ろうが、そう簡単に触れられるような物じゃあないもの。ああ……私も、私も絶対に手に入れてみせるわ。他人のそれじゃなく、自分自身の、そう、私だけの命の煌めきを……」
彼女の声の響きからは、その発言の出処が「嘘偽り」や「伊達」や「見栄」といった虚しいものではない事が読み取れる。疑いようも無く、彼女の本心からの言葉であり、彼女の漲る若い情熱から紡がれる言葉である事が窺えた。
(なるほど。確かにヴァルソリオ家ほどの力が有れば、手に入れられない物などそうそう有りはしないだろうからな……)
ここに来てレエモンは、彼女の誘いに乗って正解だったと思い始めている。
夕食への同席に留まらず、大会の観戦にまで付き合わされて、始めは困惑しきりだったが、おかげで今までの顧客とは比較にならない大口顧客の、嗜好、志向、思考、信仰、そういったものの一端に触れる事ができた。
顧客を深く理解する事こそが、相手が真に求めて止まない「宝物」の提供と取引を可能にする。それはレエモンの、商人としての標語だ。
客にとって必要も無いガラクタを手八丁、口八丁で掴ませておいて、それでいて暴利を貪るような商人はこの世にごまんと存在するし、それをいかに上手くやるかが商才だと勘違いしている輩も多い。
だが、かつて「命」という、“お嬢様”をしてああまで魅了してしまうような物のやり取りをしていた過去を持つレエモンにしてみれば、目先の利益に目が眩んだ不誠実な取引は、それこそ自身の魂を削り取って売り払うような愚行に他ならなかった。
取引が行われる時、取引される物には必ず「価値」が存在する。
そして、その「価値」を生み出すのは例外なく人の「心」なのだ。「魂」、「愛」などと言い換えても良いかも知れない。
とにかく今夜は“お嬢様”についての理解を深める事ができた。レエモンにとっては、それだけでも大きな収穫だと言えた。
レエモンは視線を“お嬢様”からクリスタルモニターへと移す。
大画面は依然として四分割されており、それぞれが違った視点で、冒険者たちと角鬼たちとの「死闘」を映し出していた。
あれほど首尾良く角鬼たちの猛攻を防ぎ続け、さらには爆薬の使用という起死回生の一手を打った後、見事に形成逆転を果たしたはずの冒険者たちは、陣地の崩壊という事態の急変以降、一転して明確な危機的状況に陥っている。
(熱狂の只中に身を置いている“お嬢様”には悪いが、おそらくこれは……無理だろうな。このままの戦況が続くなら、間違いない、冒険者側の全滅で、この戦いは幕を降ろすだろう)
“不死隊”で何度も「死線」に直面したレエモンには、冒険者側の圧倒的な不利が痛いほど見て取れる。気の毒な冒険者たちへの同情が、彼の心中に拡がっていた。
(とは言え、それこそが“お嬢様”が望む結末なのかも知れないな。悲劇というものはいつの時代も、ある種の人間の精神を惹きつけて止まないものだ……)
そんな事を考えながら画面を見ていたレエモンは、ふと異変に気付く。
今クリスタルモニターに写っている映像は、どうにも暗いような気がする。先ほどまではもっと鮮明な、凄惨な戦闘風景を映し出していたはずだ。
「……魔素の波長が悪いのかしら?ちょっと!画面が暗いわよ!せっかく終曲に向かってサイコーに盛り上がってるってのに、どういう事⁉︎ これじゃ台無しだわ‼︎ 早く元の状態に戻しなさい‼︎」
異変に気付いたのはレエモンだけではないらしい。“お嬢様”が使用人に向かって大声で命令する。命じられた使用人は弾かれたように動き出すと、慌てて食堂から駆け出して行った。
しかし画面の暗さはむしろ少しずつ増しているように感じられる。レエモンはしばらくして、画面の暗さの原因が映像にかかっている黒いモヤのようなものである事に気付いた。
「⁉︎…………これは、煙?……もしかして何かが燃えているのかしら?」
“お嬢様”はボソリと呟く。そのタイミングで切り替わった映像に、ダンジョンの通路の入り口から、黒煙がモクモクと溢れ出している光景が映し出された。